【なぜアメリカで日本製特撮ヒーローは再評価された?】ハワイで記念日まで制定された特撮ヒーローって誰?
みなさま、こんにちは!
文学博士の二重作昌満(ふたえさく まさみつ)です。
特撮を活用した観光「特撮ツーリズム」の博士論文を執筆し、「博士号(文学)」を授与された後、国内の学術学会や国際会議にて、日々活動をさせて頂いております。
早いもので12月も半分が過ぎましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
さて、今回のテーマは「変身」です。
突然ですが皆さまは、変身と聞くと何を思い浮かべますか?
広辞苑では、変身とは「姿を変えること。またその変えた姿。」と定義され、今の自分とは違う姿になりたい、異なる身分になりたいという変身願望に象徴されるように、変身とは新たな自分になることを表わす言葉として用いられることが多いようです。
私達が暮らす日本では、主人公が異なる姿に変わって悪と戦う「変身ヒーロー(ヒロイン)」の活躍を描いたアニメ・特撮ヒーロー番組が多数発信されてきました。
例えば、毎週日曜日の朝番組(いわゆる、ニチアサ)として現在も放送されている、東映制作の仮面ライダーシリーズやスーパー戦隊シリーズ、また東映アニメーション制作のプリキュアシリーズはその最たる例ですが、各シリーズも数十年に渡る長い歴史を有しており、こうした変身ヒーロー番組番組は、我が国を代表するひとつの文化として定着しているといっても過言ではありません。
例えば『スーパー戦隊シリーズ』は『パワーレンジャー(Power Rangers)』として海外に輸出され、米国をはじめとする100カ国以上で放送されているほか・・・
プリキュアシリーズは『Glitter Force』と題して、米国の動画配信サービス「NETFLIX」で配信されており、海外でもスマホやPCで気軽に動画が視聴できます。
このように、海外でも日本産の「変身ヒーロー(ヒロイン)」が浸透している事例は多々確認できますが・・・その中でも、特に独自の発展を見せたのが、日本人には非常に馴染み深い米国・ハワイ州でした。
ハワイは1964年の海外旅行自由化以降、日本人観光客の人気旅行先のひとつとして定番であるほか、日本からも『ウルトラセブン』(ウルトラマンシリーズ第3作)をはじめ、たくさんの変身ヒーロー番組が輸出されてきました。
その結果、ハワイでは独自の変身ヒーロー文化が築き上げられており、現地では記念日の制定のほか、出演俳優の名誉市民化等、アメリカの他州と比較しても類を見ない様相をたくさん確認することができます。
そこで本記事では、まず我が国の歴史において変身ヒーローに最も熱狂した時代である「変身ブーム(1970年代初頭)」について少しお話をした後に、ハワイ州で大活躍した日本の「変身ヒーロー」に焦点を当てていきたいと思います。
※本記事は「私、ヒーローものにくわしくないわ」あるいは「ハワイに行ったことがない」という皆様にも気軽に読んで頂けますよう、概要的にお話をして参ります。お好きなものを片手に、ゆっくり本記事をお楽しみ頂けますと幸いです。
また本記事における各原作者の表記ですが、敬意を表し「先生」という呼称で統一をしております。本記事を通じてはじめてアニメ・特撮ヒーロー番組に触れる方もいらっしゃいますので、ご配慮を頂けますと幸いです。
【変身!トォー!】日本が最も変身ヒーローに熱狂した時代、「変身ブーム」ってどんなブーム?
