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【昭和100年】「テツ~、部屋においで」 幼少の頃、遊んでもらった湯宿オーナーが語る高倉健の素顔

山崎まゆみ観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)
高倉健と遊んでもらった「ホテル竜飛」社長・杣谷徹也さん(写真提供・ホテル竜飛)

「行け、行くんだ。北緯四一度を越えて北へ行くんだ。人間の歩いた後に道はできる」 森 もり 繁しげ 久ひさ 彌や が叫ぶ。

「この海の底はマンモスにしか渡れねぇんで。わしら人間には無理だ」 これらは昭和五十七(一九八二)年に公開された映画「海峡」の予告編のセリフである。 本州と北海道を隔てる津軽海峡の底に、青函トンネルを 掘り抜く熱き国鉄マンの物語だ。

映画「海峡」は東宝創立五〇周年記念の超大作で、名 匠・森谷司郎監督のもと、高倉健、森繁久彌、三浦友和、 吉永小百合、大谷直子ら豪華俳優陣が出演している。 二時間強の映画のなかでも、「ぴゅ~」「ひゅ~」とい う印象的な風の音が耳に残る。岬に立つ高倉健と森繁久彌のコートやパンツが風で変形していることでも、強烈 さがうかがえる。 地質調査員という設定の主人公を演じる高倉健が荒れ 狂う津軽海峡を小船で地質探査する場面は、船が遭難し やしないかと手に汗握った。まるで海風を体感している かのような迫力ある映像に感嘆した。

現場だっただろうと想像が働く。 津軽海峡でのロケ撮影は昭和五十五(一九八〇)年夏と同五十六(八一)年冬に、それ ぞれ一カ月間行われた。その間、主演の高倉健、森繁久彌、三浦友和、吉永小百合は津軽 海峡の岸壁に建つ青森県龍飛崎温泉「ホテル竜飛」に滞在した。

現在「ホテル竜飛」の社長を務める杣谷徹也さんは当時五歳。高倉健に遊んでもらった ことを鮮明に覚えている。杣谷さんが語るエピソードの高倉健は、一般的な「無骨で不器 用」というイメージとかけ離れていて、驚かされる。 「午後四時か五時くらい、撮影が終わり帰ってくると、『テツ~、テツ~』と私を呼び寄 せて、『何して遊ぶ?』と、いつも鬼ごっこやかくれんぼをしてくれました。撮影がない 時には、健さんのお弟子さんも一緒に一時間とか二時間とか、ずっと遊んでいました」 当時の「ホテル竜飛」は現在とは違い、木造二階建て。家族で暮らす一階のお茶の間を 真ん中に、フロント、ロビー、宴会場、調理場が囲んでいた。そのお茶の間を中心とした、 館内を一周できるルートが、高倉健との遊び場だった。

杣谷さんは高倉健からさらなる厚遇を受けていた。

「マネージャーが自室に戻るのを見計らい、『僕の部屋においで』と私を呼ぶんです。私 は両親から、『決してお客様のお部屋には入ってはいけない』ときつく言われていたので『ダメダメ』と断ったのですが… …、健さんが笑顔で『一回だけだよ』と、甘えるような 目をするんです」 親に怒られるのを覚悟で杣谷さんが高倉健の部屋に入ると、段ボール箱が積み重ねてあ った。

「中身はファンからのチョコのプレゼントでし た。健さんが『テツ、持ってけよ~』って言う ので、ひとつもらったら、『もっといいぞ~』 と、抱えきれないほどのチョコを持たされまし た。『みんなに食べさせろ』と言うのです」 杣谷さんがお茶の間に持ち帰ると、「家族は 『バレンタインのチョコだ~』って、みんな大 喜び。じいさんばあさんにも食べさせました」。

こういったサービス精神の旺盛な高倉健の話 題が矢継ぎ早に出てくる。

※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。

「ホテル竜飛」の大浴場(撮影・筆者)
「ホテル竜飛」の大浴場(撮影・筆者)

映画「海峡」のポスター(撮影・筆者)
映画「海峡」のポスター(撮影・筆者)

観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)

新潟県長岡市生まれ。世界33か国の温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を国内外に伝えている。NHKラジオ深夜便(毎月第4水曜)に出演中。国や地方自治体の観光政策会議に多数参画。VISIT JAPAN大使(観光庁任命)としてインバウンドを推進。「高齢者や身体の不自由な人にこそ温泉」を提唱しバリアフリー温泉を積極的に取材・紹介。『行ってみようよ!親孝行温泉』(昭文社)『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)温泉にまつわる「食」エッセイ『温泉ごはん 旅はおいしい!』の続刊『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)が2024年9月に発売

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