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親ガチャから人生をひっくり返す方法←元祖「親ガチャ」ハズレの世界的哲学者が身をもって示唆

ひとみしょう哲学者・作家・心理コーチ

親ガチャから人生をひっくり返すというのは例えば、貧しい生まれの人が大富豪になるとか、そういうことです。

どうすればひっくり返せるのか?

一般的には「勉強しようぜ」というのが答えでしょう。勉強することで高学歴を手に入れるとか、金儲けに必要な人脈を手に入れるというより、勉強することによって自分が変わる。そのことに賭けようぜ、というわけです。「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というのは、勉強することによって自分が変わるという意味です。朝、学問をして人生の真実がわかれば、夕方には「死んでもいいや」と思える。すなわち自分がうんと変化したというわけ。

人生が大逆転した日

ところで、私の知る限り、「親ガチャ」にハズレたわが身を哲学の種にしたのは、キルケゴールが最初です。もっと勉強すればキルケゴール以前の人が見つかるのかもしれませんが、不勉強ゆえ、キルケゴールが最初ではないかと私は思っています。

そのキルケゴールは1847年、34歳の誕生日を迎えたまさにその日、「親ガチャ」から人生をひっくり返しました。いや、偶然にもひっくり返った、と言うほうが正確かもしれません。

それまで彼は牧師になりたかったのですが、体内に流れる両親譲りの「悪い血」によって、なれませんでした。なれないと思い込んでいました。

しかし、34歳の誕生日を迎えたまさにその日、彼は「悪い血」をその体内にたっぷりとたたえたまま、自分なりにキリスト教と向き合い「自分なりの信仰」をすればいいのだと気づいたのでした。

「なんだ、それだけのことか」とお思いになる読者もいらっしゃると思います。しかしそのことは、彼にとって「大発見」だったのです。

人生の意味を問い続ける

彼の人生に「大発見」が起きたのは当然、彼の思い込みが瓦解したからです。牧師になれないという思い込みが、なんらかをきっかけに崩れたので、彼はその後「逆転人生」を歩めた。

ということは、親ガチャから人生をひっくり返すには思い込みを瓦解させるとよいと言えます。

でもどうやって?

人生の意味を問い続けることによって。

これが本項の答えです。

実際にキルケゴールは、子どもの頃から、人生の意味を問い続けてきました。自分と世界のチグハグな感じを、彼はずっと抱いていたので、おのずと人生の意味を問うてきたのです。

誰にでもできること

今、生きるのがしんどいと思っている人の中にもおそらく、幼少期から生きづらさを抱えつつ、人知れず人生の意味を問い続けている人がおられるでしょう。

人生の意味を問い続けるとある日突然、キルケゴールのように「大発見」が起き、その結果「逆転人生」になるのか?

その答えは誰にもわかりません。

大発見はないかもしれません。あったとしても、人生逆転とはならないかもしれません。

しかし、人生の意味を問い続けることによって、人生は私たちに、確かに、何かを語りかけてきます。キルケゴールの場合、彼の人生は彼に「自分なりにキリスト教を信仰してもいいのだよ」と語りかけてきました。

だからその後の彼は、牧師より牧師らしい生きざまになったのです。何を書いているのかよくわからないと思いますが、ようするに彼は現在でも「クリスチャン」と評されないように、クリスチャンをはるかに超える誠実さ、真剣さで、神と対峙したのです。

人生の意味を問い続けることは誰にでもできます。電車の中で、お風呂の中で、ぜひあなたの人生があなたに語りかけてくる声に耳を澄ませてみてはいかがでしょうか。

哲学者・作家・心理コーチ

8歳から「なんか寂しいとは何か」について考えはじめる。独学で哲学することに限界を感じ、42歳で大学の哲学科に入学。キルケゴール哲学に出合い「なんか寂しいとは何か」という問いの答えを発見する。その結果、在学中に哲学エッセイ『自分を愛する方法』『希望を生みだす方法』(ともに玄文社)、小説『鈴虫』が出版された。46歳、特待生&首席で卒業。卒業後、中島義道先生主宰の「哲学塾カント」に入塾。キルケゴールなどの哲学を中島義道先生に、ジャック・ラカンとメルロー=ポンティの思想を福田肇先生に教わる(現在も教わっている)。いくつかの学会に所属。人見アカデミーと人見読解塾を主宰している。

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