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北方領土 安倍・プーチン共同声明を読み解く

木村正人在英国際ジャーナリスト

安倍首相に妥協が許されるか

安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領が約3時間20分間会談したあと発表した共同声明には、北方領土問題について「双方に受け入れ可能な」解決策作成へ交渉を加速させることが盛り込まれた。

これが何を意味するのか、ロンドンを訪問中のモスクワ国際関係大学のアレクサンダー・ルキン副学長に聞いた。同大学はロシア外務省に属する外交専門家を養成するための学校だ。

「日本が南千島(北方領土)の帰属をまず解決するという立場を離れ、妥協するという原則で合意しない限り領土交渉は始まらない。領土問題で妥協なんかしたら、安倍首相は辞任しなければならなくなる。だから領土交渉は始まらない。これは政治的な話し合いに過ぎないのだよ」

日本では「首脳会談は成功した」という論評も聞かれるが、ルキン副学長はにべもなかった。

「平和条約は領土問題と切り離せばすぐにでも署名できる。しかし、日本側はこれまで平和条約と領土問題を結びつけてきた。領土問題が完全に暗礁に乗り上げているのは日本側の過ちだ。ロシアは妥協する用意があると何度も日本にヒントを送っている」

「2000年に大統領に就任したプーチン氏は、平和条約締結時に2島返還を約束した1956年の日ソ共同宣言に基づいて行動する用意ができているとシグナルを送ってきた。しかし、4島の主権が日本にあることをロシアがまず認めろ、そのあとに交渉だというのが日本の立場だ」

「これはロシアには受け入れることができない。ロシアにはこれを議論する理由がない。これではステイルメイトのままだ。私は日本が先に妥協するという原則でロシア側と合意すべきだと思っている」

こう説明するルキン副学長は、2004年にプーチン大統領と中国の胡錦濤国家主席が合意した中ロ国境協定が参考になると強調した。ルキン副学長によると、中ロ首脳はまず妥協することで合意したあと、特定の領土、条件などについて交渉し、「ヒフティ・ヒフティ」に折半することで合意した。

「2001年に中国とロシアはまず領土問題を解決するというフレームワーク合意に署名した。そして、領土交渉を始めた。最終的に04年に領土問題を解決した」

「中ロ国境は公式に変わったわけではない。しかし実際には変わった。それまでは国境沿いを流れる川の島々をロシアが実効支配していたが、分割した」とルキン副学長は語った。

ノルウェーとの間でロシアがバレンツ海と北極海の大陸棚海域の境界を画定する条約は参考にならないと退けた。

ヒフティ・ヒフティ方式

ルキン副学長が良き友として名前を挙げた北海道大学の岩下明裕教授がインターネット上で中ロ国境協定について詳しく解説している。

それによると、1990年代、ロシアと中国の東部国境に関する協定が結ばれたが、アムール川とウスリー川のアバガイト、ヘイシャーズ2島が棚上げされた。しかし、2004年、「相互に受け入れ可能な妥協」によって領土問題は解決した。

「双方の勝利」をアピールするため、領土を「ヒフティ・ヒフティ」に分けるというものだった。例えば、中国とロシアは、ヘイシャーズ島をほぼ等分に分けた。

岩下教授は、双方の信頼醸成が重要で、妥協を急げば「双方の勝利」が「双方の敗北」として国内の批判を浴びる恐れがあるとも指摘している。

ルキン副学長は「日本がすべてを手に入れることはできないと認めたとき初めてロシアは交渉に応じることができる。しかし、日本は譲歩することができない。そんなことをすれば国内の右派から裏切り者と攻撃される。だから日本が妥協するなんて信じていない」と突き放した。

「ロシアは領土問題にはまったく興味がない。ロシア国内でも領土問題で譲歩したと見られたら、批判を浴びる。日本の知人はどうしてロシアは譲歩しないのかと尋ねるが、ロシアが妥協する理由は何もない。1つでも理由があったら教えてほしい」

