受験生の健闘を祈って、太宰府天満宮に伝わる「飛梅の伝説」を空想科学的に考えてみた!
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。マンガやアニメ、特撮番組などを、空想科学の視点から、楽しく考察しています。
受験シーズンであります。
筆者はかつて学習塾の講師をしていたので、この時期は「受験生が全力を出せますように」と、祈るような気持ちになる。なんだか落ち着かないのだ。
そこで今日の研究レポートは、学問の神さま・菅原道真公が祀られている太宰府天満宮に伝わる「飛梅の伝説」について考えてみたい。
「飛梅の伝説」とは何か?
平安時代、秀才の誉れも高かった菅原道真は右大臣にまで上り詰めた。ところが、左大臣・藤原時平の陰謀で、無実の罪を着せられて降格、都から九州の太宰府に追いやられてしまう。
旅立つとき、道真は歌を詠んだ。
「東風(こち)吹かば にほひをこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」
道真は、愛していた梅の木に「春が来たら、美しい花を咲かせてくれ。主人の私がいないからといって、春が来たことを忘れてはならないよ」と、優しく語りかけたのだ。
これに感じた梅が、道真を追って一夜のうちに太宰府まで飛んできた――というのが「飛梅の伝説」である。
なかなかスゴイ話だが、その飛梅の木は、現在でも福岡県の太宰府天満宮・本殿のすぐ近くにある。
筆者も一度行ったことがあるのだが、高さ5mほどの古木で「この木が京都から飛んできたのか……」と思うと、感慨無量であった。
◆電車くらいの速度で飛んできた!
この「飛梅の伝説」、数々の書物に登場するらしい。『源平盛衰記』や『古今著聞集』などには「梅の枝が飛んで根づいた」と記されているという。
また「飛松」伝説というのもあるようだ。
道真は、桜、梅、松を愛していた。道真が九州に下ると、桜の木は悲しみのあまり枯れてしまった。梅の木と松の木は、大宰府めがけて飛んでいったが、松の木は途中で力尽きてしまい、現在の神戸にある板宿というところに着地して根を張ったというのだ。
いずれにしても、梅の木が京都から大宰府まで飛んでいったというのは、恐るべき現象である。
その場合、速度はどれほどだったのだろうか?
京都における道真の屋敷の跡地は、今では管大臣神社になっている。そこから太宰府天満宮まで直線距離で508km。「一晩」というのを「人々が寝ているあいだ」と考えて7時間と仮定すると、梅は時速73kmで飛んだ計算になる。
時速73kmというのは、JR山手線が快調に走っているときくらいのスピードだ。想像していただきたい。夜の闇を、梅の木が電車のようなスピードでヒュゴ~ッと飛んでいく光景を! 目撃した人は腰が抜けるほど驚いたであろう。
しかし、どうすれば木が飛んでいけるのか?
木にはエンジンも翼もないから、普通に考えれば、驚異的な風が吹いて根こそぎ飛ばされた……ということだろうか。
その場合、京都から大宰府にかけて、つまり西日本全域に、立っている木が根こそぎ持っていかれるような大嵐が吹き荒れたことになってしまう。
◆木が飛んだらどうなるか?
それはないだろうから、梅の木は自力で飛んできたと考えよう。
その場合、梅の木の行く手を阻むのは、風である。時速73kmとは、秒速20m。この速度で飛行中の飛梅には、風速20m/秒の風が吹きつけたことになる。
気象庁が発表している「風速階級表」によると、この風速の風が吹くと「小枝が折れる」。
ええっ、せっかく飛んでいっても、枝が折れてしまったら、主の愛する花は咲かないのでは……!?
だが、園芸図鑑を調べてみると「梅の移植では、木の負担を軽くするために、根や枝をかなり切る」とも書いてある。
だとしたら、飛行中に枝の大半が折れたとしても、むしろ移植にはふさわしいのかもしれない。
また、移植に適するのは、葉が落ちている時期だという。東風が吹く春先は、おお、まさにピッタリだ。
と思ったが、その図鑑には見過ごせないコトも書いてあって、「ただし、枝を切るので、その年は花が咲かず、2、3年は枝も花も少ない」。
むむむ、こうなると、話はビミョーになってくる。
道真が大宰府に流されたのは901年1月。亡くなったのは903年2月。大宰府で暮らしたのは2年ほどであり、梅の花が見られたかどうか……。
――などと、いろいろなことを想像させる太宰府天満宮の「飛梅の伝説」である。
もし受験生が本稿を読んでいたら、ぜひとも空飛ぶ梅の木を想像するなどして、しばし気分を転換し、再び集中して受験に臨んでください。皆さまのご健闘をお祈りいたします。