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数多くの著名人も注意喚起した「9月1日自殺」 それでも防げない現状にいま大人がすべきこと

石井しこう不登校ジャーナリスト
教室(イメージ)(写真:アフロ)

 報道によると新学期前後となる8月30日~9月5日の1週間で、子どもの自殺と思われる事件が9件起き、うち8人が死亡、1人が重傷だったことがわかった。

 私が編集長を務めている『不登校新聞』は、1997年の9月1日前夜に起きた中学生の自殺が創刊理由の一つになっている。創刊から約20年間、9月1日問題の取材を続けているが、今年ほど多くの人や団体が注意喚起を呼びかけた年はなかった。

 今年ほど多くの人や団体が注意喚起を呼びかけた年はなかった。それにも関わらず自殺は起きた。その背景と一過性の呼びかけ以上に大切なアプローチは何かをみていきたい。

学校だけに頼った社会制度

 まず、少し引いた眼で子どもを取り巻く状況を見てみると、いじめはフォーカスされがちだが、子どもたちが抱えている問題はいじめだけではない。子どもの「生きづらさ」は、学校、家庭、地域のなかで重層的に築き上げられている。とりわけ私が取り上げたいのが「学校だけに頼った社会制度」になっていることだ。

 どの学校を卒業したかで就職に影響があるから、大学受験を筆頭に過度な競争ストレスにさらされる。学校だけが「将来保障の場」になっているから、いじめが起きていても、子どもは学校へ通おうとしてしまう。

 もちろんそれは子どもや親が希望したことではない。しかしながら、子ども時代からの人生設計は学校だけに頼るしかない社会制度になっていることも、一つの現実として無視することはできない。

「9月1日」問題の解決には、こうした課題にも取り組んでいかなければならず、一朝一夕でどうこうできるものではない。

目の前の子どもにできること

 子どもを取り巻く状況を考えると問題解決が遠くに見えてしまうが、いまこの瞬間、目の前で苦しんでいる子に対して何もできないのだろうか。子どもの自殺に対して、本人に向けたメッセージを送るだけでは私自身も違和感が残る。本来は大人が果たすべき役割を果たせていないのではないか、という思いがある。

 子ども支援や不登校支援の現場では、子どもの気持ちに寄り添った対応は本人を救う一助になると言われている。もっとも現場の言葉に置き換えれば「苦しいときほど本人の『困り感』に寄り添おう」ということになるだろう。

 「困り感」とは、本人が困っているポイントのこと。子ども支援の現場では瞬く間に広がった言葉で、それだけに実践的な考え方が詰まった言葉だと言える。

 苦しさを抱えている子どもに何ができるのか。支援現場では、周囲の者が本人の困っているポイントを探りだし、そのポイントを出発点にしながら課題解決を目指していく。いくら周囲が「こうあるべき」と理屈や理想で考えても、本人が立ち止まっているところから考えなければ、どんな支援でも意味をなさない。

 いまこの瞬間、目の前で苦しんでいる子に対しては、本人の「困り感」に寄り添った支援がポイントになるのではないだろうか。

 以前、私が取材したお母さんも「困り感」に立脚した対応に変えていくことで、状況が改善されていった。専業主婦・田町さん(仮名)のケースである。

夏休み明け「宿題が終わっていない」

 田町さんの息子さんが学校への行き渋りを始めたのが中学3年生の夏休み明けだった。新学期が始まる直前、「宿題を一つもやっていないから学校へ行きたくない」と息子さんは言い始めたが、田町さんは「そんな理由で」と思い、本人を励まして登校させた。

 しかし息子さんはどんどんと元気を失い、目つきも悪くなっていく。田町さんの勧めで高校には進学したものの、あらためて「学校へ行きたくない」と言い始めた。田町さんは「精神的なものかもしれない」と心配し、心療内科へ連れて行った。

 その日の帰りである。

 息子さんは家に着くなり、TVを殴る、窓ガラスを割る、パソコンも壊すと暴れ回った。その後、家にひきこもるようになり、人目を避けるように昼間からカーテンも閉めきった。何度、注意しても、家の外には出ようともしなかった。

 心配になった田町さんは不登校の親の会に参加。そこで初めて同じ境遇や経験をした人と出会い、勇気をもらった。そして息子が今まで苦しんできたこと、田町さんが息子の苦しさを無視して注意をしたり、治そうとして病院に連れて行ったりした行為に傷ついたことに気がついていった。

 田町さんは息子さんの気持ちに気がつき、日ごろの注意を辞め、不登校以前のように世間話に時間を費やすようになっていった。徐々に息子さんの笑顔も戻り始め、元気になっていったという。いま現在、息子さんは福祉現場で働いている。

 田町さんは当時をふり返って「親の思いを子どもに押しつけると、子どもの調子はどんどん悪くなっていく。逆に子どものいまの状態を肯定して、苦しさを理解して接していれば子どもは自然と元気になっていく」という。

「9月1日自殺」 注意喚起の先へ

 田町さんのケースでのポイントは、本人の困り感に立脚したか否かで本人の状況が変わっていったことだろう。

 本人の「困り感」に立脚して考えてみれば「宿題をやっていないから…」という発言がSOSであったことに気がつく。「宿題をやっていないから…」と息子さんは困っていたのだ。しかし、田町さんは「そんなことで」と、本人の困り感を無視して励ました。

 ここが岐路になって本人が爆発するまで気持ちを溜め込んでいる。

 本人の「困り感」は周囲にとってわかりづらいものだが、本人にだって理解しがたいものでもある。

 私自身の経験で言えば、自分が不登校になるまで、学校が苦しいという「困り感」は自覚することはなかった。親に「学校へ行きたくない」と初めて口にした日、感情があふれ出し、つらかったことを自覚した。あのとき、親は「わかった」とだけ言って、すぐに学校へ「しばらく休みます」と連絡した。

 「じゃあ、将来はどうするの?」などと親は言わず、私の「困り感」にだけ拠って立ってくれた対応がなければ、いま私がどうなっていたかわからない。

 「苦しい」「学校がつらい」と言われた大人は最後の防波堤なのかもしれない。子どもが「苦しい」と口にしたら、その苦しさは本人のキャパシティをすでに超えているものと思っていただきたい。周囲にそうした子がいた場合、とくにこの新学期、「困り感」に軸足を置いた対応が、本人の気持ちを救う一助になることを知っておいていただけたら本望である。

※なお、保護者や大人の相談窓口としては「子どもの人権110番」(電話0120-007-110110)などがある。不登校のことであれば「登校拒否・不登校を考える会全国ネットワーク」(電話03-3906-5614)は近隣の親の会を紹介するなど「大人の支え」になる情報も提供している。

不登校ジャーナリスト

1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。NPO法人で、不登校の子どもや若者、親など400名以上に取材を行なうほか、女優・樹木希林氏や社会学者・小熊英二氏など幅広いジャンルの識者にも不登校をテーマに取材を重ねてきた。著書に『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ社)『フリースクールを考えたら最初に読む本』(主婦の友社)。

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