お客様が気持ちよく騙される「3つのパターン」
私は営業・マーケティングコンサルタントですから、人間の購買心理を常に意識しています。特に注目しているのは、前から欲しかったものでもないのに、あるキッカケで欲しくなってしまう心理現象についてです。
たとえば吉野家へ行って牛丼を食べようと思っていたのに、カレーライスが美味しそうなので心変わりをした、とか。電子レンジを買おうと家電量販店へ行ってみたところパソコンを買い替えたいと思いつき、電子レンジではなくパソコンを買ってしまった、とか。このような経験は誰にでもあることでしょう。
何となくであっても、自分がとった行動や意思決定は、一貫して正当化したくなるものです。そして自分に納得のいく形でうまく理由づけて説明してしまう。これを意味の偽造……「作話(さくわ)」と呼びます。
「どうしてカレーにしたの? 牛丼が食べたかったから吉野家に来たのに」と同伴者に尋ねられても、「いや、実は朝からカレーが食べたかったんだよね」と作話することでしょう。電子レンジを買うはずだったのに、パソコンを買った人も「前々からパソコンを買い替えようと思っていた。ちょうどいい機会だよ」と言うかもしれません。これも作話です。
このように、その人が当初抱いていたニーズは、購買の意思決定をする前と後とで変わってしまうことがあります。「空気」で人を動かすに書いたように、何となくその「場の空気」に感化されて、ニーズが更新されてしまうのです。これを「ニーズのリニューアル」と呼びます。
整理すると、「既存ニーズ」が、何らかの空気に感化され「新規ニーズ」にリニューアルされる、ということです。ここで重要なことは「ウォンツ」ではなく「ニーズ」が変化している点です。しかもニーズの発生タイミングも無意識のうちに偽造するのです。何らかのキッカケで「何となくコレが欲しくなった」ではなく、「前からコレが必要だったんだ」と言い張るのです。商品を販売する側にとっては、お客様が以前より抱いていた「既存ニーズ」よりも、売上や利益、在庫処分などの観点から、リニューアルされた「新規ニーズ」の価値ほうがアップしているなら都合が良いと言えます。
たとえば日産の「デイズ」という軽自動車を買おうとディーラーにやって来たお客様が、お店にあったSUV「エクストレイル」を見て「以前からエクストレイルは興味があったんだよな」と感じたとします。すると、どうでしょう。お客様は家に帰ったとき、奥様に「エクストレイルにしよう」と言います。「デイズ」を買うものだと思っていた奥様は驚きます。
「どうして? 軽自動車のほうが維持費が安いし、そもそもうちの駐車場は小さいから軽自動車以外はダメって、自分で言ってたじゃない」
そのように反論しても、動じません。単なる購買欲のみならず「ニーズ」そのものが新しく置き変わってしまっているからです。
「いや、子どもと一緒に海とか山へ行きたいって、前から思ってたんだよ。いろいろ荷物を積んで遠出するならエクストレイルのほうがいいと思って」
「海とか山? そんな話、はじめて聞いた」
「言ってなかったっけ? 前からそう思ってたよ。君が忘れているだけさ」
「車を運転するのはほとんど私じゃない。あんな大きな車、無理よ」
「君の運転は危ない。だから、よけいにああいう頑丈な車のほうがいいんだよ」
このように次から次へと作話しながらリニューアルされた「新規ニーズ」を口にします。「お店で見たら買いたくなっちゃった。頼む。買わせてくれ」という「ウォンツ」ではありません。「ニーズ」なのです。しかも以前からあったニーズだと主張するので、説得しようとしても応じません。
しかし、販売側にとって都合の悪い「ニーズのリニューアル」は困ります。つまり、「エクストレイル」を買いたいと思って日産のディーラーへ行ったら、軽自動車の「デイズ」が欲しくなったという事例です。
「よくよく考えたらそんなに遠出する機会もないし、街乗りのほうが多い。それに以前から軽自動車のほうにも興味があった。『デイズ』もなかなかいいよ」
それを聞いた奥様は驚きます。
「前からエクストレイルを買おうって言ってたじゃない」
「うちの駐車場は狭いんだから、あんな大きな車、駐車するのに大変だよ。それに維持費も大変だ」
