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5秒で心を掴むイントロを――稀代の編曲家・船山基紀 ヒット曲作りの流儀

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/ソニー・ミュージックダイレクト

1970代前半から現在まで“日本のポップス”の音を作り続ける音の“匠”の、記念碑的CD-BOXが話題

船山基紀。1970年代前半から現在まで、日本の“ポップスの音”を作り上げてきた、まさに稀代の編曲家であり、イントロの魔術師である。そんな音の“匠”の軌跡をまとめたコンピレーションCD-BOX『船山基紀 サウンド・ストーリー~時代のイントロダクション~』が発売され、好調だ。日本のポピュラー史を彩る、沢田研二「勝手にしやがれ」、渡辺真知子「迷い道」「かもめが翔んだ日」、クリスタルキング「大都会」、田原俊彦「ハッとして!Good」、五輪真弓「恋人よ」、中島みゆき「悪女」、C-C-B「Romanticが止まらない」、KinKi Kids「ジェットコースター・ロマンス」、TOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」などの名曲の数々が、72曲収録されている。昭和~平成~令和と3つの時代をまたにかけ活躍する船山は、King&Princeのデビュー曲「シンデレラガール」(2018年)を手がけるなど、その勢いは止まらない。“船山サウンド”の秘密を、本人にインタビューし紐解いていく。

「選曲をしていて、『こんなのやってたんだ⁉』と忘れているものたくさんありましたが、ヒット曲から隠れた名曲まで自分でも楽しめました」

『船山基紀 サウンド・ストーリー 時代のイントロダクション』(12月16日発売) 4枚組全72曲
『船山基紀 サウンド・ストーリー 時代のイントロダクション』(12月16日発売) 4枚組全72曲

――4枚組全72曲入りのコンピレーションCD-BOX『船山基紀 サウンド・ストーリー~時代のイントロダクション~』がついに発売になりましたが、この企画をお聞きになった時は、どう思われましたか?

船山 (筒美)京平先生や作詞家の阿久悠さんの作品集はあっても、アレンジャーってなかなかこういう形で取り上げられることはなくて、大村(雅朗)君の作品集(『大村雅朗の軌跡1976-1999』は発売されていますが、まさか僕まで作っていただけるとは思っていなかったので、ありがたかったです。でも最初は、みなさんが知っている、いわゆるヒットシングル集みたいな感じになるとどうなんだろうって思っていました。でもこの作品の監修をしてくださっている梶田昌史さんに最初の選曲をお任せしたら、忘れていたものも含めて色々出てくる出てくる(笑)。たぶん3000曲くらいやっていて、形になっているのが2700曲くらいだと思いますが、こんなのやってたんだ、これも?というものもあったりして、ヒット曲から隠れた名曲まで自分でも楽しめました。

―一1970年初頭からJ-POPシーンには船山サウンドが響き渡って、ジャニーズのアーティストの作品も数多く手がけられています。2018年のKing&Princeのデビュー曲「シンデレラガール」も船山さんの手によるものですね。

船山 少年隊の「仮面舞踏会」(1985年)やSMAPの「Can't Stop!! -LOVING-」(1991年)もそうですが、ジャニーズの場合デビュー曲をやらせていただくことが割と多かったです。

――船山さんが作られる、派手で、キラキラ感があるサウンドがジャニーズのアイドルにはピッタリですよね。

船山 そうですね。僕や馬飼野康二さんとかが作り上げた、今も昔も変わらない煌びやかでゴージャスな“ジャニーズサウンド”というものがあると思います。

――船山さんのアレンジについて『ヒット曲の料理人 編曲家 船山基紀の時代』(リットーミュージック)という本の中で、プロデューサーの木崎賢治さんが「時代の臨場感のあるグルーヴがあった」とおっしゃっています。キャリアをスタートさせた時から、その時代の雰囲気を常にキャッチするということには敏感になっていたのでしょうか?

