批判するために公開せよ『オッペンハイマー』、私の感想
ロンドンでのプレミア上映(7月13日)、スペインでの公開(同21日)から3カ月以上経った。
初日は人でごった返し、公開日が重なった『バービー』のお客さんかと思ったら、『オッペンハイマー』の方も完売で、最後列で見る羽目になった。
原子爆弾の開発話などスペイン人は興味ないと思っていたが、クリストファー・ノーラン監督作であること、派手な予告CMがテレビで流されていたことで人気が出たのだろう。
『バービー』の方は8月に日本公開されている。『オッペンハイマー』の方も早く日本で見られるようにしてほしいものだ。
↓本編よりも面白い予告編
■原子爆弾投下を正当化
この作品は原子爆弾の開発と投下を正当化している。
正当化自体は当たり前のことだ。日本にだって戦争時の蛮行を正当化する勢力があるし、そもそも正当化しないとあんな爆弾作れない。
重要なのは、どういう理屈で正当化しているか、の方だ。オッペンハイマーら科学者たちは、どうやって自分たちの正義を信じたのか?
その理屈は書かない。
ぜひみなさん自身が見て確認し、その際に湧き上がった感情を噛み締めてほしい。
私には笑えた。
こんな無知はない、と思えた。当時の戦況をあまりにも知らな過ぎる。落とす側の認識とはこんなものなのか。これがアメリカ人一般の認識、正当化レベルなのか。
『オッペンハイマー』は、当時どう正当化し今も正当化しているかを知るための格好のテキストである。なので、日本人みんなに見てほしい。
原子爆弾を正当化している作品だと承知しつつ、胸糞の悪さを予見しつつ、劇場に足を運んでほしい。
批判されるために公開されるべき映画というのはある。胸糞悪くなるために見るべき映画というのはある。
『オッペンハイマー』はその一つだ。
日本人に嫌われそうだから、と公開しないのが一番いけない。
■3時間の歯切れの悪さは、後ろめたさ?
映画としては、これ、3時間も要るか?というものだった。終わりそうな場面はいくつもあったが、なかなか終わらない。
その歯切れの悪さ、ふん切りのつかなさが、アメリカの後ろめたさを象徴しているように思えた。大変なことをしでかした後にぐちぐち言い訳をする、というか。
面白かったのは科学者たちのノリである。
かつて論文で競ったライバルたちが、国の大義とあってどんどんプロジェクトに加わってくる。散らばっていた天才たちが集まり、「おお、お前も来てくれたのか! 心強い」と握手、抱擁……。
このノリはどこかで見たことがある。
少年漫画の対決ものではお馴染みの展開だし、映画『ザ・コーヴ』の潜入調査隊のノリもこんな感じの高揚感だった。
大変なことがこういう軽さで行われたのである。
■広島平和記念資料館が見せる事実
『オッペンハイマー』を見て、「コラテラル・ダメージ(副次的な被害)もあったが、原子爆弾投下は正しかった」と思った人にぜひ見てほしいのが、広島平和記念資料館で上映されている記録映画だ。
私が衝撃を受けたのは40年ほど前だが、今も見られると思う。
あそこに原子爆弾のもう一つの事実が描かれている。
あれ、オッペンハイマーは見たのかな?
本人が被害映像を見ているようなシーンもある。が、『オッペンハイマー』を見に来たお客さんの方にも見せなくてどうする!
こういう作品なので、公開されたら『オッペンハイマー』をぜひ、そして広島平和記念資料館の記録映画もぜひ見てください。