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楽天でコーチ研修中の韓国の元スター選手<3> 「10年前に日本でプレーする可能性あった」

室井昌也韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表
外野手にノックをするイ・ジンヨン研修コーチ(写真:ストライク・ゾーン)

ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に3大会続けて出場するなど、韓国を代表する外野手として活躍し、昨季限りで現役を引退したイ・ジンヨン(元KTウィズ、39)。

彼は今、宮城県仙台市にある楽天イーグルスのファームでコーチ研修を行っている。

国際大会での数々の好守から「国民的右翼手」と呼ばれ、20年間で歴代6位の通算2125安打を記録したバットマンが語る研修生活の第3回(最終回)。

第2回 ⇒「内田は活躍する能力がある

第1回 ⇒「岸と則本の姿勢に驚いた

イ・ジンヨン研修コーチ(以下、イ研修コーチ)がSKワイバーンズの選手だった2008年秋、FA権を取得した彼に、「日本でプレーしないのか?」と尋ねたことがある。当時の状況と胸中について、10年を経て聞いた。

「当時、エージェントからセ・リーグの2球団から声が掛かっていると言われた。自分が日本に行くと決断さえすれば決まる状況だったが、その時は海外に行くという道を選ばなかった」

現役生活を国内で全うしたイ研修コーチ。10年前に日本行きを断念した理由をこう話した。

「その時はまだ結婚していなかったし、韓国を離れて野球をすることに心配もあった。そして初めて取得したFA権だったので、チームを移るなら最高の待遇で招かれたいとも思っていた」

当時、日本の球団がイ研修コーチに提示した条件は、国内移籍を下回るものだった。もし彼がFA権を取得するのが1年先だったら状況は違っていただろう。

イ研修コーチがLGツインズへのFA移籍を決めた4か月後、韓国代表は09年3月のWBCで準優勝を飾る。同大会で日韓は5度も対戦し、日本球界での韓国選手への認知が高まっていった。その結果として翌10年にはキム・テギュン(現ハンファ)、イ・ボムホ(現KIA)がそれぞれ千葉ロッテ、ソフトバンクへと好条件で移籍することが出来た。

イ研修コーチはこう振り返る。

「当時は考え方が幼かったという後悔もある。一度でも海外でプレーしていたらその後の野球人生にプラスになることもあっただろう」

現役を引退した彼はどんな未来を描いているのか。

「まだよくわからない。日本でコーチ研修を受けているが、今後、単にコーチ生活を送らなければいけないとは思っていない。30年近く野球をやってきて思うのは、韓国のコーチは“先生”だった。しかし自分は選手に教えるのではなく、選手の手助けをする人になりたい」

イ研修コーチは楽天イーグルスのファームの選手たちに、自ら積極的に声を掛けている。会話を通して何か問題があれば、共に解決していこうとするスタンスだ。

「コーチが教えて選手が成功することもあるが、ダメだった時には誰が責任を取るのか。選手を指導するのではなく、助けると思ってたくさんの会話をすれば、選手の気持ちや選手にとって何が必要かわかるだろう」

若手選手と接するイ研修コーチの姿を見て、水野芳樹育成グループマネージャーはこう話す。

「高須(洋介)育成総合コーチと協力しながら、いい雰囲気でチームに溶け込んでいます」

10年遅れで日本球界にやって来たイ・ジンヨン。彼は今、選手を教えるコーチではなく選手を支える人になろうと日々過ごしている。

<イ・ジンヨン(李晋暎) 群山商高から1999年にサンバンウルレイダース(のちに消滅)に入団。SKワイバーンズ、LGツインズ、KTウィズでプレーし、昨年、20年間の現役生活を終えた。通算成績は2160試合、打率3割5厘、169本塁打、979打点。身長185センチ、体重90キロ。1980年6月15日生まれの39歳>

韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表

2002年から韓国プロ野球の取材を行う「韓国プロ野球の伝え手」。編著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』(韓国野球委員会、韓国プロ野球選手協会承認)を04年から毎年発行し、取材成果や韓国球界とのつながりは日本の各球団や放送局でも反映されている。その活動範囲は番組出演、コーディネートと多岐に渡る。スポニチアネックスで連載、韓国では06年からスポーツ朝鮮で韓国語コラムを連載。ラジオ「室井昌也 ボクとあなたの好奇心」(FM那覇)出演中。新刊「沖縄のスーパー お買い物ガイドブック」。72年東京生まれ、日本大学芸術学部演劇学科中退。ストライク・ゾーン代表。KBOリーグ取材記者(スポーツ朝鮮所属)。

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