「8月を迎える前に40本塁打」は過去12人。大谷翔平は39本塁打、7月はあと1試合
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開幕から7月30日までに、大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)は、両リーグ最多の39本塁打を記録している。7月31日にホームランを打つと、8月を迎える前に40本塁打以上の史上13人目となる。
これは、延べの人数だ。サミー・ソーサは、1998~99年の両シーズンとも、7月末の時点で40本塁打に達していた。
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12人中9人は、7月を終えた後に15本以上のホームランを積み上げ、シーズン本塁打を55本以上とした。一方、あとの3人は、8月以降のホームランが15本に届かなかった。
1928年のベーブ・ルースは、7月末までの41本と8月以降の13本で計54本。1969年のレジー・ジャクソンは、40本+7本=47本。1994年のマット・ウィリアムズは、40本+3本=43本だ。
もっとも、この3人のうち、ルースとウィリアムズは、8月以降のチームの試合数が少なかった。1928年のニューヨーク・ヤンキースは、53試合。1994年のサンフランシスコ・ジャイアンツは、9試合に過ぎなかった。8月12日に、選手会がストライキに突入。レギュラーシーズンは打ち切られ、ポストシーズンの試合も行われなかった。
1928年のヤンキースは、ワールドシリーズでセントルイス・カーディナルスをスウィープしている。ルースは、第4戦に3本のホームランを打った。ワールドシリーズを含めると、8月以降にヤンキースの57試合で16本塁打となる。
1969年のレジーは、8月以降にオークランド・アスレティックスが行った63試合中54試合に出場。8月は5本のホームランを打ったものの、9・10月は2本にとどまった。
当時、1シーズンに60本塁打以上の選手は、1927年のルース(60本)と1961年のロジャー・マリス(61本)しかおらず、史上3人目の誕生かと注目されたことがプレッシャーになったのかもしれない。この年のレジーは、メジャーリーグ3年目。23歳と若かった。「ミスター・オクトーバー」と呼ばれるようになるのは、もっと後のことだ。
なお、シーズン60本塁打以上の延べ9人中、1927年のルース(60本)、1999年のマーク・マグワイア(65本)、2001年のソーサ(64本)の3人は、40本未満で7月を終えている。それぞれの本数は、ルースが34本、マグワイアが39本、ソーサは35本だった。
今シーズン、大谷に次いでホームランが多い、ナ・リーグ1位のマット・オルソン(アトランタ・ブレーブス)は、35本塁打を記録している。7月30日に、2本のホームランを打った。
7月31日から8月2日まで、大谷とオルソンは、2人ともトゥルーイスト・パークでプレーする。