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これが死因だった!? 呆れるほどの大酒飲みだった上杉謙信

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
上杉謙信。(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「どうする家康」では、武田信玄が注目されたが、ライバルの上杉謙信は残念ながら登場しなかった。今回は、上杉謙信が大酒飲みだった事実を取り上げることにしよう。

 上杉謙信が大酒飲みだったことは、意外と知られていない。大酒飲みでありながらも、決して乱れることがなかったというから驚きだ。上杉神社(山形県米沢市)には、今も謙信が愛用したという馬上杯、春日杯が展示されている。

 謙信が愛用した春日杯は朱漆塗りの木製で、直径が10cm、深さが6.5cmもあったという。現在のおちょことは、比べ物にならないほど大きい。日夜、謙信は春日杯で酒をがぶ飲みしたようだ。

 謙信は梅干しを酒の肴にして、酒を飲んでいたと伝わる。梅干しは疲労回復の効能があり、二日酔いにも効いたからだというが、飲み過ぎても効果があるのだろうか。飲み過ぎると、体に悪いのは自明であろう。

 永禄2年(1559)に謙信が上洛した際、関白の近衛前嗣(のちの前久)、将軍の足利義輝と杯を酌み交わすことがあった。前嗣の書状には、夜明けまで大酒を飲んだので、二日酔いで出仕できなかった旨が記されている。以後も、たびたび酒宴が催された。

 天正6年(1578)3月9日、謙信は春日山城(新潟県上越市)の厠(かわや:トイレ)で倒れ、そのまま13日に亡くなった。謙信の病が治るよう、寺社で回復の祈願も行われたが、まったく効果がなかったのである。

 謙信の亡くなった原因は、柿崎景家(謙信の命で死罪に処されたという説がある)の亡霊に取りつかれたという説、織田信長が遣わした刺客によって厠で殺されたという説があるが、いずれも事実無根の虚説である。

 「上杉家文書」には、死因は「突然の虫気」と書かれている。虫気とは、中風、脳出血という意味なので、それが原因だったと考えるのが妥当であろう。謙信は大酒飲みで、しかも塩分が多い梅干しを肴にしていたのだからいたしかたない。高血圧も持病だったのではないか。

 謙信の辞世の詩は、「四十九年一睡夢 一期栄華一杯酒」(49年の生涯は一睡の夢のようだった。この世の栄華は1杯の酒のようなものだ)というものである。謙信は、本当に酒が好きだったようだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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