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【オウム裁判】検察の上告は刑事司法の原則に対する挑戦では

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
裁判の舞台は最高裁判所へ移った

オウム真理教による都庁小包爆弾事件で殺人未遂幇助で一審有罪とされた菊地直子被告に対し、逆転無罪とした東京高裁判決を不服として、東京高検が上告した。報道によれば、検察側は、裁判員裁判の一審の判断を尊重するとした最高裁判例に違反する、と上告理由を説明している、という。

裁判長バッシングの言説も

逮捕された直後の菊地被告
逮捕された直後の菊地被告

裁判員裁判が出した有罪判決を、職業裁判官のみの高裁が覆したことについて、裁判員経験者らの不満の声がマスメディア上でも伝えられていた。控訴審判決に疑問視し、社説で「最高裁で、裁判員制度の意義についても再確認し、言及する必要があるのではないか」と、上告を勧めた新聞もあった。裁判長個人を非難する言説も飛び出した。その最たるものが、辛坊治郎氏のコラム「菊地直子元信者の逆転無罪は裁判員制度の否定では」で、大島隆明裁判長を「この裁判官、裁判員制度嫌いなのね」などと揶揄。同コラムのデタラメ加減については後で触れるが、裁判員裁判で有罪になった事件を控訴審で無罪にするとはけしからんと言わんばかりの論調は、もはや日本の刑事司法制度そのものを否定しているとしか言いようがない。

それにしても、裁判員裁判の判断が二審で覆るのは、「裁判員制度の意義」にまで言及しなければならないほど、特別なことなのだろうか。

逆転判決を調べてみると…

無罪→有罪→無罪となった覚せい剤密輸事件

新聞のデータベースを使って調べてみると、控訴審で一審の事実認定が破棄され、結論が逆転したり、一審差し戻しになった例は、結構みつかる。

その第一号となったのが、千葉地裁が一審を担当した覚せい剤密輸事件。マレーシアから帰国した男性のボストンバッグに入っていたチョコレート缶3個などに覚せい剤が入っているのを、税関検査で見つかった。男性は、偽造旅券を運んだことは認めたが、チョコ缶はお土産に託されたものだと主張。覚せい剤との認識があったのかどうかが、問題になった。検察側は、認識していたと主張したが、2010年6月に出された一審の裁判員裁判は、「被告人が違法薬物と当然に分かったはずとまではいえない」として無罪とした(検察官の求刑は懲役12年罰金600万円)。

覚せい剤密輸事件を逆転有罪とした東京高裁
覚せい剤密輸事件を逆転有罪とした東京高裁

これを不服として、検察側が控訴した。東京高裁は2011年3月、男性が税関検査で「他人から預かったものはない」と申告したことや、逮捕後の供述に一部変遷があることなどから、「被告人の覚せい剤の認識があった認めるのが相当」として一審判決を破棄。懲役10年罰金600万円の逆転有罪判決を下した。2009年に裁判員制度が始まってから、初めての逆転有罪判決だった。

ところが、この判決は、上告審で再度ひっくり返される。

最高裁は2012年2月の判決で、「事後的審査である控訴審における事実誤認の審査は、第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則、経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきもの」と判示した。裁判員裁判が導入され、一審での直接主義・口頭主義が徹底された状況では、なおさらそのようにあるべきだと強調。そのうえで、控訴審判決は「一審判決が論理則、経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものとは評価することができない」として破棄し、一審の無罪判決を支持する「控訴棄却」を判決した。

無罪→有罪→有罪はこんなに

一審判決尊重のルールを示したとも言えるが、かといって、一審判決が常に最高裁に指示されるわけではない。むしろ逆のケースがしばしば見られる。特に覚せい剤の密輸事件では、一審の裁判員裁判で無罪となり、控訴審で逆転有罪になったケースが相次ぎ、その有罪判決が次々に最高裁に支持されて確定している。

▽覚せい剤6キロ密輸で日本での受け取り役となったメキシコ人

東京地裁 無罪 → 東京高裁 懲役12年罰金600万円 →最高裁 上告棄却(2013.04)

▽西アフリカのベナンからスーツケースに入れた覚せい剤2.5キロを運んだ英国人

千葉地裁 無罪 → 東京高裁 懲役10年罰金500万円 →最高裁 上告棄却(2013.10)

▽覚せい剤約6キロ入りのスーツケースをカナダから運んだ日本人

千葉地裁 無罪 → 東京高裁 懲役11年罰金600万円 → 最高裁 上告棄却(2015.02)

▽タイから覚せい剤約16キロを運んだイラン人

東京地裁 無罪 → 東京高裁 懲役18年罰金800万円 → 最高裁 上告棄却(2015.02)

殺人でも、同様の経過をたどった事件がある。

▽配下の暴力団組長に殺人の指示があったか否かが問われた暴力団幹部の事件

神戸地裁 無罪 → 大阪高裁 懲役20年 → 最高裁 上告棄却(2015.06)

菊地被告への高裁判決が、裁判員制度を否定していると憤る辛坊氏らは、こういう逆転有罪判決の時に、何を語っていたのだろうか?(もしかして、単に無罪が嫌いなだけ?)

