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ディープインパクトが死んだ。パートナー武豊が凱旋門賞前夜に発した言葉と、今でも夢に出る事とは……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

凱旋門賞前夜の天才ジョッキーの言葉

 2006年9月30日。

 フランス、パリで私は武豊と共に過ごしていた。凱旋門へ向かうシャンゼリゼを上りながら、天才ジョッキーは言った。

 「多分、明日は勝てると思うのですが……」

凱旋門賞を前にフランスで会見した武豊騎手(左)と池江泰郎調教師(当時)
凱旋門賞を前にフランスで会見した武豊騎手(左)と池江泰郎調教師(当時)

 翌10月1日にはパリ郊外にあるロンシャン競馬場でヨーロッパ最大の一番でもある凱旋門賞(G1、芝2400メートル)が行なわれる。高額賞金ということもあり、例年、多頭数になるこのビッグレースだが、この年の出走馬は8頭。日本と違い、登録料も高額のため、いくら高額賞金のレースといえ、勝ち目がないと思う陣営は回避する。そのため、強力な馬が出走した際のヨーロッパの大レースはおうおうにして少頭数になる事があるのだが、この時の凱旋門賞も正にそういったムードが漂っていた。

 前年の凱旋門賞のほか、この年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスS(G1)の覇者でもあるハリケーンランや前年のブリーダーズCターフ(G1)のほかこの年のコロネーションC(G1)を勝っていたシロッコ、そしてサンクルー大賞典(G1)の勝者プライドなどが有力視されていたが、それらを抑えて現地フランスでも抜けた存在とみられていたのが日本からやってきたディープインパクトだった。

 前年に無敗で三冠を制したディープインパクトは、この春も天皇賞をレコード勝ちすると宝塚記念も楽勝。その後、海を越え、ヨーロッパ最大のこの舞台に名を連ねて来た。

 当時はまだ日本での馬券発売はない時代だったが、フランスでも同馬は圧倒的な1番人気として迎えられた。

 ところが結果は皆さんご存知の通り。3歳馬レイルリンクの3位入線に敗れると、その後、失格処分となってしまう。

フランス、ロンシャン競馬場でのディープインパクト
フランス、ロンシャン競馬場でのディープインパクト

ナンバー1ジョッキーが今でも夢に見る事とは……

 ここで冒頭の武豊の弁である。

 「多分、勝てると思うのですが……」という言葉は、何も油断やおごりがあったわけではない。冷静に、客観的に考えて、普段通りの体調でいつも通りの競馬が出来れば勝てる。そう思ったのは日本のナンバー1ジョッキーだけではないはずだ。

 残念ながらあろう事かこのタイミングでディープインパクトは体調を崩してしまい、勝つ事が出来なかった。だから、武豊は現在も言う。

 「今でもあの時の凱旋門賞が夢に出て来る事があります。ディープは勝てる力を持った馬だったのに、勝たせてあげる事が出来なかった。だから未だにうなされる事があるんです」

 7月30日、ディープインパクトが死んだ。

 武豊が凱旋門賞を勝つシーンを見る事無く、日本の最強馬は星となってしまった。いつの日か、ディープインパクトのお墓に武豊が「凱旋門賞制覇」の報告を出来る日が来る事を願おう。それがディープインパクトの産駒や、その血を引く仔であれば最高の報告になるだろう。そう、ディープインパクトは死しても、その血はまだまだ無限の広がりを見せる可能性を秘めているのだ。

凱旋門賞を目指し、フランス・シャンティイにある厩舎に入った時のディープインパクト
凱旋門賞を目指し、フランス・シャンティイにある厩舎に入った時のディープインパクト

(文中敬称略、写真提供=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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