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水口栄二さん/甲子園のヒーロー その1……夏の甲子園最多安打記録 

楊順行スポーツライター
兵庫県西宮市「野球心」の前で

「あと1本打てば16安打で、新記録だよ」

1986年8月20日、夏の甲子園準決勝。松山商(愛媛)は、初出場の浦和学院(埼玉)に14対3で大勝した。一挙10点を挙げた6回には1イニング連続安打「11」、1イニング全員安打、1イニング最多安打「12」、1イニング10連続得点と、4つの大会新を記録する、絢爛たる勝利だった。

その試合、一番を打つ水口栄二(元オリックスなど)は6打数4安打。通算15安打とし、大会タイ記録に並んだ。つまり、翌日の決勝であと1本ヒットが出れば、新記録というわけだ。

「びっくりしましたよ。記録なんて、まったく知らなかったんで……その夜はちょっと緊張して、いらんこと言いよったなぁと思いましたね」

水口はそう、振り返る。松山商から早稲田大を経てプロ入りし、07年まで現役、その後はコーチとして後進を育成し、13年からは、兵庫県西宮市で少年向けの野球教室『野球心』を運営している。

浦和学院戦の翌日。天理(奈良)との決勝では、1回裏の1打席目に、天理のエース・本橋雅央の外角にバットを合わせると、打球はライト前に転がった。Hのランプがともる。あっさりと、1大会個人最多安打記録を達成したわけだ。

「スライダーだったかな。セカンドライナーかと思ったら、うまいこと抜けてくれました。松山商では、一番打者はなにがなんでも塁に出ないといけないんです。決勝でもありますし、記録よりも出塁が優先でしたね」

県大会での水口は、5試合で打率・381である。まずまずではあるが、とりたてて目立っていたわけじゃない。自身の悩みは、いい当たりをしても、ゴロかライナーがショート、あるいはセカンドの正面に飛ぶことだった。

「三遊間を抜けてもいいのに、なぜショートに捕られるのか、ずっと考えていました。それで大阪入りしてからの練習は、両手のグリップをちょっと空けるようにしてみたんです。そしたら、バットのヘッドが気持ちよく返るし、リラックスして振れる。これ、ええなぁ……と思って、試合でもそのままのグリップで打席に入ったんです」

と水口は振り返る。通常右打者なら、上になる右手の小指と左手人差し指を密着させるようにバットを握るが、それを指1本分離して握ったというのだ。プロ野球選手なら、いまの松田宣浩(ソフトバンク)がちょうどそんなグリップだ。

もともと松山商では春先から、インパクトの形をきっちりと作り、鋭いライナーを打つため、両手を離して打つ方法を練習に採り入れていた。バントの構えのグリップを、そのままグリップエンド方向にスライドさせて打つようなイメージだ。水口はこの練習で、「お? いいライナーが飛ぶやん」という感触を得ていた。甲子園入りしてからそれを思い出し、応用したといっていい。

猛打賞を6試合続けても届かない記録

その新しいグリップがしっくりしたころ。清水市商(静岡)との初戦、1回表の初打席で水口は、センターへ三塁打。2打席目にも、それまでならショートゴロになっていた当たりが、きれいにレフト前にライナーで抜けた。

「"あっ、これだ!"という感じのヒット。グリップを変えてヘッドが返ったし、しっかり踏み込めたせいだと思います」

終わってみれば、6打数5安打4打点の大当たりだ。もともと、芯に当てることには自信があった。打撃練習は、冬場でも竹バット。もし芯を外して打つと、飛び上がるほど痛い。寒い季節となると、なおさらだ。だから、自然と芯に当てる力がついていた。

土浦日大(茨城)との2回戦、明野(三重)との3回戦も、いずれも4打数2安打。沖縄水産との準々決勝でもやはり2安打と、好調は続いた。そこまでの18打数11安打だけでも出色だが、残り2戦、水口のバットはさらに打ち出の小槌と化していく。浦学戦では3打席目以降、4打席連続ヒット。翌日の決勝では、1打席目にいとも簡単に新記録を達成すると、4打席目までヒットを続けた。

試合は敗れたが、水口はこの甲子園、29打数19安打。打率・655の大会記録、大会タイの27塁打はその後に書き換えられたが、8打席連続安打はいまもタイ記録だ。

「このときの松山商の日程は、最後が4連戦で、2回戦と3回戦も中1日なんです。6日間で5試合というのも、感覚が新鮮なまま鈍らずによかったでしょうね。ただ、トーナメントなんで、ひとつ終わったらすぐにまた次。ヒットの数なんかは頭になく、とにかく塁に出ることしか考えていませんでした」

最多安打記録の19が、いかにすごいか。なにしろ、4安打を5試合続けなければ届かないのだ。現に、決勝を含めて最大5試合が原則のセンバツでは、最多安打記録は13にとどまっている。記録を更新しようとなれば、6試合を戦っての準優勝以上がまず必要だろう。それにしても、1試合に3安打以上でやっと届くのだから、とてつもない数字だ。

プロ入り後も、打撃の調子が落ちたら、両手を空けるグリップを試した。そういう自らの経験や、オリックスのコーチ時代にコツコツと書きためたノートはいま、子どもたちを指導する上で貴重な財産になっているという。『野球心』で指導を受けた小、中学生が、高校生として甲子園に出る日もそう遠くはないはずだ。

この話、拙著『高校野球100年のヒーロー』でも詳しくふれています。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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