「ええ? 軽自動車なんて、事故したときが怖いって言ってたでしょう?」
「何を言ってるんだ。今の軽自動車は、ABSやブレーキアシストも装備されているし、『デイズ』なんてアラウンドビューモニターまで設定できるんだぞ。『デイズ』のほうがいいに決まってる」
このようにリニューアルされた新規ニーズのほうが売上や利益と言った面において、「既存ニーズ」より価値がダウンしているなら、販売側はがっかりします。予定通りエクストレイルを買ってもらえばよかったのですが、「いやいや、それほど欲しかった、というわけでもないんで」などと作話されてしまうと、もう取り返しがつきません。
また「ニーズ」というのは、ないところから生まれ出ることもあります。先述した「更新」ではなく「発生」です。車を買い替えるつもりはないが、日産の販売ディーラーで子ども向けのイベントをしているので覗いてみたら、たまたま目にした「デイズ」を見て、「そろそろ買い換えようか。前から車を変えるべきだと思っていた」と新規ニーズが発生してしまうことです。
ここでも、同伴した奥様は驚きます。
「車を買い替える? まだ3年しか乗ってないでしょう?」
「今の車は維持費がかかってしょうがない。車庫入れも大変だし。君だって運転しづらいだろう?」
「何を突然言い始めたの? そんな気になるんだったら、こんなイベントに来るんじゃなかった。まんまと騙されちゃって……」
「騙される? 冗談じゃない。前から軽自動車に買い替えるべきだと考えていたんだよ」
「ウォンツ」ではなく「ニーズ」で、しかもニーズの発生タイミングは「以前からだ」と思い込んでいるため譲れません。これが「新規ニーズ」の発生です。また、ニーズは発生、更新のみならず、その「場の空気」によってニーズが「消滅」することもあります。
たとえばエクストレイルを買う気になったお客様が販売ディーラーへ足を運び、商談を進めるうちに、担当営業が変更になったとします。しかも新しい営業は積極的に商談を進めようという姿勢がなく、スピーディな対応をしてくれません。お店へ足を運んでも不在のときが多く、「この時間に連絡がほしい」と伝えても、忘れていたりして対応に誠実さが感じられません。そうこうしているうちに、お客様のニーズが消滅していきます。
「なんか最近、車の話、しなくなったよね? いつエクストレイルに買い替えるの?」
「エクストレイル? 買わないよ」
「えっ! あれほど買うって言ってたじゃないの」
「何を言ってんだ。本気だと思っていたのか? 今の車はまだまだ乗れるじゃないか。最初から買う気なんてなかったよ」
ここでも重要なことは、やはり「前からそう思っていた」ということです。「新しく変わった営業の態度が気に入らないので、買う気がなくなった」とは言わないのです。しかも本人もそのように感じていません。何となくニーズが消滅してしまったのです。したがって、日産のディーラーから連絡があり、
「当社の営業の態度に問題があったのなら、担当営業を変更いたします。もう一度、お車を検討していただけませんか?」
このように言われても、
「いえいえ。御社の営業さんはキチンと対応してくださいましたよ。それより私のほうこそ申し訳ありません。最初から買い替える気は毛頭なかったので……」
お客様にこう切り返されたら、反論できません。「そうですか……。それでは、またお車が必要になったときにぜひお越しください」としか言いようがないでしょう。
このように、販売する側が作り出す「空気」によって、お客様のニーズそのものが発生、更新、消滅していくのです。企業としては、お客様の財布のヒモを「緩める空気」を常に作りだす努力が必要です。空気は目に見えないため、正しく意識しないと、「場の空気」に感化されて、お客様のニーズが形を変えていることに気付かないからです。
「空気」とニーズの変化をまとめると、こうなります。
●財布のヒモを「緩める空気」によって新規ニーズが発生する
●財布のヒモを「緩める空気」によって新規ニーズが更新する(販売側に都合よく)
●財布のヒモを「固める空気」によって既存ニーズが消滅する
●財布のヒモを「固める空気」によって既存ニーズが更新する(販売側に都合悪く)
【参考図書】