【現地レポート】冬季五輪開幕から1年。平昌の地から東京を考える。「じつは当たり前じゃないこと」
東京の「近未来」はあるか。大会開幕1周年を機に現地を訪れる。
2月9日、平昌五輪が開幕してちょうど1年を迎えた。
月日が経つのは早いもので、もう1年経ったのだ。大会は2018年2月9日から2月25日まで行われ、その後パラリンピックが3月9日から3月18日まで行われた。
あの時以来、1年ぶりに開催地を訪れた。
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大会前は、
「試合会場の建設は間に合うの?(一時は2016年2月のプレ大会の開催危機説も出た)」
「まったく盛り上がっていない(2018年1月上旬時点でチケット売上枚数が最終目標の6割り程度だった)」
「地方自治体の開催費負担が増え、悲鳴(誘致時は予算8880億円の”スマート五輪を謳ったが、結局は1兆3000億円規模まで膨れ上がった)」
などと問題点を指摘された大会だったが、結局は大会直前から大きな盛り上がりを見せた。韓国国内では「インフラの水準、運営などで史上最高の大会だった」「南北関係改善に貢献した」と評価されている。2018年3月2日に韓国国内の世論調査会社「ギャロップ」が発表した結果によると、「成功」の返答が84%に達した。02年W杯の98%には及ばないが、非常に高い評価だったと言える。
はたして1年後、どう変わったのか。そして東京の地から見るべきものは何なのか。もちろん冬季五輪と夏季五輪は違う。地方都市で行われる五輪と、首都で行われるそれも違う。ただ、2018年と20年、同時代にアジアで行われるという点から何か見るべきものはないか。そこに東京の”近未来”はないか。
そういった点を探りに、現地を歩いた。
「変わらない」の声が大多数。大会前のスキー場付近の「立入禁止」の話も。
「なんにも変わってないですよ。五輪前とは。別に観光客が増えたわけじゃない。確かにこの辺の道路はよく整備されたけど、人が増えなきゃね……」
KTX(韓国の高速鉄道)珍富駅で降り、タクシーで当時の会場に向かう途中、運転手が言った。
何も変わっていない。
これが現地で聞こえてくる声の大多数だ。開催地最大の都市、江陵市で。屋外競技の多くが行われた平昌郡で。2日かけて現地で20人近くに話を聞いていったが、ほぼそうだった。特に平昌郡でその声を多く聞いた。
2010年台後半の五輪開催たるもの、そういうものなのか。大会期間中の「一時の楽しい思い出」が出来ることだけでもよしとすべきなのか。変化なしとは、失敗ではないのか。平昌は大会開催費用が1兆3000億円規模と言われ、東京は3兆円にも及ぶと言われるのだ。
そういったなかで、”変わった”という少ない意見をまずは紹介したい。そこには、東京で暮らす身からしても”もしかしたら、五輪をやった後の印象とはそういうものか”と感じさせるものがあった。
当時そのままの雰囲気。カーリング場で聞いた「変わった」という意見。
平昌郡と江陵では少し反応が違う。確かにそういった面はあった。前者では主に屋外競技が行われ、江原道最大の都市江陵(人口約21万)では新たにインフラを設立して屋内競技が主に行われた。
KTX江陵駅からバスで15分ほどの江陵オリンピックパークを訪ねた。平昌五輪室内競技のアリーナが集まっている。スピードスケート、フィギュアスケート、そしてカーリングなどだ。一帯は大きなスポーツ公園になっており、敷地内の人工芝ピッチでは学生がボールを蹴る姿もあった。
そのうち、カーリング場を覗いてみた。
入り口ゲートを押してみると、そのまま入れる。地下にスケートリンクがあるようで、教室に通う子どもたちの姿もある。
カーリング場、と書かれたドアをさらに押した。中に入れる。
カーリングのユニフォーム姿の男性に「どうやって入ってきたのですか? 本来は入れないんですが……まあちょっとだけ観た後に外に出て下さい」と言われた。そこでは男性チームが練習をしていた。
当時の雰囲気、そのままだった。
オリンピックで藤澤五月率いるチームと、韓国の”メガネ先輩”のチームが女子3位決定戦で対戦した平昌五輪当時のままだ。五輪後もアジアの大会が行われており、雰囲気が維持されている。
同じようにフラッと中に入ってきた韓国のお母さんと女の子がいた。話しかけてみる。「東京でもオリンピックがあるんです」というと「あー、そうでしたね!」という反応。聞いたことがあるが、今言われて思い出したというような。
ここでは、「オリンピックをやってなにか変わったか」という質問から、より具体的に、この点を聞いてみた。
――子どもたちのスポーツをする環境は変わったでしょうか?
