2024年1月、ダイヤモンド社から『最後の適当日記(仮)』を上梓した高田純次さん。読めば、「適当男」の脳内を眺めるかのような臨場感のある、抱腹絶倒の日記文学だ。
そんな高田さんに「5時から男」から「適当男」になったいきさつについて、話を聞いてみよう。
「5時から男」みたいなキャッチフレーズは、自分からそう名乗ったわけではないんだ
今では高田純次さんと言えば、誰もが「適当男」というキャッチフレーズを思い浮かべるだろうが、実はそれ以前は「5時から男」と呼ばれていたことは、40代後半の人なら誰でも知っているはずだ。
1985年に放送が始まった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)でレポーター役に起用され、「早朝バズーカ」や「勉強して東大に入ろうね会」などの伝説的コーナーを担当。女優の清川虹子さんの豪邸に押しかけて、愛用の指輪を口に入れたりしてハチャメチャなレポートをして人気者になってはいたものの、出演料は安かったそうだ。安アパートに住んで妻子を養っていた高田さんは、工事現場の肉体労働や大道具、キャバレーのボーイ、ちり紙交換などのバイトをしなければ食っていけない生活だったという。
そんな渡り鳥のようなバイト生活にピリオドを打つことができたきっかけが1988年、「5時から男」のキャッチフレーズのグロンサンのCMに起用されたことだった。
「適当男」って、オレ自身ではどんな男なのかわかっていないんだ
高田さんによれば、「適当男」というのも、それと同じようにして自分からそう名乗ったものではないのだという。
きっかけは2006年、高田さんが59歳のときに『適当論』(ソフトバンク新書)という本を出したことだった。
「適当」という言葉には、「量や程度がほどよいこと」という意味と、「その場かぎりでいい加減なこと」というふたつの意味がある。
「適当男」には後者の意味が多く含まれていることは、想像に難くない。
ところで、『最後の適当日記(仮)』のなかで高田さんは、「年をとったらやってはいけない三原則」というものを挙げている。その内容は、こうだ。
一、昔話をしない。
二、自慢話をしない。
三、説教をしない。
この三原則が生まれたきっかけについて、高田さんはこう説明する。
大腸ポリープを取ったことが、オレにとってせめてもの「終活」かな
『最後の適当日記(仮)』には他にも、40代からの付き合いになるイボ痔の話や、60代後半で手術した脊柱管狭窄症の話、それから生まれて初めて受けた人間ドックで大腸ポリープが見つかった話など、「病」や「老い」について、赤裸々に告白する箇所がある。
2024年1月21日で御年77歳の喜寿となった高田さんは、自らの加齢をどのように意識しているのだろうか?
と言う高田さんだが、定期的に人間ドックで健康診断を受ける習慣はなく、初めて受けたのは2022年のことだった。
「高田純次」になりたければ、オレの本を10冊買うといいよ
『最後の適当日記(仮)』を手にとった読者は、帯に書いてある「この本をオレの遺言と思ってくれていいよ」という文句にドキッとするはずだが、その後に続く「あと50年は生きるけど」という言葉にホッとするはず。
ああ、高田さんの「適当男」ぶりは相変わらず健在なのだなぁ、と。
※この記事は、かっこよく年を重ねたい人におくるWEBマガジン「キネヅカ」に公開された記事を加筆・修正したものです。是非、そちらの全長版も読んでください。
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