「私にはプーチン大統領の胸中は分からないし、大統領が妥協したがっているかどうかも分からない。ただ、彼がほのめかしているのはロシア側にはお互いに譲歩することで合意する用意があるということだ。条件はその後の交渉で決められていくことだ」

「今回もプーチン大統領からアプローチしたわけではない。安倍首相がロシアのTVインタビューで、日本は平和条約で交渉したいと呼びかけてきたのだ。日本が譲歩を望むならロシアには応じる用意がある。しかし、日本が譲歩しないから起こりようがない」

新しいロシアの外交政策について、ルキン副学長は「ロシアはトウ小平の韜光養晦(とうこうようかい、時が来るまで力をたくわえること)から学ぶべきだ。1853~56年のクリミア戦争でイギリスとフランスに負けたあと、ロシアの政策は国内の繁栄と安定を優先させた」と語った。

「国境で紛争を起こせば、ロシアは資源を無駄遣いするだけだ。国境を接する国々とは紛争を起こさずに友好な関係を築くべきだ。これはロシアの国益に関わる重要な問題だ」

共同声明に盛り込まれた外務・防衛担当閣僚級協議(2プラス2)については「朝鮮半島の問題や台頭する中国など少なくとも2つの問題でロシアと日本が話し合う必要がある。外交面だけでなく防衛面でもね。しかし、これは同盟ではなく、ただの協議だよ」と説明した。

対中武器輸出について、ルキン副学長は「中国には最先端兵器は輸出していない。ロシアは中国よりインドにより進んだ兵器を売っている。中国は友好国だから武器を輸出しているが、5年後には劇的に輸出量は減っている」と語った。

「北方領土での経済協力はどうか」と尋ねると、ルキン副学長は「南千島のことを言っているのか」と顔をしかめ、「もちろん大歓迎だよ。でも日本は拒否するだろうね。ロシアは一向に構わない。中国が喜んで投資してくれるからね」と語気を強めた。

プーチン氏の魔力

KGB(旧ソ連国家保安委員会)出身のプーチン大統領はケースオフィサーとしての顔を持つ。イタリアのベルルスコーニ元首相、ドイツのシュレーダー元首相、フィンランドのリッポネン元首相を取り込んで、天然ガス・パイプラインの計画を進めた。

プーチン大統領は北方領土問題で森喜朗元首相と安倍首相を見事にロシアに誘い込んだ。プーチン大統領のサークルに呼び込まれた商社のトップ、日本の特派員もその磁力に吸い付けられていく。

経済優先の日経新聞はこう書く。

気鋭の国際政治学者に聞いてみた。元外務次官の谷内正太郎・内閣官房参与が首相に一読を勧めている近刊『国際秩序』(中公新書)の著者である細谷雄一慶大教授だ。

「領土紛争をめぐるロシアの解決策はいつも等分方式です。時の政権がリスクを取って、そこまで下がる覚悟があるかどうかがポイントになります」

日経新聞のクイック投票は「北方領土、4島返還堅持は22%どまり」という見出しを掲げ、4島一括返還を堅持は22.6%、2島返還プラス継続協議は34.8%。これに対し、面積等分の3・5島返還は20.9%、3島返還は15.1%だったと報じている。

プーチン大統領は安倍首相との共同記者会見で、日本のTV記者が「ロシア政府が北方四島の開発を進めて実効支配を強めている」と質問したことに対し、「プロセスを妨げたいならば、激しい質問をして、同じように激しい回答を得ることになる」とやり込めた。

これに対して、日本のネット上ではプーチン大統領を称賛する声が相次いだ。

私たち日本人が忘れてはならないのは、北方領土は日本固有の領土であるということだ。ロシアは1993年の東京宣言で、領土問題は北方四島の帰属に関する問題であると認めている。

プーチン大統領の魔力で、日本が先に妥協するのが当然と考える人が急激に増えているのだろうか。北方領土を一部でも諦めたら、竹島どころか、中国がスキをうかがう尖閣諸島も危うくなる。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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