船山 それがこの仕事の基本だと思っています。常にビルボードのランキングとかを気にしていて、これも半分は京平先生に教わったようなものですが、最初の頃はリズムをどうやって組み立てるかという部分は、当時アメリカやイギリスでヒットしている曲のリズムセクションはどうなっているのか解析して、そのサウンドを参考にしてやっていました。日本の音楽を参考にするようになったのは本当にごく最近です。

――74年に編曲家としてデビューされて、77年にはこのボックスの一曲目に収録されている「勝手にしやがれ」(沢田研二)がレコード大賞を受賞されています。

船山 こういう、いわゆるヒット曲を作らなければいけないという仕事は、沢田研二さんの作品が最初です。この時はプロダクションの方、レコード会社のスタッフの本気度というか熱量が“圧”になってこちらに伝わってくる感じでした(笑)。これが歌謡曲の世界なんだということを実感しました。それはジャニーズのアーティストの時もそうでした。何がなんでも1位を獲るんだというそこに関わる全員の強い気持ちがこちらに向かってきて、怖かったです(笑)。だから誰にも文句を言われないアレンジ、誰もが驚くイントロを考えていました。

「イントロでひきつけてナンボの世界。頭5秒で聴いている人に『何これ?』って思わせないといけない」

――「勝手にしやがれ」もそうですが、“船山サウンド”はとにかくインパクトがあるイントロが印象的です。

船山 「勝手にしやがれ」のイントロのメロディは、大野克夫さんが作った曲に最初からあったものですが、それにインパクトをつけることを考えて、ハネケン(羽田健太郎)さんのピアノとエンジニアの吉野金次さんという名匠の力が大きいです。音像はキラキラしているけど、音に奥行きがある。色々な部分がマックスによかった楽曲だと思います。やはりイントロでひきつけてナンボの世界ですから、頭5秒が勝負だと思って、聴いている人に5秒で「何これ?」って思わせないと、ヒット曲にはならないってずっと思っていました。じっくり聴き込んで「この曲いいな」っていうよりも、パッと聴いて「これいいじゃん」って思わせる、その瞬発力をいつも考えて仕事をしてきました。

――通常イントロは、本編のメロディからの流用が多いと思いますが、船山さんが書かれるイントロは本編にはないメロディをつけています。

船山 もう作曲です(笑)。どうやってインパクトを与えるかということばかり考えていて、このアーティストの場合はこれとか、数ある手の中から選んでやるんです。だから本編をモチーフにしたイントロはほとんどないです。なぜかというと、ヒット曲って時代時代でメロディのパターンがあります。その時のメジャーコードはこういう感じ、マイナーコードだったらこういう感じって、ある種のテンプレートみたいなものがあります。その音楽的なものに沿って毎日アレンジしていると、似たような感じのものになってしまいます。だからそこで別の何かをボンと持ってこないと、聴いてもらえるキャッチーなものにはならないです。そういう作業を毎日続けているので、一曲作り終わってスタジオを出た瞬間、その曲のことを忘れるようにしていました。ネタをインプットする時間もないくらい忙しかったので、スタジオでミュージシャンと話をしている時が、一番の情報収集の時間になっていました。

「ミュージシャンが最大限の力を発揮できるアレンジ、イントロを考えている」

――ブックレットでは船山サウンドを支えた林立夫さん(Dr)、矢嶋マキさん(Key)、山田秀俊さん(Key)と船山さんの対談も収録されていますが、その中でも船山さんのアレンジの魅力について、船山さんがミュージシャンのことを知りつくしていて、それぞれの個性が発揮できる譜面を仕上げていたとおっしゃっています。

船山 僕はその時期時期でミュージシャンを固定していました。その人たち以外だと自分が想定した音とは違う音になってしまうからです。それぞれのミュージシャンの好きな音楽ありきでアレンジを考えます。ミュージシャンの持てる力を全部出してもらって、それで自分のサウンドを作っていくというやり方です。ミュージシャンが最大限の力を発揮できるような、最高にカッコいいイントロを作ります。

