小沼健太(BC茨城)、千葉ロッテマリーンズに入団!小林宏之氏、福留孝介選手ほか大勢の人への感謝の思い
自らの手で運命の扉をノックし、その意思で道を切り拓いてきた。
そして―。
とうとう千葉ロッテマリーンズからドラフト指名された。
茨城アストロプラネッツの小沼健太投手は、子どものころから憧れたピンストライプのユニフォームに袖を通して、人懐っこい笑顔を弾けさせた。
■NPBとの選抜試合で最大のアピール
東総工高から独立リーグのBCリーグに入って4年目だ。大学生なら卒業の年で、これまで浮かびもしなかった就職のこともチラリと頭をよぎっていた。
「今年ダメだったらどうしよう…」。
ここまで経験を重ね、着実に成長してきた自負はある。しかし、それだけではNPB球団へのアピールとしては足りていない。ドラフト指名されるには何が必要で、何を魅せたらいいのか…。
最大のチャンスが訪れた。NPB(ファーム)との練習試合だ。例年は数球団と何試合か組まれるが、今年はコロナ禍の影響で、9月30日の東京ヤクルトスワローズとの1試合のみとなった。
小沼投手は当初、選抜メンバーからは漏れていた。しかし故障者が出たことで、急遽参戦できることになった。持っている。だからこそ、より思いきりよくいけたと振り返る。
まず1人目の打者の初球だ。渾身のストレートを投げ込んだ。
「決まった!まっすぐをアピールできたって思った」。
そこでカットボール、スライダー、フォークと速い系の変化球も使い、最後はインサイドにズバッと速球を投げ込んで空振り三振を取った。打者は完全に振り遅れていた。
2人目は緩いカーブも織り交ぜてレフトフライに仕留め、ラストバッターは再びストレートで攻めた。
「空振り、見逃し、ボール、で、空振り三振。4球全部、外のまっすぐで」。
完璧なまでの16球のデモに達成感、充実感が湧き上がってくるのを感じた。
過去3年、毎回選抜メンバーに入りながら、結果としては抑えても、まるでアピールできていなかった。マウンドで投げているときすでに、それを感じることもあった。
もうそんなことは絶対に嫌だ。悔いなく、すべての力を出しきりたかった。
そして…それができた。各球団のスカウトたちの注目を集め、その後の公式戦に度々視察に来てもらえるようになった。
■小林宏之氏直伝のスライダー
これまでの4年間、無駄なことは何一つなかった。培ってきたさまざまな経験が、選抜試合での好投に繋がったのだ。では、ここに至った小沼投手の4年間を振り返ろう。
最初に入った球団は武蔵ヒートベアーズ(現埼玉武蔵ヒートベアーズ)だった。そこで、今の小沼投手のベースを作る大きな出会いがあった。当時の監督だった小林宏之氏(現在はマリーンズ・ベースボール・アカデミーのコーチ)だ。
「お前は俺と似ている」と、同じく長身で細身の小沼投手を何かと気にかけてくれた。「お前のスタイルはこうだから」「こういう投げ方をしたらこうなるよ」などと丁寧に教えてくれ、「これ見とけ」と自身の現役時代の映像をDVDに焼いてくれたりもした。
印象に残っているのは7月のある日だ。遠征先で試合が雨天中止になり、「スライダーを教えてやる」と小雨の中、外で熱心に伝授してくれた。
それまで投げていた自身のスライダーは緩く、打たれることが多かったが、小林監督直伝のスライダーは「速くて急に曲がる。縦に割れるっていう感じ」だという。しかし、習得するのは容易ではなかった。「全然曲がらねぇじゃねぇか」と、手応えもまったく感じられなかった。
それでも8月の終わり、試合で使ってみることにした、「ほんとにいいのかよ」と思いつつ。すると、おもしろいようにバッターが振ってくれた。
「まっすぐに似てたんで、低めのまっすぐだと思って振ってくれるバッターがけっこう多かった」。
あの福井の地で一緒にずっと練習していた日のことは、今でも記憶の中に鮮明に残っている。そして習得したスライダーは、今でも投球の中で生命線となっている。
