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『WBC代表監督決定の裏側』

木村公一スポーツライター・作家
2009年、サンディエゴ・ペトコパークでの戦いを前にして。

監督は決まったけれど。

混迷していたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の代表監督が、ソフトバンクの秋山幸二監督で落ち着いたらしい。本人は表向き固辞の姿勢を崩さないが、同球団に近い関係者によると「王貞治球団会長の説得で、秋山監督も断れなくなった」のだとか。王会長は同職と兼務する形でコミッショナー特別顧問も務めている。これまで秋山監督は「現職監督が代表監督をするのは無理」と固辞し続けてきたが、王会長としても、秋山の心情は痛いほど理解しつつ、だが他に適任者を見つけられず、いわば“苦肉の策”として自軍の秋山監督を説得するしか道がなくなっていたようだ。

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それほどに代表チームの監督とは「なりたがられない仕事」なのか。

関係者によれば、今回、代表監督として公式、非公式あわせ打診した相手は、落合博満元中日監督、原辰徳巨人監督、そして秋山監督の3人だけだったという。山本浩二元広島監督も名前こそ挙がったものの「あれは王さんが個人的に候補にしていたものを、WBCの日本開催権を持つ読売新聞系のスポーツ報知が、いわば先行する形で報じただけ。一種の“観測気球”だったのではないかと他紙関係者は見ています」(某スポーツ紙デスク)。つまり名前を挙げ、世論の反応を見て、もし賛同が多数を占めれば行く。反発が強ければ引っ込める。球団レベルでの監督人事などでも使われる、プロ野球でのひとつの“手法”だ。

ただ王特別顧問の思惑としては、山本浩二氏に託せればベストだった。名球会での繋がりから懇意で、人柄の良さをかっていたという話もある。しかし一番の理由は、やはり現職監督に任せる負担の大きさを懸念していたからだ。

実際、2月から3月まで所属するチームを離れることは、我々見る側の者が想像する以上に監督という立場には負担がかかり、また公式戦にも影響を及ぼしかねないらしい。

例えばチームを離れることで、選手たちの日々の調整具合を自分の目で確かめることが出来なくなる。新人選手や新外国人に至っては、見られなければ公式戦でどれだけ使えるか否か、判断さえつかない。それでいきなり公式戦に突入する無謀さ……。当然、ヘッドコーチなどが代わりに見てはいても、すべての判断を委ねるわけにはいかない。それでうまくスタートを切れればまだしも、つまづけばヘッドの責任となってしう。だから監督は自分の目で見て判断したい。判断する必要があるのだ。おそらく代表チームの強化合宿期間でも、毎日のようにキャンプ先から練習内容や選手の状態を報告するメールなりFAXが監督には届く。その気になればビデオ撮影した打撃練習なども、今なら簡単に送り、見ることも出来る。だが代表チームの練習を見続けたあとの夜の宿舎で、チームからの報告書に目を通す、その大変さ。合宿時期だけならまだいい。大会が始まれば、それこそ一試合一試合、代表監督としての重圧が加わるのだ。

更に次回大会は3連覇がかかっている。果たせればいいが、もし敗れたときの世論の失望を想像すれば、確かに「なり手が見つけにくい」(加藤良三コミッショナー)というのも無理からぬことだったかも知れない。それでも加藤コミッショナーは「現職監督」にこだわってきた。そして山本元広島監督など「非現職監督」から選びたいと考えてきた王さんに、秋山監督の説得を懇願した。ある球団関係者が話す。

「現職監督」へのこだわり

「加藤さんの本命は、落合さんでした。卓越した野球理論と弁が立つ。この2点で“信奉者”になっていたといっても過言ではない。同じ秋田の同郷ということも親近感を募らせる要因でした」

それだけに前回のWBCのときも就任を打診したと言われているが「読売新聞をライバル視している親会社(中日新聞)の監督が、引き受けるはずもなかった」(同・関係者)。

中日を離れてフリーの身になっただけに、今度こそはと期待を持ったが、やはり断られた。その詳細は明らかにされていないが「落合さんは、国際大会というものがプロ野球選手にとって意義あるものと考えていない。故障したらオワリ。監督でも同様に考えている人ですからね」(同・関係者)。結果、秋山と原の2人に絞るしかなくなったのだという。