「ところで、なんで日本が変身ヒーローに最も熱狂したのが1970年代の初頭なわけ?」と疑問を持たれている方も多いかと思います。
確かに、私達の暮らす日本では度々「変身ヒーロー」を対象としたブームが発生しており、近年ではヒーローに変身するイケメン俳優にスポットが当てられ、女性ファンをはじめ多くのファンが仮面ライダーやスーパー戦隊シリーズの催事に集まったという記録も散見することができます。
しかし、こうした変身ヒーローに対する人気を確固たるものにした時代こそ、1970年代の初頭でした。仮面ライダーシリーズも当時代に誕生しており、国内で爆発的なブームを巻き起こしたほか、次々と変身ヒーロー番組が制作され、海外展開が開始されるようになったのもこの時代でした。ことの発端は1971年4月3日、仮面ライダーシリーズ第1作『仮面ライダー』の放送開始に遡ります。
原作者に石ノ森章太郎先生、プロデューサーに平山亨氏を迎え、等身大の特撮ヒーロー番組として発信された本作は、世界征服をたくらむ悪の秘密結社ショッカーによって拉致されて「改造人間」となった2人の主人公が、人間の自由のために仮面ライダーに変身してショッカーが造りだした改造人間達と戦う物語でした。
当シリーズ放送以前、子ども達の心を掴んでいたのは円谷プロ制作の『ウルトラマン(1966)』シリーズをはじめとする巨大変身ヒーロー番組でした。身長数十メートルの巨大なヒーローが、町を破壊する怪獣と戦う当シリーズに対し、『仮面ライダー(1971)』は等身大のままで超人的なパワーを発揮するヒーローと怪人が日常的な情景の中で激突する物語を描いていました。
さらに『仮面ライダー(1971)』は番組の途中(第14話)から、2人目のヒーローである仮面ライダー2号が登場したことに伴い、シリーズはじめて「変身」の掛け声と共に特定の動きを行う変身パフォーマンスが導入されました。
「変身!トォー!」のかけ声とポーズと共に、パッ!とヒーローに変身する主人公の活躍に子ども達は心を掴まれ、玩具やお菓子を筆頭に爆発的なブームが巻き起こりました。
このブームに便乗し、当時たくさんの映像制作会社によって次々と変身ヒーロー番組が制作されていきました。仮面ライダーでブームに火を付けた東映は『人造人間キカイダー(1972)』や『変身忍者嵐(1972)』等を制作し、対してウルトラマンシリーズを制作した円谷プロも『ミラーマン(1971)』や『ファイヤーマン(1973)』といった、ウルトラマン以外の数々のヒーロー番組を次々に送り出していきました。その競争は熾烈を極め、時にヒーロー番組の裏番組がヒーロー番組なんてこともあったようです。
上述したような、変身ヒーロー番組が大量生産される時代は、後に「変身ブーム」と呼ばれるようになります。今でこそネットだSNSだで変身ヒーローの画像や動画、その他情報を簡単に目視できる時代ですが、当時はビデオもなければDVDもありません。一発勝負のリアルタイム視聴のために子ども達が真剣にテレビの前に座して待つ光景が、国内の各家庭に広く見られた時代だったのです。
【スイッチオン!!1!2!3!】まるでハワイ版「変身ブーム」?人造人間キカイダーがハワイで巻き起こした大ブームとは?
東映の『仮面ライダー(1971)』シリーズの放送開始に伴い、隆盛を極めていた変身ブームも、1973年をピークに終わりを迎えていくようになります。
正に盛者必衰、何事も終わりというものは来るものです。
変身ブームが衰退していくようになった原因は複数ありますが、代表的なものとして、国内情勢ではオイルショックが発生し、ドカンドカンと派手な爆破による演出等が難しくなってしまったこと。さらには子ども達の関心が、次第に巨大ロボットアニメを筆頭とする別のコンテンツへと移行していった等の要因が挙げられます(余談ですが、東映動画制作のロボットアニメ『マジンガーZ(1972)』の裏番組は宣弘社制作の変身ヒーロー番組『アイアンキング(1972)』。アイアンキングが視聴率的に苦戦を強いられたのも、これとばかりは「相手が悪かったか・・」と思います)。
ブームのピーク時は増産体制に入っていた数々の変身ヒーロー番組も次々に放送を終了し、ウルトラマンも仮面ライダーもシリーズを一旦終了させる事態へと陥ることになりました。
・・・しかし、先述した変身ブームの中で誕生した一部のヒーロー達は、その活躍の場を日本から海外へと移した者もおり、彼らの向かった先が米国・ハワイ州だったのです。
「そもそも、どういった経緯でハワイに特撮ヒーローが入ってきたの?」という方も多いと思います。そこで、簡単にその背景をお話しすると、大きな要因は「ハワイでの日本語専門チャンネルの開設」でした。
戦前より日系人が多かったハワイでは1960年代より、州内各局にて日本のテレビ番組の長時間放送を希望する声が現地の日系人達から高まりました。
そこで、1967年に海外で初の日本語テレビ局である「KIKU-TV」が開設されます。当テレビ局の開設にあたり、KIKU-TVは日本からのテレビ番組の調達を開始します。その際に買い付けられたのが、株式会社東映(以降、東映)制作の特撮ヒーロー番組『人造人間キカイダー(1972)』でした。
漫画家・石ノ森章太郎先生原作の『人造人間キカイダー』は、変身ブームまっただ中である1972年7月から1973年5月まで、NET(現在のテレビ朝日)にて、30分番組として放送されました。世界征服を企む悪の組織「ダーク」が送り込むロボットと、人間を守るキカイダーが戦う内容で毎週展開されました。
本作の主人公であるキカイダーは人々を守るロボットでありながら、善悪を判別する装置(良心回路)を取り付けられたことにより、「何が良いことで何が悪いことか」について苦悩するヒーローでもありました。