「変わったと思います」
――インフラでしょうか?
「いえ。子どもたちの意識です。スポーツへの興味が生まれてきていると思います。意識が高まったと言うか」
施設内にキム・ヨナと思われる人物の競技中の絵が飾られていた。女の子が興奮気味に口にした。
「うわー。私もこんな風に踊ったらとても可愛いんじゃないかと思う」
思わずこちらから、「踊ります、と言い切らないと!」とツッコミを入れてしまった。余談だが。
2月8日の夜は、江陵駅近くに宿を取り、マイナス7度で凍えた体を暖めるべく、サウナに行った。カウンターの女性(50代)に”五輪後、変わったことがあるか?”と聞いてみた。こんな反応があった。
「少し変化はあると思います。観光の面です。週末ごとに市内のギョンポのビーチを見に来る観光客が確かに増えました。五輪を機にKTXが繋がり、江原道のPRも行き届いたからだと思います」
五輪を開催した”体感効果”とは、こういった漠然としたものなのか。抽象的な「良かった」という世論調査結果が、成功を意味するのか。そこまでの問題点も吹き飛んでしまうのか。こういった点を考えさせられた。
いっぽうで、”また来たいと思ってもらう”という点は、漠然とした点ながら重要なおろそかに出来ないとも感じた。筆者自身、「また訪れる身」になったからだ。今回、江陵駅近くのエリアに平昌五輪以来1年ぶりに訪問した。大会中の”行きつけの店”のカフェや食堂のおばちゃんとも楽しく挨拶した。”五輪があったから生まれた縁だな”と思う。こんな遠くの場所に。個人的には江原道は韓国のなかでもっとも縁遠いエリアだった。
いっぽうで、やはり強調したいのは”変わらなかった”という話だ。
大会の熱狂を呼んだ「あの会場」が、今はガランとした更地に
スキー会場ジャンプ競技、ボブスレー競技などの会場となった珍富(チンブ)駅近くでは、思わず切なくなるような話を聞いた。
駅からタクシーで15分ほどのテグァンリョンに向かう。開会式・閉会式が行われた会場だ。道すがら、タクシー運転手がこんな話をしていた。
「何も変わらないよ。観光客が増えるわけでもない。今年は雪が少ないからスキー客もそれほど。江陵のほうは少し良くなったとは聞くけど」
確かに江原道最大の都市・江陵と、大会の名称となった平昌郡の間の格差は、大会後の遺恨にもなっている。2月9日の五輪1周年行事の開催地を巡って、平昌郡側から「江陵市開催反対」のデモまでが起きた。結局、歌手などの公演は江陵市、その他のセレモニーは平昌郡で行う「分催」のかたちで落ち着いた。
大会時、郡内のスキー会場付近ではこんな出来事もあったのだという。
「私は今でも、大会前から大会中のスキー場周辺の飲食店・宿泊施設への仕打ちを思い出すと心穏やかではありません。儲かりそうだった大会前から大会中は警備のために近隣が立入禁止に。当然営業が出来ない。通常営業の利益も失ったのです。政府はこの間の補償をしない。スキー場自体ももちろん一般客が使えず、そこに対しては補償があったんだけど」(同タクシー選手)
タクシー運転手の”嘆き”は続いた。
「もしそこに博物館でもあれば、なにか違うんでしょうが。あるいは現場周辺を見渡すゴンドラでも残していれば。あれじゃ、五輪をここでやったという意味もさっぱり消えてしまいますよね。もちろん、施設の維持費も考えなければならないんでしょうが」
そこ、とは大会の開会式・閉会式の会場となった"平昌オリンピックスタジアム”のことだ。
現場に行く前に、一番近い食堂に入り、暖を採りつつ食事をした。店の主人(50代男性)もこの話をしていた。
「五輪が終わっても何も変わらない。景気が悪いから。もしそこに博物館でもできれば、話は違うと思うんだけど。今は聖火台と一部建物が残っているだけだよ」
