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【大田区】海苔(のり)は好きですか?羽田空港は海苔空港と呼びたい…大人も子供も自由研究/大森・平和島

krayskyライター/東京神奈川行ったり来たり(横浜市)

ご飯のお供、海苔(のり)。その当たり前の存在が、どのように生産されていたかを知れば、ありがたさも倍増!大田区では昭和38(1963)年まで続いた海苔養殖、その歴史を学べる「大森 海苔のふるさと館」は、京急平和島駅が最寄りの「平和の森公園」の一角にあります。海苔付け体験など、小学校の校外学習の場にもなっている資料館です。入館料無料。

最近は、味付けのりや韓国のりも人気ですが、基本はこの素朴な焼き海苔(板海苔)でしょう!

江戸時代には品川や大森で盛んになっていた海苔の養殖。大森は海苔の名産地として知られていました。明治時代の名産物を紹介する本では「大森の海苔」が、「其(そ)のかほり香(かんば)しく実に東海一の名産なり」と取り上げられています。

明治29(1896)年刊の『諸国名産図会 春』(国立国会図書館デジタルコレクションより)
明治29(1896)年刊の『諸国名産図会 春』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

海苔は昆布やワカメの仲間で、海中で育ちます。海の岩などに自然に育つ”岩のり”とは違って、焼き海苔(板海苔)は養殖。こちらが現代の手順。

1.海苔の”種”である胞子を、カキ殻に入れて育て(5~8月)
2.胞子を養殖する網にくっつけて(9月~10月)
3.さらに育てる(10月~1月)
4.収穫は11月頃に始まり、4月頃まで続く
5.収穫された海苔を加工場に運び洗ったあと、漉き(すき)・脱水・乾燥して板海苔の形にする

古くは「木ヒビ」「竹ヒビ」といって、木や竹を海中に立てて海苔を育てていました。「竹ヒビ」での養殖は昭和10年代にも行われており、再現模型はこんな形。なんという重労働!

館内展示より
館内展示より

海苔を漉く(すく)作業は、”紙すき”をイメージすると分かりやすいですが、生海苔を型に流し込んで形を作る作業。収穫の繁忙期は真冬。かつてはこれが日も昇らぬ早朝から続けられていたとのこと、かなり体がつらくなりそうな仕事です。

館内展示より
館内展示より

ちなみに1974年に出版された『大森海苔資料』によると、「遅い人で一時間当り一五〇枚位、早い人で一時間当り四〇〇枚」を漉(す)いていたそう。さすがに早すぎると品質が落ちるようで、良い海苔には一時間あたり「二五〇枚から三〇〇枚が適当」だったようですが、一時間に150枚でも、筆者にはできる気がしません。

海苔の養殖は、東京湾の水質悪化・埋め立てにより昭和38(1963)年に終了しましたが、今でも大田区には海苔問屋や海苔販売店が残っています。東京国際空港(羽田空港)のあるあたりは、まさに海苔養殖が行われていたエリア。かつて海苔が作られていたことを知ると、世にもめずらしい「東京海苔空港」と呼びたい気持ちに。

2022/8/16からは企画展「新収蔵品展 ~昭和から令和へ受け継ぐ道具たち~」が開始。開館時間は9:00~17:00で、8月は19:00まで。アクセスや時間など詳細はホームページを。海苔についてくわしくなりつつ、地域の歴史も学べる機会です。

「大森 海苔のふるさと館」から南側に出ると、「大森ふるさとの浜辺公園」
「大森 海苔のふるさと館」から南側に出ると、「大森ふるさとの浜辺公園」

<施設情報>
大森 海苔のふるさと館
住所:大田区平和の森公園2-2
アクセス:京急平和島駅から徒歩15分。JR大森駅から京急バス「平和島五丁目」下車、徒歩3分。
大森 海苔のふるさと館 ホームページ
◇企画展「新収蔵品展 ~昭和から令和へ受け継ぐ道具たち~」2022/8/16-11/20

※参考文献
「大森海苔まるわかりBOOK」(大森本場乾海苔問屋協同組合、大田区ホームページ
『大田区の文化財 第十集 大森海苔資料』大田区教育委員会、1974年3月

ライター/東京神奈川行ったり来たり(横浜市)

東京生まれ、東京&神奈川&アメリカ大陸育ち。出版社やメーカー勤務を経て、好奇心とともに東奔西走。好きな言葉は「一石二鳥」「三つ子の魂百まで」。文化/日本語/フィクションとノンフィクション/経済的/すこやかな生活。

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