【京都市】中京区 日本最古の石橋&切支丹の札、毒薬の礼が掲げられた『高札場』
歌川広重の有名な浮世絵である『東海道五十三次』、その最終地点とされる『三条大橋』。
そこには、以前も記事に書いたように、弥次さん喜多さんの銅像や、池田屋刀傷があり歴史感満載。
そして、橋の反対側に行くと『旧三条大橋』の石柱が立っていました。ここを毎週のように通っていた私ですが、立て札が建てられていたことに気がつかずにいました。
豊臣秀吉の名により増田長盛 ( ました ながもり )が奉行となり、天正 十八年( 1590 )正月に日本で初めての石橋として架けられたと書かれています。
三条大橋が、日本で初めての石橋だということを初めて知りました!なるほど、古い橋だとは思っていましたが…まさか、最古だったとは!
鴨川沿いを自転車で走ると清々しくすっきりした気分になるのですが、三条大橋の下を通るときはいつも上を見上げて、落ちないかを心配してします…
どうやら、現在の三条大橋の下流側の橋脚にも当時の石柱が使われているそうですよ♪
も一つ、私の注意を引いたのが、『高札場』の立て札。幕府が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板に書き、人目を引くように高く掲げていたそうです。
「親子兄弟の札」「駄賃の札」「切支丹の札」「毒薬の札」があり、享保4年に追加された「火を付ける者の札」文化2年の密輸品に関する「唐物抜荷之儀の札」などもあったそう。
この『三条高札』は有名だったようで、「都名所図絵」や「都の魁」にも描かれていたり、歌川広重のかの有名な画である「東海道五十三次・江戸・日本橋」に出てくる浮世絵にも描かれているそうです!
キリシタンの不審者を発見すれば銀五百枚の褒美が出るとした「切支丹の札」や毒薬、偽薬の売買を禁じた「毒薬の札」など、時代を映し出していますね…
特にキリシタン禁制の高札は1873(明治6)年になるまで掲げられていたそうですよ!
京都を流れる鴨川に架かる『三条大橋』ですが、このエリアを『三条河原』と呼びます。
カップルが等間隔で座ってロマンチックな時間を過ごす、ということでこのエリアは観光地としても人気が高いですが、京都の人にとってはこの地域の川岸は、罪人の処刑や晒し首の舞台となった場所と認識している人も多いのでは…
大泥棒と呼ばれた石川五右衛門と三条河原における処刑の記述が確認されているなど、史実だそうです。
私も、かつて若いときに帰りが午前様になってしまい、この辺りを歩くのが少し怖かったのを覚えています…汗
暑い夏の京都で、いろんな意味で涼しく過ごせる場所の一つと言えますねw
三条大橋西詰の御高札場
(現近江屋ビル前広場)
場所:京都市中京区中島町付近