「宏之さんの存在は僕にとって、ものすごく大きかった」。
先発も中継ぎも経験した1年目は「何がなんだかわからないまま」シーズンを終えた。
独立リーグを選んだ時点で「1年でNPBに」という思いはあったが、「独立リーグくらいならいけるだろうという気持ちでいたら、レベルが全然違った」と己の力量のなさを思い知らされ、このままではダメだと痛感した。
■茨城アストロプラネッツに移籍して変身
武蔵での2年目は前期に3勝を挙げたが、角晃多監督の「中継ぎとしてもNPBのスカウトに見てもらいたい」という方向性のもと、後期は中継ぎに転向した。しかし納得いく成績は残せず、移籍する決意を固めた。
「環境を変えたいっていう意味もあって。環境のせいにするわけじゃないけど、変えてみてどうなるかは自分次第なんで」。
移籍先は新規球団の茨城アストロプラネッツに決まった。
ここで小沼投手にある変化が起こった。
「新人が多かったんで、自分が引っ張らないとと思った」。
やれるのは自分しかいないと、“目覚めた”のだ。これまでは先輩についていくだけで、自ら何か発言するようなこともなかった。
「引っ張ろうとした結果、自分が出せるようになったし、発言もできるようになった。発言することによって、相手からもアンサーが返ってくる。『ここをこうしたらいいと思う』って言ったら、相手からも『じゃ、こうしたらいいね』とか。武蔵では先輩とのそういうコミュニケーションの取り方がわからなかった。茨城では自由にやらせてもらって、自分でも変わったと思った」。
誰に言われたわけでもなく、自ら気づき、行動を起こしたのだ。
そうなるとプレーに対しても責任感が生まれる。ピッチングにも変化が表れた。先発ローテーションを守って137回を投げ、3勝14敗。3完投のうち2つは完封している。チームの戦力的に勝利数は伸びなかったが、エースとしてしっかりとイニングを消化した。
「自分でもここまで投げられるんだっていう自信もついたし、スピードもちょっとずつ上がっていった」。
規定投球回の約2年分となる投球回数は、リーグでも4番目の多さだった。
■150キロの壁を突破
しかし、なかなかスカウトの目に留まらず、ドラフト指名がないまま3年目が終わった。だが、それでも挑戦するという思いが萎えることはなかった。小沼投手にはまだ達成していないことがあったのだ。
それは「150キロ」―。
ここまでの最速は147キロで、なんとしても150キロを出し、その先にあるであろう「ドラフト指名」を手に入れたかった。
4年目の今季も当初は先発を続ける予定だった。しかし開幕前になって肘がちょっと重いなと感じた。ひとまず6月21日のホーム開幕戦では先発で5回を投げたが、やはり張りがあり、しばらく間隔を空けることになった。その間に、今年は中継ぎでいこうという断が下された。
肘への負担を考慮したことももちろんあるが、実はもう一つ、わけがあった。オープン戦で先発2回を投げたとき、見ていたマリーンズのスカウトの評価もよく、「中継ぎでもいいんじゃないか」と言ってくれていたのだ。
そういった理由が相まって、ホーム開幕戦から19日後の7月10日、今季2試合目の登板で中継ぎに入った。そしてその試合でなんと、いきなり150キロが出た。
「それで自信がついて、不安が消えた」。
これまで150キロを目標にやってきた。自分では、うまく抜きながら長いイニングをメリハリつけて組み立てる先発向きだと思っていた。それがいきなり中継ぎでリミッターを解除し、自己最速を更新できたのだ。
「そこから投げやすくなった。それまでは『出さないと、出さないと』って不安があったから」。
自らかけていたプレッシャーも解消し、その後さらに更新して151キロまで伸びた。アベレージで150前後は常に出るようにもなった。
やがてクローザーのポジションを任されたが、チーム状態からなかなかセーブシチュエーションでは回ってこず、「順番が一番最後なだけでしたね(笑)」とセーブ数は2にとどまった。