本作が選出された背景として、総支配人のジョアン二宮氏によれば『人造人間キカイダー』の物語が内包していたヒーローの弱さや親しみが導入され、人間味のあるところが日系をはじめとするアジア系の多いハワイの視聴者にヒットするという確信だったそうです。
『人造人間キカイダー』がハワイへ輸入されたのは、日本での放送が終了した1973年のこと。当時のハワイのテレビ事情は、海外ドラマは吹き替えが主流でした。
しかしこの『人造人間キカイダー』、なんと日本で放送された本編に英語字幕をつける形で、日本語テレビ局のKIKU-TVで放送が開始されました。するとこれが大当たり!日系人が多いというハワイの土壌も手伝ってか、類を見ない大ブームを巻き起こしました。
本作はKIKU-TV史上最高視聴率である24%を記録したほか、当時のショッピングセンターで開催されたサイン会には1万人が押しかけ、やむなく中止になった等、ハワイに爆発的に拡大していったこのキカイダーブームは、なんと特撮ヒーロー番組を観る年齢層ではない若者にも浸透していきます。ディスコにも「人造人間キカイダー」の主題歌「ゴーゴー・キカイダー」がかかって皆が踊り出す現象も発生しました。
Bishop Museum
住所:1525 Bernice St, Honolulu, HI 96817
メール:claudette@bishopmuseum.org
電話番号:808-847-3511
URL:https://www.bishopmuseum.org/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/(外部リンク)
このキカイダーのヒットに伴い、日本の各映像制作会社はそれに続かんと、自社の変身ヒーロー番組を次々にハワイへ輸出するようになりました。キカイダーを制作した東映は、『仮面ライダーV3』や『秘密戦隊ゴレンジャー』、『イナズマン』をハワイで放映し、円谷プロは『ウルトラセブン』、東宝は『愛の戦士レインボーマン』や『ダイヤモンド・アイ』、ピー・プロは『電人ザボーカー』といったように、数多くの日本の特撮ヒーロー番組がハワイで放送されるようになります。完全一致とまではいかないものの、当時はハワイにおける変身ブームと呼べる時代だったのかもしれません。
しかし、ウルトラマンや仮面ライダーといった強力なライバル達を差し置き、圧倒的な支持を堅持したのがキカイダーだったのです。
もはや社会現象ともいえる爆発的ヒットを巻き起こしたキカイダーですが、この大ブームはハワイの政治の世界にも影響を与えました。
まず、『人造人間キカイダー』及びその続編『キカイダー01』にて主人公を演じた俳優の伴大介氏(キカイダー:ジロー役)と池田駿介氏(キカイダー01:イチロー役)がハワイにて名誉市民に認定されました。日本の変身ヒーロー俳優が外国で名誉市民となった最大の理由とされているのが、「キカイダー」を観て育った子ども達が道徳的に成長したことに対する評価であるとされています。
先述したように、TV番組の中でのキカイダーは、善と悪の狭間に葛藤するヒーローであり、「何が良いことで何が悪いことか」を子ども達に訴えた内容でした。つまり、ハワイは日本の特撮ヒーロー番組を教育的見地から評価していたのです。
さらに、キカイダー放送当時に行なわれたハワイ州議会議員選挙において、立候補者の一人が「ミスター・ギル」(キカイダーに登場する悪の組織の首領)を名乗って選挙に出馬し、キカイダー人気にあやかって票を得ようとしたところ、結局落選した逸話が残されています(※正直、悪役である敵の首領を名乗って選挙に出れば、かえって子ども達から嫌われるリスクも考えなかったのか?とさえ感じますが・・・)
このように大人気番組となった『人造人間キカイダー』ですが、放送終了後も再放送が何度も行なわれています。特に2001年11月にKIKU-TVで再放送された際はブームが再燃し、幼少期にキカイダーを観ていた30~40代の世代が親となり、子ども達と一緒にキカイダーを楽しむ現象は「ジェネレーション・キカイダー」と呼ばれ、現地で社会現象化しました。
またこの新たな社会現象の発生に伴い、ハワイではキカイダーの記念日も制定されました。ハワイ州カエタノ知事により2002年より4月12日を「ジェネレーション・キカイダー・デイ」、マウイ市長により2007年から5月19日を「キカイダー・ブラザーズ・デイ」として制定しました。
これ以降、ハワイでのキカイダーブームは隆盛と沈静を繰り返しながら現在に至ることになります。私も幼少期よりハワイでロングステイをしていたので、現地でのキカイダーブームにはよく触れてきたのですが、キカイダーの新作映画が公開されれば大ヒットする、DVDが発売されれば即売り切れる、アロハスタジアムではハワイ大学のマーチングバンドがキカイダーの主題歌(しかもエンディング曲)を演奏する、着ぐるみショーや主演俳優のトークショーには大勢が集まるという光景や情報に出会すこともしばしばでした。
2023年1月にハワイ州における最後のキカイダーイベント『KIKAIDA FOREVER』(外部リンク)が開催されました。当イベントがハワイにおけるキカイダーイベントの一区切りと謳われてはいますが、ウルトラマンや仮面ライダーと同様、キカイダーは時代を超えて復活する永遠のヒーロー。
新たな次世代のキカイダーがハワイに帰ってくる日も、そう遠くはないのかも知れませんー。
【おまけ】アメリカで浸透しづらかった変身ヒーローのモチーフは?アジアで活躍した鉄道ヒーローの活躍とは?
