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沖縄から神戸にやってきた悲運のエース・津嘉山は、ソフトバンクの育成から日本を代表する投手をめざす!

森本栄浩毎日放送アナウンサー
昨夏の兵庫大会で報徳を相手に力投する津嘉山。一番印象に残る試合だった(筆者撮影)

 好投手が目白押しの兵庫に、異色のエースがいた。今夏、エース番号「1」を背負いながら、一度もマウンドに立てなかった神戸国際大付津嘉山憲志郎だ。彼は2年前、はるばる沖縄から神戸にやってきた。沖縄ナンバーワンの呼び声に違わぬ活躍で、1年夏から早くも主戦級。しかしあと一歩で、甲子園に手が届かないまま、昨夏の新チームがスタート。津嘉山は主将も任された。

昨年8月下旬、ひじに痛みを発症

 暗転したのは兵庫大会から1か月後の8月下旬、海星(三重)との練習試合で、ひじに痛みを感じた。1年から大車輪で投げてきたが、故障らしい故障は初めてだった。9月はケアにあて、センバツが懸かる秋季大会に備えたが、症状はなかなか改善しない。そうこうしているうちに、県大会準々決勝で、ライバルの報徳学園と当たることになった。前チームでもしのぎを削り、2か月前には熱戦の末、報徳の春夏連続出場を阻んでいる。牙をむいてくることは当然だった。青木尚龍監督(60)はこの大一番、迷わず津嘉山を先発に指名した。

昨秋の報徳戦が公式戦最後のマウンド

 1、2回は無難に抑えた津嘉山だったが、3回に二つの四球から崩れる。報徳の4番に逆転打を浴び、3回でマウンドを降りた。2安打2失点。「1試合で一つあるかどうか」(青木監督)という与四球3が不調を物語る。

ひじの不調を抱えながら投げた2年秋の報徳戦。3回で2点を失い、マウンドを後続に譲った。このあと、ひじを手術し、結果的に高校最後の公式戦マウンドになった(23年9月30日、筆者撮影)
ひじの不調を抱えながら投げた2年秋の報徳戦。3回で2点を失い、マウンドを後続に譲った。このあと、ひじを手術し、結果的に高校最後の公式戦マウンドになった(23年9月30日、筆者撮影)

 青木監督も「四球から失点して、辛かったと思う」と、苦渋の決断で控え投手に代えた。結果的にこれが津嘉山の最後の公式戦登板となる。攻撃陣も報徳の今朝丸裕喜(阪神から2位指名)から2得点にとどまり、チームは2-5で敗戦。センバツは夢と消えた。

昨年11月にTJ手術でひじにメス

 甲子園チャンスは最後の夏しかなくなったが、津嘉山も苦渋の決断を迫られた。野球ファンなら一度は耳にしたことがあるだろう。多くの大投手を蘇らせたトミー・ジョン(TJ)手術=側副靱帯再建術で、ひじにメスを入れることにした。投球再開まで1年近くかかると言われ、夏のマウンド復帰は絶望となる。結局、11月に手術し、冒頭のように、7月の県大会はエース番号ながら、伝令と代打でチームを盛り上げるしかなかった。大黒柱不在とあっては、激戦の兵庫は勝ち抜けない。準々決勝で東洋大姫路に敗れ、甲子園の土を踏むことなく、津嘉山の高校野球生活は終わりを告げた。

一昨年、兵庫決勝の21人連続アウトなど離れ業も

 1年夏は、決勝で6回からマウンドに上がり、先頭に四球を与えただけで、タイブレークに入る12回(当時)まで、21人連続アウトという離れ業をやってのけた。しかし試合は、にタイブレーク負け。秋は近畿大会1回戦で大阪桐蔭と当たり、前田悠伍(ソフトバンク)と投げ合いを演じたが、初回に浴びた満塁本塁打を挽回できず、惜敗。センバツは補欠校にとどまった。

ライバルの報徳を3-2で破り、雄たけびを上げる津嘉山(中央)。本人も「いいピッチングができ、高校生活でも一番印象に残っている試合」と話す(タイトル写真とも、23年7月21日、筆者撮影)
ライバルの報徳を3-2で破り、雄たけびを上げる津嘉山(中央)。本人も「いいピッチングができ、高校生活でも一番印象に残っている試合」と話す(タイトル写真とも、23年7月21日、筆者撮影)

 そして昨夏は、ライバルの報徳を5回戦で破り(タイトル写真)ながら、またも社に準決勝でタイブレーク負けした。そして最終学年は自身の故障で、聖地・甲子園とは無縁に終わり、まさに「悲運のエース」だった津嘉山にも、野球の神様は微笑んだ。

「憧れの」ソフトバンクが指名!

 24日のドラフト会議。平静を装っていたが、何度もペットボトルのお茶を飲むなど、こちらまで緊張が伝わってくる。待つこと4時間。ようやくソフトバンクから、育成7巡目で指名を受けた。

ソフトバンクから指名を受け、安堵の表情を浮かべる津嘉山。「けがもあったが、素晴らしい仲間とやれて、学ぶことの多い3年間だった」と、高校野球生活を振り返った(10月24日、筆者撮影)
ソフトバンクから指名を受け、安堵の表情を浮かべる津嘉山。「けがもあったが、素晴らしい仲間とやれて、学ぶことの多い3年間だった」と、高校野球生活を振り返った(10月24日、筆者撮影)

 同級生や練習を終えて駆け付けた後輩たちから、一斉に拍手が沸き起こる。「小さい頃から憧れていた球団。頑張っていける第一歩になる」と、落ち着いた口調で答えた。「(ソフトバンクは)育成のシステム、施設などもすごいので、一日でも早く一軍に上がってファンの前で投げたい。そして、日本を背負っていけるような投手になりたい」と、大きな夢を語った。また「沖縄の人たち、子どもたちに勇気を与えられるように頑張りたい」と、故郷への思いも語った。

「本当にしっかりしている」と目を細める恩師

 目を細めて会見を聞いていた青木監督は、「自分から何でも考えて行動できる子。本当にしっかりしている。必ず活躍してくれると思う」と、教え子にエールを送った。

今夏の兵庫大会で、試合後に津嘉山(右)をねぎらう青木監督(中央)。「小学校の頃から見に来てもらっていた。『国際の津嘉山だ』と言われるような活躍がしたい」と、恩師へ恩返しを誓う(7月17日、筆者撮影)
今夏の兵庫大会で、試合後に津嘉山(右)をねぎらう青木監督(中央)。「小学校の頃から見に来てもらっていた。『国際の津嘉山だ』と言われるような活躍がしたい」と、恩師へ恩返しを誓う(7月17日、筆者撮影)

 すでに投球練習も再開していて、「6~7割の力で投げて、140キロを超えている」(青木監督)そうだ。トレーニングも欠かさずやっていて、体型も締まっている。昨秋、プロから指名された大学生が、慌ててTJ手術を受けた例が複数あった。最後のチャンスを棒に振る、ちょうど1年前の重い決断。それが正しかったことは、まもなく証明されるだろう。「悲運のエース」が「日本のエース」になる日は、必ずやってくる。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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