スティーブ・ジョブズの家に同居。知られざる日本人僧侶が愛された理由。【奥深さが鳥肌もの...!】
「乙川弘文(おとがわこうぶん)」(1938〜2002)という名前を聞いて、ピンとくる人はいるでしょうか?彼、弘文は、日本出身の禅僧で、若き日に精神世界にのめり込んだスティーブ・ジョブズを支えた「心の師匠」でした。
水入らず、二人きりで弘文と対話をしたかったジョブズ。家の外で、夜中に弘文を待ち伏せしていたほどだったとか。また、「日本で僧侶になりたい」というジョブズに対して、「僧侶になるより、起業家として生きる方が自身の命を活かせる」と諭したのは、他でもない弘文だったそうです。
ジョブズと弘文の関係は、2002年に弘文が事故で亡くなるまで、およそ30年間続きました。
けれども、なぜ、それほどすごい人が日本ではあまり知られていないのでしょうか?奇妙なことに、『禅の世界では、傑出した僧侶ほど、世間から身をくらますように生きている』という説もあるそうです。
この本、『宿なし弘文スティーブ・ジョブズの禅僧』(柳田由紀子、集英社文庫、2020)は、「泥中の蓮」として生きた一人の日本人禅僧の生涯を追った本です。
1. スティーブ・ジョブズが唯一認めた、日本人禅僧がいた!
(1) 弘文の経歴
新潟県出身の弘文は、京都大学大学院を卒業後、福井県にある永平寺で修行。その後アメリカ渡り、アメリカやヨーロッパで活躍しました。
(2) スティーブ・ジョブズの結婚式を禅スタイルで取り仕切る
1991年、ジョブズの婚礼は、弘文が取り仕切りました。つまり「禅スタイル」で行われたのです。結婚式は、披露宴を含めて、参加者が数十名というシンプルなものだったそうです。
これだけでも、気難しいジョブズが、いかに弘文という人間を信頼していたか、が伝わってきますね。
(3) 大豪邸に住まわせ、「独り占めしたい」ほど敬愛していた
生前、「現実歪曲フィールド」とも評されるほど唯我独尊だったスティーブ・ジョブズも、弘文だけは特別扱いで、敬意を払っていたとか。
弘文には、先を見通す能力のようなものを持っていました。事故だとか、来客などをいとも簡単に予測できたのです。スティーブ・ジョブスは、そのような弘文の力に魅了されていました。そのため、一時は弘文を自身の大豪邸に招いて、居候させていたようです。
(4) Appleとジョブズと禅。
Apple製品といえば、そのミニマムで洗練されたシンプルなデザイン。Appleのデザインと禅の関係については、賛否両論あるようですが、「禅」の影響も少なからず受けているのでは?とも考えられます。
また、かの有名なジョブズの「スタンフォード大学のスピーチ」では、禅の思想が随所に垣間見られます。
2. 弘文が、生涯ジョブズに愛された4つの理由
(1) 天性の愛くるしさ
弘文に会ったひとは、みんな彼を好きになりました。なぜなら、弘文自身が誰をも愛したから。
(2) 存在そのものが「ゼン」だった
弘文は、存在そのものが「空」のような人。若き日のスティーブは、何をしたらいいのかわからず欠乏感を抱いていました。そんなスティーブ・ジョブズが、「あるがままの自分でいい」と思えるようになったのには、弘文や禅の存在が大きかったようです。
(3) 正反対でありながら、似たもの同士(?)
「ほわん」とした弘文と、気難しく激しいスティーブ・ジョブズは、正反対。それでいて、どちらも芸術家肌のところがありました。
芸術家肌の起業家と、芸術家肌の僧侶ーー。自分にはないものを持ち、似たもの同士でもあったのが、二人が強い絆で結ばれた理由のひとつかもしれません。
3. 弘文の禅的な生き方。別れる生前の評価
(1) 人並み外れた長所と、致命的な欠点で、別れる評価
弘文について、ある人は、「気品があって、審美的、聡明なのに赤ん坊のように無垢」といい、ある人は、「お酒、お金、女にルーズなだらしがない男」と述べます。
彼は、純粋であるがゆえに、現実的な生活能力を欠いてもいた一面もありました。普通の人の5倍は話すのが遅く、約束をすっぽかすこともよくあったそうです。
(2) 美しい、詩人のような言葉
時々、本文中に京都大学在学中の手記が載せられるのですが、その文章がすごく美しいのです。
(3) 「泥中の蓮」という生き方を体現した人
4. この本のここがすごい!本そのものが、「禅」。
この本が書かれた時に、すでに弘文は鬼籍に入っていました。そのため、著者の柳田由紀子さんは、生前の弘文と親交があった人たちに、地道にアポをとってインタビューを行い、なんと8年もの歳月をかけて、アジアからアメリカ、ヨーロッパまで世界中に散らばった弘文の軌跡をおって1冊の本を書き上げているのです。
「インタビュー形式の本って、読みにくいのでは?」という意見もあるかもしれません。けど、これがまた、別の意味ですごいんです。様々な人の目線から、ある一人の人物について忌憚なく語られる言葉の数々。数十名のインタビューで、徐々に浮かび上がってくる「弘文」という人物像ーー。
そこに映し出される「弘文」という一人の人間の姿は、それぞれの人間の「フィルター」を通したものでしかない。禅僧とはいえ、弘文という人も複雑さと多面性、長所・短所を持った一人の人間です。
もちろん、それぞれの人間のバイアスがかかるので、評価は賛否両論。それは、まるで私たちが、「あるがままに物事をみる難しさ」を物語っているようです。それぞれのフィルターを取り払った時に見えてくる、「弘文という人物の、真の姿」とは?
そのような意味で、弘文の生き方だけでなく、この本もまた「禅そのもの」だったのではないか、と私は思います。気になった方は、ぜひ書店や電子書籍でチェックしてみてくださいね。