加藤コミッショナーが現職監督、あるいは「現場の試合勘が残っている人」にこだわり続けた理由は明快だ。北京五輪での星野ジャパンの惨敗が、トラウマのように残っていたからだ。阪神の監督を離れ5年が経っていた時期に就任した北京五輪の代表監督。メダル確実といわれた中での4位には、誰もが采配の迷いを感じた。

対アメリカ戦、抑え役としてマウンドに向かうダルビッシュと見送るブルペンの投手陣。
対アメリカ戦、抑え役としてマウンドに向かうダルビッシュと見送るブルペンの投手陣。

現地で観戦していた立場でも、それは如実に感じられた。逆の意味で、つまり試合勘の好例と感じられたシーンがある(皮肉にも対戦相手国である韓国に、なのだが)。

それは予選リーグでの日本対韓国戦でのことだった。9回表、韓国の攻撃。2死1、2塁の場面でマウンドに立つのは左腕の岩瀬。そこで韓国は9番の右打者に、あえて金賢洙という左打者を代打に送ったのだ。その選手は国際経験も浅く、この日も控えに廻っていたが、国内リーグでは首位打者を争うほどの打撃センスと好調さを維持していた。とはいえ左の岩瀬に左の代打を送る。結果、金賢洙はセンターに勝ち越しのタイムリーヒットを放った。

のちに、韓国の代表監督を務めた金卿文監督に取材した際、その話を持ち出した。すると彼は当然のようにこう言った。「あの場面、岩瀬投手の球のキレ、とくにスライダーが本来のものではないと感じられた。あのキレなら、たとえ左対左でも金賢洙なら三振はない。彼は変化球をカット出来る技術を持っていますから。そう瞬間的に考え、代打に送ったんです。右打者を送ろうかという、迷いはなかった」

金卿文監督は当時、韓国の斗山ベアーズというチームで監督を務めていた。金賢洙は自軍の主力打者でもあった。だから岩瀬と金賢洙を脳裏でイメージし、勝算を導き出すのも難しいことではなかったのかも知れない。だがまぎれもなく、それは彼が「現職監督」であったからこそ、できたことに違いなかった。なにしろ北京に入る一週間前まで、国内の公式戦を戦っていたのだ。自軍の選手は勿論、相手チームの選手の好不調すら、頭に叩き込まれていた。急造の代表チームでも、采配を振るうのに迷いもなかった。

だからこそ短期決戦の国際大会は、試合勘、勝負勘の研ぎ澄まされた人物、つまりは現職か、より現職に近い感覚を残した人物を監督に据えなければいけない。戦う上では、そして勝つためには、むしろ常道とさえいえるのだ。

そう考えれば、秋山監督に落ち着いたことは、侍ジャパンにとってもベストに近い結論だったといえる(ただし、万が一にも秋山監督が最後まで固辞しつづけたら、原監督への再説得に改めて軌道修正される、という情報もあるが……)。

マウンドを見つめる藤川球児の胸に去来したものは。
マウンドを見つめる藤川球児の胸に去来したものは。

いずれにしても日本の場合は監督選考プロセスが極めて曖昧、より言うならばいつも迷走しているのは問題だ。第一回大会時は前年の9月に王監督に決まった。このときもNPBは選考に汗をかいた。国内のトップクラスの選手をまとめられる人材。メジャーに所属するイチローらも加わる。それだけに「世界の王」に第一回大会を任せたのは、まだ無理もなかったかも知れない。ただその王監督自身が、大会後に「代表監督を決める、なんらかのシステム作りが必要だ」と提言を投げかけた。

