【戦国こぼれ話】もうハンコは不要?サインとして使われた、戦国大名の花押とは?
■ハンコは不要
河野太郎行政改革・規制改革相がハンコ廃止を打ち出して、大きな話題となっている。たしかに、役所などでハンコを忘れて手続きができず、「もう一度来てください」といわれて困った人は多いはず。
戦国時代の大名当主は、花押(かおう)と呼ばれるサインと印章が使用されていた。両方使う場合もあれば、片方しか使わないこともある。今回は、花押について考えることにしよう。
■花押とは何ぞや
花押とは自身で署名(自署)する代わりに使用した記号、または符号のことを意味する。戦国大名など当主クラスの人の場合、花押は右筆(書記)が書状などの本文を代筆したあと、当人が内容を確認しサインとして据える。ちなみに現代でも、内閣の一員として国務大臣に就任すると、花押でサインを据えることもある。
花押は自署するのが普通であるが、花押の形を彫った木版を用いることもある。また、花押の代わりに、印章が用いられることもあった。印章については、改めて取り上げることにしよう。
花押は、もともと自署の草書体だった。草書体とは、文字をもっとも崩し簡略化した書体である。草書体による自署は草名と呼ばれていたが、その形状は文字を崩したとは思えないような特殊な形状だったので、やがて花押と称されるようになった。その起源は、中国の唐(618年~907年)の時代に求められるという。
日本でもっとも古い花押は、承平3年(933)の右大史・坂上経行(つねゆき)のものであるが、花押というよりも草名に近いと指摘されている。
■さまざまな花押
江戸時代の有職故実家・伊勢貞丈(さだたけ)は、花押の形態として草名体、二合体(実名の二字の一部を組み合わせる)、一字体(実名の一字)、別用体(図形を用いる)、明朝体(天地の二本の横線の間に書く)を挙げているが、実際はもっと複雑である(『押字考』)。
平安時代において、花押の形態は草名体、二合体、一字体が基本であり、実名をベースとしていた。実名を用いるのは、花押が書状などを書いた際、本人であることを示す機能を持っていたからだ。他人には真似できない、独自の花押を作ろうとしたのはたしかである。
とりわけ戦国時代には、実名の文字を裏返したり、倒置するなど特殊な技法が用いられた。ただし、一般庶民は略押といい、簡単な記号で済ませるか、筆軸の頭に墨を塗って、印章の代わりに用いた(筆軸印)。
■花押は元服を済ませてから
武士は元服を済ませると、花押を持つようになる。成人した大人の証でもあった。花押は1代で1種類のみということもあるが、政治的な画期、改名、出家、または偽造を防ぐために、変わることがある。
織田信長は、何度も花押を改変した代表的な武将である。あるいは、用途によって違う花押を用いることもあった。たとえば、足利将軍家では、公家様花押と武家様花押の両方を用いていた。
花押は単なるサインではなく、それぞれの武将に個性が見られる。博物館などで古文書に書かれた花押を注意してみると、おもしろい発見があるに違いない。