■ドラフト会議では育成2位指名
小林氏直伝のスライダーを習得したこと、シーズンで約140イニング投げられたこと、自分を変えチームの中心となって引っ張れたこと、150キロ以上出せたこと…さまざまな経験から自信を得て、それが冒頭の選抜試合に集約された。
その後、選抜試合を見た多くのスカウトが公式戦にも訪れ、最終的にドラフト前に6球団から調査書が届いた。
そうして迎えたドラフト会議当日。支配下指名の可能性も伝えられていただけに、「選択終了」の声には落胆したが、気を取り直して育成指名に見入った。すると地元の、小さいころから「千葉テレビで見ていた」という大好きなマリーンズから育成2位で名前が呼ばれた。
「もう、嬉しかった…」。
独立リーグでの苦節4年が一気に報われた気がした。
小林氏からもすぐに「おめでとう」と連絡があり、3年ぶりに懐かしい師匠の声が聞けた。また、阪神タイガースの東辰弥、清水誉の両マネージャー、馬場哲也氏からも祝福の言葉が届いた。翌日には多田昌弘打撃投手からもビデオ電話がかかってきた。
「ナイターの練習のときかな。ロッカーかなんかで、BP(打撃投手)のみなさんも後ろにいて…」。
みんな、我がことのように喜んでくれていた。
■福留孝介選手の愛
なぜタイガースなのか?
実は昨年と今年、タイガースの春季キャンプでアルバイトをしていたのだ。仕事内容は打撃投手や球拾いなど練習の補助である。合間にトレーニングもさせてもらえる。
「選手のトレーニングとかずっと見て勉強していた。選手にはあまり話しかけられないから、選手同士が話しているのを盗み聞きしたりとか(笑)。あと、BPの方やトレーナーさんにもいろいろ話を聞いた」。
盗めるものはすべて吸収してやろうと貪欲に取り組んだ。
そこである選手に非常にかわいがってもらった。
「僕、“ティーイップス”になっちゃって…。緊張して、外国人選手や糸井(嘉男)さんにティー(打撃におけるボール上げ)でワンバンとか投げたり。それをいじられて、わざと福留さんと組ませるようにされて…」。
今季限りでタイガースを退団した福留孝介選手だ。チーム最年長だし、なおさら緊張するだろう。すると福留選手はこう言ったそうだ。
「お前のティーイップス、治してやるよ」。
そこから“福留専属”になり、福留選手がティーを始めるときには何をおいても走って駆けつけた。
「いろいろ話をしてもらった。NPBのことだったり野球のことだったり。キャッチボールの練習していたらピッチングの投げ方も…リリースはこうしろとか教えてもらって、すごく勉強になった」。
おかげでティーイップスが完治したばかりか、さまざまなものを授けてもらった。
ドラフト指名されたことで、お世話になったさまざまな人にいい報告ができたことが、本当に嬉しい。そして、さらに活躍してもっと喜んでもらいたいと願う。
そこにあるのは、ただただ感謝の思いだ。
■スピードボールに感謝を込めて
年が明ければすぐ入寮、そして合同自主トレが始まる。プロの世界で魅せていきたいのは、やはりストレートだ。
「たぶん中継ぎになると思う。チームの平均球速を底上げしようってなっているらしいので、そこでスピードをアピールできたらいいかなと思う」。
それが支配下登録へのもっとも近道だと信じて突き進む。
「1年目で支配下登録されて、ゆくゆくは日本を代表するようなピッチャーになりたい」。
感謝の気持ちを込めて、小沼健太は一生懸命に腕を振る。
【小沼健太*プロフィール】
生年月日:1998年6月11日
身長/体重:189cm/86kg
投打:右右
出身校:東総工業高校
出身地:千葉県
【小沼健太*年度別成績】
2017年 17試合 80.2回 3勝7敗 防御率5.69
2018年 27試合 77回 3勝5敗 防御率6.08
2019年 21試合 137回 3勝14敗(3完投2完封) 防御率3.68
2020年 25試合 30.1回 0勝3敗2S 防御率5.34
(表記のある写真以外の撮影は筆者)