――船山さんの師匠ともいえる存在が、ヤマハ振興会の先輩社員でもあった萩田光雄さんで、萩田さんも太田裕美「木綿のハンカチーフ」、久保田早紀「異邦人~シルクロードのテーマ~」、山口百恵「横須賀ストーリー」「プレイバックPartⅡ」等々、やはりインパクトが強いイントロのヒット曲を数多く作っていますが、やはりイントロの強さというのは受け継がれてきたものなのでしょうか。

船山 やはりポプコンが始まったことが大きいと思います。その当時ヤマハにアルバイトに行くと、そこにはすでに萩田師匠がいらっしゃったんですよ。僕はそれまで歌のアレンジをしたことがなかったので、萩田さんの仕事ぶりを見よう見まねで色々覚えていきました。そのあと大村(雅朗)君(松田聖子「SWEET MEMORIES」、大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」等、数々のヒット曲の作曲・アレンジを手がける)が、アレンジャーになりたいと僕のところに来て、という系譜があります。

「『ハッとして!Good』のヒットは、アレンジャー人生の中でも大きかった」

――船山さんは膨大な作品の中でお気に入りの作品として、ブックレットでも対談しています田原俊彦さんのポップでジャジーな雰囲気が印象的な「ハッとして!Good」を挙げていらっしゃいます。

船山 当時トシちゃんのレコーディングは、割と好き勝手にやらせてもらっていました。僕は大学時代はサックスをやっていたので(早稲田大学ハイソサエティ・オーケストラ)、いつかグレン・ミラー楽団のようなサウンドでアレンジがしたくて、それを「ハッとして!Good」でやってみました。あの曲がヒットしてくれたのは、僕のアレンジャー人生の中でも大きかったです。本当はもうちょっとジャジーな感じのアレンジだったので、NGを出されるかなと思っていました。でもリズム隊のメンバーがジャズではなくてロック系を得意とする面々だったので、矢嶋マキさんがロックンロールなピアノを弾いてくれて、リズムセクションがそのプレイに寄っていってくれて、それが奏功した時はやっぱりミュージシャンの力が大きいと再認識しました。僕が作るサウンドは、クラシックとジャズ、ファンク、ロックがミックスされて、それが船山基紀という狭いフィルターを通って出てくるので、全く同じことは誰にもできないと思います。

「フェアライトを使った最初の曲『ト・レ・モ・ロ』(柏原芳恵/1984年)は、本当に思い出深い」

――船山さんは1981年から武者修行のためロサンゼルスに拠点を移し、現地の音楽を吸収しながら、そこで当時最新のデジタルシンセサイザー・フェアライトCMIと出会い、“フェアライト・サウンド”がその後の船山さんのアレンジの代名詞にもなりました。

船山 最初にフェアライトを見せてもらったのは、アメリカ人の作家のスタジオでした。以前からDTMの実現を目指していたので、これ一台あればなんでもできると勘違いして買って帰りました。でも日本に帰ってきて実際に使ってみると全然そうではなく、京平先生がフェアライトを使って是非一枚作ってみようと言ってくれて始めたのが、柏原芳恵さんの「ト・レ・モ・ロ」(1984年)でした。京平先生に鍛えられて、色々試行錯誤しているうちに、足りないものとかがだんだんわかってきて、最初はどうなるかと思っていましたがようやく完成させることができました。京平先生も「面白い作品になったね」と言ってくださって、本当に思い出深い作品です。

「アレンジャーの中では京平先生と一番仕事をやらせていただいていますが、一番教えを受けたのも僕ではないかと思います」

――今回のCD-BOXにも筒美京平さんと船山さんのコンビの作品が72曲中17曲収録されていますが、改めて筒美さんは船山さんにとってどんな存在だったのでしょうか。

田原俊彦との対談や、船山サウンドに欠かせないミュージシャン、エンジニアとの座談会等100ページの解説本付。
田原俊彦との対談や、船山サウンドに欠かせないミュージシャン、エンジニアとの座談会等100ページの解説本付。

