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4年生で唯一箱根メンバー入りを逃した早大の日野斗馬。最後の記録会“漢祭り”で激走し仲間にエール

和田悟志フリーランスライター
漢祭りで力走する日野(筆者撮影)

 「箱根駅伝0区」――箱根駅伝のエントリーメンバー16人から外れた選手たちが年末に出場する記録会は、いつからかそう呼ばれている。

 早稲田大学の場合は“漢祭り(おとこまつり)”の愛称でも知られ、例年は大晦日に開催されてきた。

 2024年は早稲田大学競技会として12月27日に行われ、早大はもちろん、國學院大や城西大、立教大、東京国際大などの選手も参加した。

 この競技会の1万mで最も速かった早大の選手が、その年の“漢(おとこ)”の称号を得られる。

 かつては“漢”を獲得した選手は翌年にブレイクを果たすというジンクスがあった。実際、23年の漢祭りでは和田悠都(現4年)が漢の称号を手にし、今季は4年目にして初めて箱根駅伝のエントリーメンバーに選出されている。

 自身の翌年度の飛躍のためにも、また箱根駅伝に挑む選手たちにエールを贈る意味でも、箱根のメンバー入りを逃しても、早大の選手たちは漢祭りで懸命な走りを見せてきた。

 2024年の漢祭りで“漢”に輝いたのが、4年生の日野斗馬(ひの・とうま)。

 今回の箱根駅伝で早大は6人の4年生がエントリーされたが、唯一メンバー入りを果たせなかった4年生が日野だった。

 日野は、中学生の頃から「早稲田で長距離をやりたい」という希望を持ちながらも、進学した愛媛・松山東高では「長距離がなかったので…」と中距離に取り組んだ。1年時には800mでインターハイに出場を果たしており、高校3年間でスピードを磨いた。

 念願叶って早稲田大学商学部に入学。箱根駅伝を目指して長距離ブロックに所属した。

 下級生の頃はケガに苦しみ、ほとんど試合にも出られなかった。結果を残せず「落ち込む時もあった」と言うが、日野は前を向き続けた。

「自分の可能性を信じて、絶対に自分が箱根に出るんだっていうのを信じ続けてきました。だから、最後まで気持ちを切らさずに、ちょっとずつ成長することができたんじゃないかなと思います」

 こう話すように、日野は4年間、諦めずに努力を重ねた。

 4年生になると、入学時には15分台だった5000mの自己ベストを14分24秒まで伸ばした。少しずつだが、長い距離にも対応できるようになった。

 そして、6区・山下りの候補の1人として、16人のメンバー入りが見えるところまできた。

 しかし、あと一歩が届かなかった。

 11月末に行われた6区を想定したトライアルで、日野はうまく走ることができなかった。事実上、箱根が遠のいた瞬間でもあった。

 その約1週間後の12月7日。学内で行われた20km走に挑む日野の姿があった。箱根のメンバー選考を兼ねた、チームエントリー前の最後の重要な練習だった。

「正直、1週間前の時点で箱根(を走れる可能性)はなくなっていたので、選考に関わるというよりも、自分がやってきたことを出し切れればいいなっていう思いで臨みました」

 こう意気込んで日野は20kmを走った。

 そこで、思わぬ力走を見せる。

「60分40秒ちょっとでした。ハーフマラソンに換算すれば、1時間3分台が出るかどうか。そんなに走れると思っていなかったので、びっくりしました」

 その時点での1万mの自己ベスト(31分40秒)を単純に2倍にしたタイムよりも、はるかに速く20kmを走ったのだから、自分自身の驚くのも当然だっただろう。

「4年間やってきたことが実を結び、20kmを走れる力がちゃんと付いたんだなと思って嬉しかったです」

 結局、箱根駅伝のメンバーにはなれなかった。もちろんその悔しさもあったが、一方で「箱根に向けてやれることはやった」という充足感も大きかった。

 その20日後の漢祭りでも、日野は力強い走りを見せた。

「箱根の事前取材で後輩たちが“4年生のために”って言ってくれていたのが本当にうれしかたので、4年生として、絶対に良い走りを見せないと、と思って臨みました」

 1万m第3組に登場した日野は、28分40秒を目指す外国人勢には付いていかずに、中盤でレースを進めた。

 駅伝主将の伊藤大志(4年)をはじめ、箱根のメンバーから『4年間の最後だぞ』『4年間の思いを出し切れ』などと声援を受け、「きつい場面でも頑張ることができた」と粘りを見せた。

声援を送る駅伝主将の伊藤大志(左)と菅野雄太(筆者撮影)
声援を送る駅伝主将の伊藤大志(左)と菅野雄太(筆者撮影)

 レース後半になってじわじわと順位を上げていくと、終盤に伊藤幸太郎(3年)をとらえて、ついに早大勢のトップに立った。

 そして、自己記録を1分51秒も更新する29分48秒77でフィニッシュし“漢”の称号を手にした。

「タイム自体は、あと20秒、30秒ぐらい良かったら、本当にうれしかったんですけど、4年生としての意地を見せられたと思いますし、この勢いが箱根に繋がっていけばいいなっていう意味では満足しています」

 日野の奮闘ぶりは、箱根に挑む仲間たちにとって何よりもエールになったはずだ。

「本当に強いメンバーが揃っていて、僕がいた4年間では一番良いチーム状態になっています。あとは自信を持って3位以内を目指して走ってほしい。僕も精一杯サポートするのでみんなで勝ち取れたらいいなって思います」

 日野は、仲間への期待をこう口にする。

 箱根本番ではサポートに徹し、往路復路ともに給水を選手に手渡す役割を担う予定だ。

「選手が踏ん張れるように、熱い言葉を掛けられたらなと思います」

 給水係として走る100mに満たない距離が、日野にとっての最後の箱根駅伝となる。

 2月に地元で開催される愛媛マラソンが、日野の学生ラストレースだ。

「(高校を卒業するまでの)18年間、いろいろとお世話になった地元なので、成長した姿を見せたい。僕にとっては、箱根と同じぐらいの熱量を持って臨む試合です」

 箱根が終わった後も、第2寮(競走部員に限らず体育各部の学生が生活する所沢紺碧寮)に残り、1月いっぱいは愛媛マラソンに向けて練習に励む予定だ。

 大学卒業後は会計士を目指して再び学業に打ち込むという。また、競技者としては第一線からは退くが、一般ランナーとして走り続けるつもりだ。

フリーランスライター

1980年生まれ、福島県出身。 大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。 その後、出版社勤務を経てフリーランスに。 陸上競技(主に大学駅伝やマラソン)やDOスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆。大学駅伝の監督の書籍や『青トレ』などトレーニング本の構成も担当している。

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