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盛り上がるラグビーW杯 熊谷が見せた驚異的な大量輸送と「神対応」

大島和人スポーツライター
熊谷駅前は大規模な交通規制も:筆者撮影

事前に不安視していた熊谷のアクセス問題

ラグビー・ワールドカップの日本開催が成功するのか?本音を言うと、筆者は懐疑的に見ていた。

例えばワールドラグビー(サッカーで言うFIFAに相当する組織)へのいわゆる「上納金」は130億円。48試合で割ると2億7千万円強の巨額だ。もちろん組織委員会本体の収入も確保しなければいけない。

日本やオールブラックスが絡むゲームならば完売させられても、そうでない試合に2万人、3万人が集まるイメージは持てなかった。巨額の赤字が出る恐れも持っていた。

特に大きな不安が一部会場のアクセスだった。例えば熊谷スポーツ文化公園は最寄り駅から4キロ近い立地。サッカーも含めて「アクセス問題」を過去に起こしている。

熊谷駅のロータリーは路線バスとタクシーで一杯一杯。しかも「出口」は片側一車線だ。スポーツ文化公園も陸上競技場側のロータリーはやや大きいスペースだが、ラグビー場側のロータリーはバス1,2台とタクシーで埋まってしまう規模だ。

筆者は2年前にこのような記事を書いた。

2019年は大丈夫か? 熊谷スポーツ文化公園のアクセス問題を考える

道路は交通規制で何とかなる部分だが、駅とスポーツ文化公園の「ロータリー」はボトルネックに思えた。駅前の土地を買収して区画整理事業をしても間に合わないし、そもそもそんな予算を熊谷市が取ることは想定し難い。

シャトルバスの出発地は駅近のファンゾーン

しかし2019年9月6日に熊谷で開催された南アフリカ戦は、輸送がスムーズだったと伝え聞いた。どんな「マジック」を使ったのか、確かめたかった。

9月24日、ロシアとサモアの試合が熊谷ラグビー場で組まれていた。他の仕事がなく、知り合いがチケットを手配していたこともあり、会場に足を運んでみた。

今大会は全国12開催地に「ファンゾーン」が設置されている。イベントやパブリックビューイングを行い、チケットを持っていない人も飲食も楽しんで盛り上がれる「広場」だ。東京スタジアム(味の素スタジアム)なら丸の内、花園ラグビー場なら天王寺に用意されている。

熊谷会場は熊谷駅から徒歩8分の場所に、8150平方メートルのスペースが確保されていた。そして、そこがシャトルバスの発着地も兼ねていた。隣接する道路は片側2車線で、1車線を潰して車両の「滞留スペース」に使える。そんな「いい土地」があった。

我々はトークショーを楽しみ、飲み食いをして、そこからほとんど待たずにバスへ乗り込めた。ラグビー場に向かう道路は一般車両の立ち入りが禁止されていたため、シャトルバスは会場まで10分かからずに到着した。もちろん車内は混んでいたし「立ち」の状態だったが、短時間ならばストレスにならない。

乗客はラグビー場のロータリーまで入らない、手前の広場で降ろされた。そこは車両を数十台単位で滞留させられるスペースだった。サッカーファンには伝わると思うが、「埼玉スタジアムのバス待ち」と同じイメージになる。ラグビー場まで少し歩くが、せいぜい5分程度。これも問題にならない距離だ。

バスの滞留、人の導線もしっかり設計

筆者は熊谷駅を使用したが、隣の籠原駅と会場を往復する便もあった。また羽生、森林公園、太田の3駅からは予約制バスがあり、パーク&ライドの手法も活用されていた。

メインのアクセスは熊谷、籠原ルートだろう。籠原はJR東日本の車両基地がある関係で始発・終着列車が多い。大宮や浦和、都内の方面に向かうお客さんは、籠原から乗車するとほぼ確実に座れる。熊谷行きはラグビー場近く、籠原行きは陸上競技場側からの出発と乗り場・導線を分け、人と車の詰まりを抑えていた。

新潟スタジアム、埼玉スタジアムなどがこの国のスポーツ興行における大量輸送の実践例だが、バスの「台数」「滞留スペース」「人も含めた導線」がポイントになる。熊谷会場では国際興業、東武のバスがざっと見たところ100台近い規模で集まっていた。

試合を終了まで見届けて、南側のゴール裏から乗り場までやや急ぎ足で向かった。帰りはやや遠回りの導線だったが、「詰まって進めない」状況は皆無。試合終了から15〜20分ほどで帰りのバスに乗り込めた。シャトルバスはどんどん人を乗せ、6台同時に発車していく。気づくと試合終了から30分弱で、終点に到着していた。

帰りのシャトルバスは熊谷駅前のロータリー着で、すぐ駅舎に上がれる場所だった。試合の終了時間になればもう帰宅ラッシュと重ならず、帰りは「並び」もないため、行きと拠点を分けたのだろう。

乗客を下ろした車両は、すぐスポーツ文化公園に戻っていく。仮に100台が50名ずつ乗客を乗せたとして、3回転できれば15000人になる。24日の観客は22564人だったが、彼らをしっかり「さばける」用意が出来ていた。

特筆するべき熊谷のホスピタリティ

ただし熊谷で一番大きなサプライズはボランティアの「おもてなし」だった。退屈になりがちな徒歩区間も、彼らのハイタッチで楽しいものに変わった。沿道で交通整理をしているスタッフも、バスに向かって手を振ってくれる。決してやらされている感じでなく、笑顔でいいエネルギーを発散していた。「待たされている」「歩かされている」感覚がこれで完全に消えた。加えて山車から聞こえてくる祭り囃子、沿道の飾り付けでいやがうえにも気持ちは高まった。

24日の熊谷会場は普段ラグビーを見ない、中にはルールさえ知らない知人がかなり見に来ていた。日本や強豪国の絡むカードでないため値段設定がお得で、しかもチケットが少し余っていた。また都内や神奈川、千葉から日帰りで気楽に見に行ける地の利もあった。

サモア代表のSOトゥシ・ピシを除けば日本のファンに馴染みがある選手もいない「マニアックなカード」だったが、それでも場内の盛り上がりは素晴らしかった。一つの要因は率先して声を出した「インターナショナル勢」のノリと、2万人を超える観客の共鳴作用だろう。何より大きかったのが観客の気持ちを、駅を降りたところから街全体で温めてくれた熊谷のホスピタリティだった。

熊谷は東大阪に並ぶ「ラグビーの街」で、過去の大会でもいい印象はあった。今回は国家的イベントということもあり、使えるリソースも大きかったに違いない。しかし行政、市民が作り上げた熊谷の輸送計画、運営は想像をはるかに凌駕する「神対応」だった。昨日初めてラグビーに接した人も、きっとこの競技と大会に好印象を持ってくれただろう。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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