有罪→無罪のケースも

今回のように、一審の裁判員裁判の有罪判決が、控訴審で無罪に転じるケースもある。

▽責任能力の有無が争われた母親殺害事件

大分地裁 心神耗弱を認め懲役3年保護観察付執行猶予5年

福岡高裁 責任能力を認めず、無罪

▽直接証拠がない否認放火事件

福岡地裁 車への放火は無罪。現住建造物放火のみ有罪で懲役4年

福岡高裁 「被告が犯人と推認するには疑いが残る」と現住建造物放火も無罪

最高裁  上告棄却で無罪確定

▽けんかで正当防衛が争われた傷害致死事件

横浜地裁 「反撃として許される相当な範囲を逸脱していた」と懲役2年6月

東京高裁 「身を守るための正当防衛だった」と無罪

▽バーで働く女性に対する強制わいせつ事件

京都地裁 懲役2年

大阪高裁 再捜査で明らかになった事実で被害者証言の信用性が否定され、無罪

2件目の福岡の放火事件以外、検察側は逆転無罪判決を受け入れて、高裁段階で判決が確定している。福岡の件も、最高裁で検察側の主張は退けられ、高裁の無罪判決が確定した。

一審に差し戻された事件

高裁が一審判決を破棄しながら、自判せずに一審へ差し戻す事例もある。地裁の差し戻し審も、裁判員で行われる。ただ、差し戻しの控訴審判決を不服として、上告がなされると、いったん最高裁の判断を仰ぐので、裁判所を行ったり来たりする事態になる。たとえば――

▽共謀の有無が争われた強盗殺人事件

仙台地裁 共謀を認めず、強盗致死に留まるとして懲役15年

仙台高裁 共謀の可能性が濃厚として、地裁に差し戻し(被告が上告)

最高裁  控訴審判決を支持

仙台地裁 共謀を認め、強盗殺人罪で無期懲役

仙台高裁 地裁判決を破棄。共謀は認めるが、量刑が重すぎるとして懲役15年

(被告が最高裁に上告するも、途中で取り下げて確定)

▽トルコから覚せい剤4キロを運んだイラン人の事件

大阪地裁 無罪

大阪高裁 破棄差し戻し(被告が上告)

最高裁  控訴審判決を支持

大阪地裁 懲役15年罰金750万

他にも、秋田の弁護士殺害や三鷹ストーカー殺人事件、同居の妹を死なせたとして兄が保護者責任遺棄致死に問われた広島の事件でも、控訴審が一審への差し戻し判決を出している。ただ、秋田と広島の事件では、差し戻しとした控訴審判決を最高裁が破棄し、高裁に差し戻したため、地裁で差し戻し審が開かれることなく、差し戻し控訴審が自判した。

こう見ていくと、裁判員の判断が覆るケースは多いように感じるかもしれない。

しかし、平成21年から昨年までの間に、裁判員裁判で裁かれた被告人は7410人に上るのだ。それを考えれば、結論が覆される、こうした事例はごくわずか、と言えるだろう。ちなみに、一審が裁判員裁判だった事件の控訴審では、一審判決破棄率は7.4%(09~14年の最高裁判所事務総局作成「裁判員裁判の実施状況等に関する資料」から計算)と、裁判員裁判が始まる前の破棄率の半分程度。しかも、破棄された多くは、一審判決後の情状が量刑に反映されたもので、裁判員裁判の事実認定を否定したわけではない。高裁が裁判員裁判の判決を尊重していることは、こうしたデータからも伺える。

三鷹ストーカー事件が差し戻されたワケ

そうはいっても、人間の営みには時々間違いが生じる。裁判員裁判でも間違うことはあろう。その場合には、正さなければならない。裁判員ではなく、裁判が始まる前の公判前整理手続での論点整理における裁判長の判断に問題がある場合もある。

たとえば三鷹ストーカー事件。菊地被告の控訴審と同じ大島隆明裁判長が、起訴事実にない罪名で実質的に処罰しているとして、一審の東京地裁立川支部に差し戻した。この判決では、「裁判官による論点整理や審理の進め方に誤りがある」と指摘。検察側は上告せず、被告人を児童ポルノ禁止法違反などで追起訴し、来年3月に始まる差し戻しの一審に備えている。

先の辛坊コラムでは、この差し戻し判決を大島裁判長の「裁判員嫌い」の例にあげて、「そこにあるのは、この裁判官の『法律の素人の分際で』という困った思想なんじゃないでしょうか?」などと腐(くさ)している。そんな裁判長だから、菊地被告の場合も、「(一審が)プロの裁判官だけによる判決だったなら、高裁判事は、そのまま有罪判決を踏襲していたと思う」とも書いている。しかし、三鷹ストーカー事件での高裁判決が批判しているのは、一審裁判長の訴訟指揮であることは明らかだ。メディアで他人の仕事をけなす時には、せめて判決を報じた記事くらいは読んでからにして欲しいものである。

