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甲子園超満員 横浜-秀岳館激闘! 

森本栄浩毎日放送アナウンサー
早朝から超満員となった甲子園。強豪同士の好カードは期待通りの熱戦になった

 大会4日目は、雨天順延もあって祝日と重なり、早朝6時半に満員となった(タイトル写真)。出場8校中6校が甲子園の優勝経験校で、第1試合から激しい攻防が繰り広げられた。とりわけ注目されたのが、第2試合の横浜(神奈川)と秀岳館(熊本)の一戦。優勝候補筆頭の大阪桐蔭を追う2強がいきなり初戦でぶつかった。

監督退任の秀岳館は初回猛攻

 秀岳館は甲子園の優勝経験校ではないが、昨春から3大会連続甲子園4強という実績は、今大会随一だ。しかも、鍛冶舎巧監督(67)が、今大会限りで退任することが発表され、選手たちは、「監督を日本一に」と燃えている。その思いが初回から爆発した。トップの竹輪涼介(3年)が、横浜先発の右腕塩原陸(3年)の2球目をとらえると、打球はあっという間に右翼線を破り三塁打となった。

初回猛攻の秀岳館は、4番広部があわや本塁打かという豪快な適時二塁打で勢いづく
初回猛攻の秀岳館は、4番広部があわや本塁打かという豪快な適時二塁打で勢いづく

続く半情冬馬(3年)の犠飛であっさり先制すると、木本凌雅(3年)も安打で出塁。ここで広部就平(3年=主将)が左中間フェンス直撃の適時二塁打。一気の猛攻でさらに加点した秀岳館が3点を奪った。

横浜は継投で1年好投

 追う横浜は2回に先頭の4番増田珠(3年)が死球で出塁するが、万波中正(3年)は空振りの三振。スタートを切っていた増田が二塁で憤死するなど攻撃に焦りが見られる。3回の守りでは失策が失点につながり完全に主導権を相手に渡した。平田徹監督(34)は早くも継投に入り、奥村京平(3年)からU15日本代表のエース格だった逸材左腕及川(およかわ)雅貴(1年)を3番手でマウンドに送った。及川は期待に応え、3回を1安打無失点と好投。この間に1点を返し、徐々に流れは横浜に傾き始める。

秀岳館 代打成功も救援投手不調

 4-1とリードした秀岳館は7回、鍛冶舎監督が勝負に出る。横浜3番手の万波に対し2死から満塁とすると、打順は好投していた先発の川端健斗(3年)に。川端は6回を2安打5三振の1失点と強打の横浜をほぼ完璧に抑えていたが、代打に橋口将崇(2年)を起用した。ここで橋口は2者を還す適時打でその差を5点と広げて、田浦文丸(3年)に残る3回を託す。

秀岳館の2番手田浦は、足がつって苦しい投球。変化球でかわし、辛くも逃げ切った
秀岳館の2番手田浦は、足がつって苦しい投球。変化球でかわし、辛くも逃げ切った

ところが猛暑の中、右翼守備でフル出場だった田浦は、「マウンドに上がった時点で足がつっていた」と本来からはほど遠い出来。踏ん張りが利かないため直球が走らず、苦しい投球となった。味方失策からピンチを招くと、横浜6番福永奨(3年=主将)に3ランを浴び、2点差に迫られてしまった。

経験の差が勝敗分ける

 6-4で8、9回。横浜は十分に挽回可能な点差だったが、秀岳館の経験がここで生きる。「(捕手の)幸地(竜弥=3年)が、足に負担がかからないよう、うまく変化球を要求してくれた」と田浦が話すように、8回以降はチェンジアップでタイミングを外して横浜打線をかわした。鍛冶舎監督も、「横浜打線の力を考えたらギリギリだったが、経験豊富な二人の投手がよく逃げ切ってくれた」と選手の頑張りを称えた。一方、横浜の平田監督は、「ウチは発展途上。立ち上がりなどの大事な場面で、経験不足、力不足が露見した」と肩を落とした。横浜は、相手先発の川端を打てなかったのが敗因で、「全国トップレベルの川端君を打って点が取れるとは思っていなかったが、ストレートの威力がすばらしく完敗」と平田監督も潔く敗戦を受け入れた。立ち上がりの3点が大きく、下級生中心の横浜打線はつながりを欠いたが、走塁死や盗塁死が目立った。じっくり川端を攻めて、もう少し早く田浦を引っ張り出せるような展開になっていれば違った結果になっていたかもしれない。

横浜は下級生充実 来年に期待

 それでも5番手で最後を締めた左腕の板川佳矢(2年)や1年生の及川、万波ら投手陣をはじめ、1番に起用された小泉龍之介(1年)や、2、3番の山崎拳登(2年)、斉藤大輝(2年)ら、下級生はベンチ入り18人中12人に及ぶ。

横浜の及川は3回無失点。「秀岳館を抑えられて自信がついた」と手応えを掴んだ様子
横浜の及川は3回無失点。「秀岳館を抑えられて自信がついた」と手応えを掴んだ様子

及川は、「また甲子園に戻ってきたい。チーム内で競争があればチーム力は上がると思う。僕は(エースの)板川さんを抜くぐらいの気持ちで頑張りたい」と早くも来年を見据えていた。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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