船山 僕はアレンジャーの中で、一番多く京平先生の作品をやらせていただきました。打ち合わせをしてアレンジをし、作品を作る、という作業を四十年近くやっていました。

僕が初めて京平先生と組んでやらせてもらったのは太田裕美さんの「都忘れ」(1976年)です。その時は持っていった譜面が真っ黒になるくらい直されて、それまではヤマハでフォーク系の楽曲のアレンジをやっていたので、京平先生の仕事の時は自然なアレンジで、流れに沿ってやっていても全然ダメで。こういうところでジャン!とか、仕掛けを作りなさい、イントロももっと変わったイントロにして、みんなの耳をひきつけるようなことやりなさい、変わった楽器を使ってみなさいとか、とにかくことごとく直されました。京平先生と一番仕事をやらせていただいていますが、一番教えを受けたのも僕ではないかと思います。

――アイドルにはキラキラした派手なアレンジで、一方では五輪真弓さんの「恋人よ」のような、歌を徹底的に引き立たせるようなシンプルなアレンジと、船山さんが手がけられた楽曲には一貫して“インパクト”を感じることができて、耳に残ります。

船山 五輪真弓さんのような歌唱力のある歌手の作品には、音数を減らして情感を引き出し、聴いてもらいます。アイドルの楽曲は、音を詰め込んで見せ場を作るように工夫しました。当時はテレビで音楽番組がたくさんあったので、見栄えをよくするために、振りがしやすいような仕掛けをいっぱい入れたりと、時代時代で音楽の作り方も変わってきます。

「今気になっているアーティストはJUJUさん。京平先生も『彼女はすごい』と言っていました」

――船山さんが今気になっているアーティストを教えていただけますでしょうか。

船山 個人的にはJUJUさんですね。彼女がデビューした頃に京平先生が「JUJUってすごい」と言っていて、その時はなるほどと思っていましたが、今一番好きですね。京平先生の影響かもしれませんが、どこかひっかかりがある声の持ち主にひかれます。ただ声がきれいで歌がうまいというのはあまり関心がないんだけど、なんか声が掠れてるとか、面白い声だと、ものすごくやる気が出ます。声からアレンジが導き出されることもあって、いわゆる歌手の美味しい音色のところは絶対に邪魔しないフレーズにするとか、歌が立たなければ僕らの仕事は何をやっても意味がないですからね。

――45年以上第一線で活躍されていますが、船山さんの仕事への原動力、モチベーションになっているものは何ですか?

船山 仕事というよりは、スタジオでミュージシャンに会うということがモチベーションになっています。明日はこのミュージシャンが来るならこうやろうとか、毎日そんなことを考えています。

「個人的には純粋に人間の出す音を楽しむという音楽に、また戻っていくといいなと思います」

――今流れている音楽を聴いて、やられたとか嫉妬したということはありますか?

船山 昔は「やられた、このネタを使われた」とかしょっちゅう思っていました。今は全然そういう気持ちがなくて、いいものを聴いたら素直にいいと思えるし、客観的に音楽を聴けるようになりました、ようやくこの歳で。今は楽器もすごく安くなっているし、音もいいし、ある意味では同じものができるという言い方もできます。だからストリングスの音でも、みんな同じ音が使えるし、誰かが面白い音を使ったらその音を探してまた使えたりで、個性的な曲がだんだん少なくなってきていると思います。やっぱり人間が弾いている時は、例え下手な人がやっても味があったり、面白さがあったけど、今、下手な人っていませんよね。歌もみんなうまいです。昔は半音くらい音がズレているものが商品になったりしましたが、今は機械の進歩と共にそういう事が一切ないですよね。でも個人的には純粋に人間の出す音を楽しむという音楽に、また戻っていくといいなと思います。コンピュータとは違う、演奏する人の音の強さとか柔らかさや、その人だけのリズム感とかを感じる音楽をやっていきたいですし、そういう音楽をみなさんに楽しんで欲しいです。

otonano『船山基紀 サウンド・ストーリー 稀代のイントロダクション』オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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