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あるジョッキー親子の父を想う気持ちと子を想う気持ち

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
3月にデビューを果たした小林凌大騎手

父と同じ騎手という道を目指す

 小林凌大は「ジョッキーになりたい」と決心した正確な日付を覚えている。

 2012年3月25日。

 この日のある出来事が、彼を騎手という道へいざなった。

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 小林凌大が生まれたのは2001年2月20日。父・淳一、母・麻美子の下、3人兄弟の次男として育てられた。父・小林淳一の名前を、往年のファンなら覚えておられるだろう。03年にイングランディーレを駆ってダイヤモンドSや日経賞を制した元ジョッキーだ。私は彼と懇意にしていたため、生まれて間もない凌大に会った事もあった。

 「小学校の6年間は野球をやっていたのですが、父からは『挨拶はしっかりしろ!!』と口うるさく言われました。僕たち兄弟は少しのんびりした性格だった事もあり、よく叱られました」

 凌大はそう語る。

 これだけ聞くと淳一は“小うるさい親父”と思えてしまうかもしれない。しかし、実際に彼を知る人ならその印象が真逆である事に気付くだろう。淳一はいつも笑顔で人当たりが良く、怒鳴ったり怒ったりという姿は見せた事がない。つまり凌大に対する態度はやはりわが子を想う愛情が形となって現れたという事なのだろう。

 中学生となった凌大が乗馬を始めると、そんな姿勢がまた見え隠れするようになる。

 「『騎手を目指して乗馬を始めたい』と相談すると、両親とも反対はしませんでした。父からは『やさしい世界ではないけど、覚悟を持って頑張れるなら……』と言われました。実際に乗馬を始めると、父は時間があれば見に来てくれました」

 技術的な面で注意をされる事も一再ではなかったと言う。

小林淳一(右)と凌大親子
小林淳一(右)と凌大親子

競馬学校に入学。すれ違う父との気持ち

 中学卒業と同時に凌大は競馬学校に合格し、入学する。一方、淳一は騎手を引退後、競馬学校の教官になっており、2人は学校で顔を合わせる事になる。

 「もっとも父は厩務員課程で担当する学年も違ったため、授業を見てもらうという事はありませんでした。たまに学校ですれ違うくらいでした」

 実技の際は見に来てくれる事もあったが、それが余計にすれ違いを生む事になった。

 「僕が乗っているのを見ては技術的なアドバイスをくれました」

 そんな父の態度を、最初の頃はありがたいと感じた凌大だったが、徐々に心境が変化していったのだ。

 「ある時、父から指摘を受けました。頭では分かっているけど、思った通りに乗れなくて落ち込んでいる時だっただけに『そんなことは分かっている!!』と思うと、アドバイスが耳ざわりに感じられました」

 そんな事が幾度か続いたある日。また、父の見ている前でうまく乗れなかった凌大は、上手に乗れなかった不満と何か言われるのでは?という不安が「自分でも分かるくらい表情に出た」。すると……。

 「僕の顔を見た父から『一流ジョッキーは心情をいちいち顔に出さないぞ!!』と言われました」

 凌大は心の中で「うるさい!!」と叫んだ。以来、父の忠告に素直に耳を貸せなくなった。

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まずは両親の前で一つ勝ちたい

 競馬学校の2年生になると、トレセンで厩舎実習を行う。出向いた先は小西一男厩舎。師匠となる調教師の元だ。ここで兄弟子にあたる田辺裕信や、厩舎へよく出入りする丸山元気、野中悠太郎らと顔を合わせる。そして、彼等と話すうちに大事な事に気付かされた。

 「小西先生はああしろこうしろと細かい事を言う師匠ではありませんでした。ただ『乗せていただいた厩舎にはしっかり挨拶回りをしてきなさい』とだけは言われました。田辺さんからも何か言われるような事はないけど、聞けば何でも教えてくれる。優しい先輩でした」

 師匠からは改めて挨拶の大切さを教わった。兄弟子からは技術面でのアドバイスももらった。そして、気付いた事があった。それらはどちらも父から口うるさく言われている事とシンクロしていたのだ。

 「厩舎実習が終わり、競馬学校へ戻ってからは再び父の言うことを素直に聞けるようになりました」

 こうして今年の2月、無事に競馬学校を卒業。3月から念願の騎手デビューを果たした。

念願の騎手デビューを果たした小林凌大
念願の騎手デビューを果たした小林凌大

 「父からは『卒業おめでとう』と言ってもらいました。デビュー後はなかなか思うように乗れず、『下手くそ』と言われました」

 そんな言葉も今度はすんなりと受け入れられたと言う。

 デビューから1カ月以上が過ぎたが、4月10日現在で、勝ち鞍はおろか掲示板に乗った事もまだ無い。しかし、ここまで騎乗した17鞍は、最も人気があった馬で9番人気。他は皆、二桁人気馬では苦戦が続くのも仕方ない事だろう。

 「まずは人気よりも一つでも上の着順に持ってきて、という努力を続けるしかないでしょうね」

 そう口を開くのは淳一だ。

 「凌大のデビュー戦(中山競馬場)ですが、私は競馬学校の都合で小倉競馬場にいたため目の前で見ることは出来ませんでした。でも、もちろんテレビでは観戦していました」

 デビュー2週目に中京競馬場で乗った際は、母の麻美子が競馬場を訪れていたそうだが「どこにいるのか見つける事は出来ませんでした」と語る凌大は更に続ける。

 「まずは両親の前で一つ勝ちたいです」

 淳一は言う。

 「騎乗する時は全く人気のない馬でも感謝の気持ちを忘れないことが大切です。そして、騎乗技術だけでなく、社会のルールを厳守できる立派な社会人になって欲しいです。これは凌大だけでなく、競馬学校の卒業生、全員に対して思っている気持ちです」

 凌大が騎手になろうと決心したのが12年3月25日である事は冒頭で記した。それは淳一が鞭を置いた日。ジョッキーとして最後の騎乗をした日だった。

 「その日は父の応援をするため競馬場へ行きました。そして、父の姿を見て『格好良いなぁ……』と憧れました」

 それが凌大の騎手としての原点だった。彼の騎手人生はまだ始まったばかり。小林親子の“これから”を応援したい。

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(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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