今後のためにも、専任監督を設けるべき

そこで第2回大会の監督選考は、『WBC体制検討会議』なる小委員会を組織し、代表監督の選考基準や国際大会への臨み方などの意見を出していくことになった。08年10月のことだ。会議のメンバーは加藤コミッショナーに王特別顧問、楽天の野村監督(当時)、ヤクルトの高田繁監督(現DeNAGM)、北京五輪の星野仙一代表監督、野村謙二郎(現広島監督)。ところが会議開催後、メンバーの1人だった野村元楽天監督が「星野に決まってるみたいじゃない。検討するなんて、形だけだよ」という趣旨の“リーク”をして話は振り出しに戻り、結局、原監督に落ち着いた。原監督も巨人の現職監督であり、重荷を背負った形となったが、前述のように日本での開催権を持つ“親会社の事情”ゆえ、断ることも出来なかった。

それに懲りたというわけでもないだろうが、以後、加藤コミッショナーは同種の諮問、検討機関を設けなくなった。今回の代表監督選考も、12球団の代表者たちは「なんらかの選考会議を作るべきでは」と提言したが、一任を求めた。関係者は言う。

「コミッショナーとしては、会議を設けても迷走することは自明とわかっていた。そのため一任を求め、決めたかったんです。多数のメンバーで話し合えば、どうしても無難な人選に落ち着く。消去法になることもある。とくに関連するスポンサーなどからの“注文”も、ときには圧力になる。だから1人で決めたかったんです」

とはいえコミッショナー自身が直接、直談判するわけにもいかない。情報も限られている。そこで特別顧問である王さんに頼った。あえて乱暴に記せば、今回の代表監督選考は、コミッショナーと王さんが頼みたい、頼みやすい人材という範囲(限界)の中で進んでいたわけだ。

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では今後も、同様に一部トップが水面下で交渉するという、いかにも日本的な形式で代表監督が決まっていくのか。

例えば、一般にはまだ耳馴染みがないかも知れないが、2015年には『プレミア12』なる国際大会が予定されている。

昨年末、アマの国際機関だったIBAF(国際野球連盟)がMLBとの距離を縮め、WBCを単なるイベントではなく国際野球連盟が承認する公式な世界大会とした。その一方で、スポンサーがつきにくく運営に苦慮していた『野球ワールドカップ』と『インターコンチネンタルカップ』を廃止した。代わりに2015年から4年に一回のペースで、WBCの上位12チームで構成する新たな国際大会を開催しようと決めた。つまり現状、隔年ごとに国際大会がプランされているのだ。NPBでは、この『プレミア12』の第一回大会を日本に誘致する考えもあると聞く。にもかかわらず来年の3月が過ぎればなにもなかったように時だけが過ぎ、また前年の夏から秋に、代表監督を決めるため慌て始める、というのを繰り返すのだろうか。

確かに現職監督が代表を兼務するのは負担に違いないだろう。ならば「代表専任監督」を設けてもいいのではないか。1人に限らなくてもいい。例えばNPBの顧問という形で数名の監督経験者を招く。その数名に、監督やコーチを任せる。それならば公式戦中も随時、試合を視察して選手の成長度合いを継続的に調査することも可能だ。そこにアマチュアも招いて合同会議を設ければ、プロとアマ、そして国際大会という、これまでバラバラに動いていたものが一体化もされる。決して特別なことではない。他の競技ではあたりまえに行われていることだ。五輪競技とプロ野球、WBCを混同して考えることに無理はあると承知はするが、それでもこうした組織作りは、やはり必要だと思う。NPBでは興行的にも『侍ジャパン』を常設化し、ビジネスとしての国際大会を本格的に検討し始めた。そこに「専任監督」が加わることに、違和感もないはずだ。いやむしろ自然な流れだと思う。

それにしても、だ。いかに「世界」という冠がつく人物とはいえ、もう好い加減、王さんにおんぶに抱っこの依存体質から脱却出来ないものだろうか?

スポーツライター・作家

獨協大学卒業後、フリーのスポーツライターに。以後、新聞、雑誌に野球企画を中心に寄稿する一方、漫画原作などもてがける。韓国、台湾などのプロ野球もフォローし、WBCなどの国際大会ではスポーツ専門チャンネルでコメンテイターも。でもここでは国内野球はもちろん、他ジャンルのスポーツも記していければと思っています。

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