上述してきたように、ハワイでは東映の『人造人間キカイダー』が爆発的にヒットし、ハワイという1つの州を代表するキャラクターとして大きく成長するに至りました。
このように、日本の変身ヒーロー番組がアメリカを筆頭とする異国で大ヒットした背景には、現地の国民性や風俗習慣も大きく関わってきます。欧米とアジアを比較しても、そもそも文化様式や歴史も根本的に異なるため、必然的に現地で適合しやすいヒーローとそうでないヒーローの間に違いも出てくるのです。
例えば「公共交通機関」に注目してみると・・・。
私達日本人にとって身近な交通機関である電車もしくは新幹線といった「鉄道」ですが、アメリカでは日本ほど身近な乗り物ではありません。私達日本人の感覚では県境を跨ぐ手段として新幹線を活用することが多いですが、国土も広大なアメリカでは州間を移動する手段として飛行機が活用されています。州間で時差も発生するほど広大な国土なので、陸以上に空を飛ぶ手段が重宝されているのです(もちろんアメリカにも鉄道はありますが、その主力は旅客輸送でなく貨物輸送が中心です)。
「じゃあ日本と同じように島国であるハワイはどうなの?」と聞かれると、ハワイで本格的な旅客鉄道事業が開始されたのは、なんと2023年!
車両は日立製の完全自動運転式で、島の南部およそ30キロ、19駅の区間を走行する予定です(2031年に全線開通予定)。
よって本線が開通する以前は、私はトロリーバスやレンタカー、場合によってはセグウェイでオアフ島内各所を移動していました。また利用したことはありませんが、レンタサイクルの貸し出しもハワイでは行なわれています。
このように本土に関わらず、ハワイでも鉄道があまり浸透していない状況の中、アメリカで電車や新幹線をモチーフにした変身ヒーロー番組の浸透は難しいと考えられます。これに対し、日本と同様に公共鉄道が発達している台湾に市場が定められ、現地で放映され好評を博したのが東映制作の特撮ヒーロー番組『烈車戦隊トッキュウジャー(2014)』でした。
本作は『秘密戦隊ゴレンジャー(1975)』に端を発するスーパー戦隊シリーズの第38作。記憶を失った5人の主人公が「トッキュウジャー」に変身し、敵組織(シャドーライン)によって占領された国内各所(駅や路線)を取り戻していく物語。
『烈車戦隊トッキュウジャー』は国内での放送終了後、2016年には台湾で放送され、現地では玩具のほか、児童誌やマンガの販売といった日本にはない展開も行なわれてきました。
現時点で『烈車戦隊トッキュウジャー(2014)』はアメリカに進出していませんが、いつか他のスーパー戦隊シリーズとアメリカで肩を並べて活躍する姿を観てみたいものです。
最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。
(参考文献)
・大場吾郎、「テレビ番組海外展開60年史 文化交流とコンテンツビジネスの狭間で」、人文書院
・山下大樹・嶌田美智子(ノトーリアス)、「特撮ヒーローの常識 70年代篇」、双葉社
・大下英治、仮面ライダーから牙狼へ 渡邊亮徳・日本のキャラクタービジネスを築き上げた男、株式会社竹書房
・勝野 宏史、研究最前線 ハワイの『キカイダー』ブーム : ファンダム研究の視点から、人間科学研究
・坂本浩一、「映画監督坂本浩一全仕事」、株式会社カンゼン
・ジェフリー, A・S・モニーツ、多様な社会における多文化教育アプローチとしての多様な視点の尊重と涵養、教育学部論集 19