確かにそこを訪れて、少しゾッとした。
メインスタジアム跡は更地となり、枯れ芝となっている。
そこでは9日の記念行事に出演する軍人たちがリハーサルを行っていた。
さらに聖火台の周辺は、大きめの石が敷き詰められた砂利になっていた。
平昌オリンピックスタジアム関連データは次のとおりだ。
- 3万5000人収容
- 建設費用 940億ウォン(約91億6400万円 ※2019年2月9日現在レートによる)
- 撤収費用 305億ウォン(約29億7300万円 同)
- 着工 2016年
- 完成日 2017年9月30日
- 撤去開始日 2018年3月21日
- 使用回数 4回(オリンピック、パラリンピックの開幕・閉幕式)。
- 1回あたりの使用料 158億ウォン(15億4000万円)
パラリンピックの閉幕式が3月18日だから、その3日後から早くも解体が始まっていたことになる。
背景には、建設費の50%のみが政府負担だった点が挙げられる。もともと韓国の「五輪特別法」では、競技インフラの建設、改修費用は「政府75%負担」と決められている。しかし韓国政府は、開会式・閉会式会場を「使用頻度が少ない」として同法の適用範囲外と決めた。これに地方自治体である江原道側が反発した。
大会後すぐの解体に対し、国内最大の通信社「聯合ニュース」は、アメリカCBSの報道を引用し、「シビアだが、実用的な判断」と報じた。
いっぽう2018年2月23日に「平昌五輪記念館建設推進委員会」が記者会見を行い、「東京、次回冬季五輪開催の北京の今後の五輪開催国では大会の遺産を記録する計画を立てている。平昌も現在と未来を繋ぐ文化遺産を建てることに意義がある」と発表した。
しかし実際に1年後の今も記念博物館はオープンしていない状況だ。
東京・国立競技場は”残る”。
東京五輪と平昌五輪は違う。夏季と冬季、首都と地方都市。この2点の違いだけでも大きなもの。今回開催地を歩いて、その点を再度確認した。平昌五輪の目に見えるもっとも大きな成果が「江陵市への国内観光の活性化」だとしたら、これは東京には当てはまりにくいだろう。五輪を機に東京の街が国内により知られる機会になるとは考えにくい。すでに多くが来ているのだ。ましてや韓国のように、国内交通インフラが五輪を機に決定的に変わることもない。
違うなかでも、東京と平昌を比較して、言えることがある。
そこでオリンピックをやった象徴、つまりメインスタジアムの思い出が残ることは、”当たり前”ではない。この点だ。
平昌は残酷とまで言える姿になっていた。室内競技をすべて近隣の江陵市で行い、開幕式・閉幕式は平昌郡でやるという特殊な事情はあったにせよ。
2012年ロンドン五輪のメイン会場は大会後改修され、2017年のリオ五輪の開会式・閉会式が行われたマラカナンスタジアムは廃墟と化しているという。
2020年の東京五輪では、せめて思い出の地が残る。2017年11月、五輪後は球技場に生まれ変わることが決定となったが、新国立競技場は残る。都心に残る。繰り返しになるが、これは近年の五輪の歴史上、決して当たり前のことではないのだ。
このインフラを拠点に、あるいは象徴として、スポーツを観る環境、やる環境がよくなるきっかけに。東京五輪をそういう機会にすべきだ。メイン会場が残る点は東京五輪のよい点だからだ。特に”やる環境”に関しては、ソフト面のアイデアをこの先もどんどん出していけるのではないか。
他に何が”五輪を通じて良くなった”と体感できうるだろうか。ちょっと今の段階では想像できない。あとは、外国人観光客を迎えるべく、東京を中心にキャッシュレスのシステム整備が進むことくらいか。
平昌五輪聖火台周辺の砂利道を踏みしめるとギュッ、ギュッと大きな音が鳴る。そこを歩きながら、そんなことを思った。