控訴審判決のキーワードは「論理則、経験則」

法廷での菊地被告
法廷での菊地被告

菊地被告の裁判で上告した検察側は、先に紹介した、一審を尊重するとした覚せい剤事件の最高裁判例を利用する、と報じられている。控訴審判決は、一審判決が論理則、経験則等に照らして不合理であるとしっかり示していない、という主張をするらしい。

しかし、今回の控訴審判決は、この判例を意識してだろう、「論理則、経験則」をキーワードに一審判決を子細に検討し、その結果「合理性を欠いている」との判断を導き出している。

たとえば、一審判決は、菊地被告が運んだ薬品は「濃硝酸5、6本など多量」であり、ラベルに「劇物」とあることなどから、井上嘉浩死刑囚ら幹部が危険な化合物を大量に製造することを認識した、と推認。さらに、その物質を使って事件を起こし、人が殺傷されることもあると認識した、とまで認定した。

これに対し控訴審判決は、運んだ薬品の量が「多量」かどうかはともかく、扱いを誤ると皮膚がただれるなどといった「劇物」の危険性と、爆発物や毒ガスなどの危険性とはレベルが全く異なる、と指摘。ラベルに「劇物」と記載されているからといって、誰もが爆薬など、人を殺傷する危険な化合物を大量製造することまで想起できるものではない、として、一挙に人を殺傷する認識にまで飛躍した一審判決を、「論理則、経験則」に反するとしている。

井上死刑囚の証言の信用性も、多くの関係者が記憶を蘇らせるのに苦労する中、本人に影響がないようなエピソードまで「不自然に詳細かつ具体的」と指摘する一方、井上証言を前提に検討を加えたり、他の人の証言と突き合わせたりと、様々な角度から、その信用性を合理的に判断しようと努めている。

上告審で問われるものは…

この丁寧な判断を最高裁が覆し、大胆な「推測」「推認」で有罪を決めた一審判決を支持するならば、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則は、大きく揺らぐことになるのではないか。有罪認定には、「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」を検察側に課してきた原則を崩し、裁判員裁判の場合は証拠が薄弱で他の可能性があっても、「想像」と「常識」によって起訴事実を認定してよい、ということになってしまうからだ。上告審で問われることになるのは、「裁判員制度の意義」ではなく、まさに刑事裁判における有罪認定のあり方そのものだろう。

それを考えれば、この判例違反を主張しても、認められる可能性は極めて低いのではないか。というより、他の様々な事件で冤罪を生まないためにも、そうあらねばならない、と思う。

今回の検察の上告は、いわば刑事司法の原則に対する挑戦とも言えるだろう。今後の状況を注意深く見守りたい。

「常識」と裁判とオウム

ところで、例の辛坊コラムだが、控訴審判決を「『非常識』な判決」とこき下ろす一方で、菊地被告を有罪にするのが「常識」だとぶち上げている。法と証拠と良心に基づいた合理的な判断ではなく、「常識」で裁けというのでは、まさに刑事司法の否定だろう。

彼は、「私、オウムの事件にはちょっと詳しいんです」と書いて、村井秀夫元幹部にインタビューしたり、番組中に上祐史浩元幹部が「乱入」してきた思い出を書いたりもしている。ならば、オウムの「非常識」も十分経験したのではないか。「社会の常識はオウムの非常識」「オウムの非常識は社会の常識」は、当時オウム問題に関わった者の、いわば「常識」だった。

私たち社会の人々にとっては、地下鉄サリン事件がオウムの犯行というのは「常識」だったが、事件に関わっていないオウム信者の多くは、その「常識」を共有していなかった。強制捜査が始まった直後の彼らは、捜査は「宗教弾圧」であり、オウムの方こそ「毒ガス攻撃」を受けている被害者だという「非常識」な教団の説明を、鵜呑みにしていた。菊地被告もその1人だった。そんな状態の人の内心を、私たちの「常識」だけで推し量っても、あまり意味がない。

米軍ヘリがオウム施設に毒ガスがまいている、と信じていた頃の菊地被告
米軍ヘリがオウム施設に毒ガスがまいている、と信じていた頃の菊地被告

ちなみに菊地被告本人は、運んだ薬品の使い道について、「知らされませんでしたが、農薬を作るための実験に使用するためのものと、漠然と思っていました」と述べている。教祖の”ハルマゲドン予言”を信じていた彼女は、「戦争になれば、食糧を自給自足しなければいけない。その時のために、農薬を作る必要がある」と思っていた、という。いかにも荒唐無稽で「非常識」な話だが、当時のオウム信者の「常識」に沿う話ではある。

問題にしなければならないのは、人の心を支配し、まっとうな感覚を狂わせ、こんな歪んだ思考パターンを植え付けていくカルトの怖さだろう。連日のようにテレビ番組の司会者を務め、多くの人たちにメッセージを伝える立場にある辛坊氏には、オウムやその後継団体の「非常識」こそを、当時を知らない若い世代にしっかり伝えてもらいたい。刑事司法の原則を曲げてまで菊地被告を有罪にすることや、刑事司法の原則に則って無罪判決を出した裁判官をけなすことより、大切なのはそちらだと思う。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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