“まつり”と“フェス”はなにが違うんだろうと、“旭ジャズまつり”の帰り路に考えてみた。
横浜駅から相鉄線の特急・急行ならひと駅。
10分ちょっとで到着する二俣川駅の改札を抜けて、爪先上がりの坂をしばらくのぼってから下りると、15分ほどでこども自然公園に着いた。
二俣川駅や、JR横須賀線東戸塚駅からバスに乗ることもできるが、ジリジリと照りつける太陽を浴びながら、夏のイヴェントならではの雰囲気に自分の身体を慣らしておきたい気分のほうを優先させた。
だって、前日は台風12号の関東接近で、横浜は午後から出歩くのに危険を感じるほど風雨が強まっていて、太陽を拝むどころか、その道を歩けない状況になっていたかもしれないところだったから。
台風は異例のカーヴを描いて西へ進み、イヴェントの開催に支障をきたす心配はなくなった。
おかげで泥濘への対応は残ったけれど、絶好の野外イヴェント日和と呼べる日を迎えることができた。
会場に近づくと、すでに始まっている演奏が蝉の声のなかから徐々に浮かび上がってくる。
今年で29回を迎えた“旭ジャズまつり”は、12時からがアマチュア、15時からがプロの登場というタイム・スケジュール。
ボクが会場に到着するころには、すでにプロ・ステージが始まっていた。
旭ジャズまつりは今年で開催29回を数える。
第1回の開催以来一度も中止することなく続いている、ギネスブック級のイヴェントなのだ。
世の中では「生産性」が注目されているようだけれど、こうした“文化系イヴェント”の生産性を計量するのはかなり難しい。
チケット代金として支払われる“サービス利用者の対価”という収益でイヴェント運営の費用を100%まかなうことは、ほぼ不可能と言っても過言ではないからだ。
結果として主催側は、寄付や協賛金、行政の助成金などに頼らざるをえず、その多くは継続開催を約束してくれるほど安定・信頼できるものではなかったりする。
つまり、回を重ねてイヴェントを開催するには、どこかで誰かが“頑張って”いてくれなければならないのだ。
イヴェント継続の要件には2つの選択肢がある。
1つは規模を縮小して、予算が減っても開催できるように“諦める”こと。もう1つは、“意地を見せる”こと。
旭ジャズまつりが、規模を縮小せずに29回の開催を実現させてきたのには、そこに“意地”があったからではないだろうか。
誰の“意地”かと言えば、開催運営の中心を担っている“実行委員会”だろう。
多くのイヴェントが、出資額の多さを基準とした優先順位によって“意志の決定権”を与えるのに対して、「このイヴェントを続けたい!」という“想い”を基準に決定権が与えられているのが、ボランティアが中心となって開催・運営している旭ジャズまつりなのだということを、取材をしているなかで知ることができた。
もちろん、“想い”だけで誰もが動いてくれるはずはない。むしろ、「なんで資金もないのに無理してそんなことをやるの?」という意見のほうが多いのかもしれない。
生産性だけでなく採算性にも疑問が生じれば、それに対する合理的な解決策の提示がなければならない。
“想い”だけでは、現実が変わらないことのほうが多いからだ。
ちょうどこの日は、新潟県の苗場ではフジロック・フェスティヴァル、東京では隅田川花火大会が開催されていた。
いずれも動員数が桁外れな“生産性の高い”イヴェントと言えるだろう。
そして、その開催・運営を成功させるために、関係者は“桁外れな”努力をしているであろうことは否定しない。
フジロックには12万5千人、隅田川花火大会には87万4千人の来場者があったという。
旭ジャズまつりは2千人。ジャズのイヴェントとしてはかなり大規模だと言えるのだけれど、それでも桁が2つも違っている。
いや、桁を増やして、生産性を上げろと言っているのではない。
“まつり”なんだから、その地域の同好の士が楽しめればいいじゃないかと言っているのでもない。
“フェス”としてもっと規模を大きくして楽しもうという“想い”も、“まつり”として灯火を絶やさないようにしようという“想い”も、同じように大切ではないかと思っている。
さて、来年は30回という節目。
周辺事情も含めて、取材も継続していきたいと考えています。