藤井聡太八冠の歴史的な逆転劇ー「その瞬間」、盤上で何が起こったのか
10月11日(水)に第71期王座戦五番勝負第4局が行われ、挑戦者の藤井聡太八冠(21)が永瀬拓矢九段(31)に勝利し、シリーズの通算成績を3勝1敗として王座を獲得しました。
この勝利により、藤井八冠は前人未到の八冠制覇を達成しました。
この対局は永瀬九段が角換わりを選択して、早い段階で積極的に仕掛けて戦いが始まり、ねじり合いの続く長い中盤戦が展開されました。
終盤に永瀬九段が抜け出して、藤井八冠の玉を詰ませて終局と思われたところから、予想外の逆転劇が起こりました。
この記事では「その瞬間」盤上で何が起こったのか、詳しく解説します。
逆転の伏線
事件が起きたのは122手目で、藤井八冠が△5五銀と詰めろをかけたところでした。
両者は既に持ち時間を使い切り、秒読みに入っていました。
この手は△4六角成からの詰みを狙いつつ、自玉の守りにも効かしています。
将棋AIはこの局面で▲4二金とすれば先手勝率98%と示していました。
具体的には、△同金▲同成銀△同玉に▲5二飛が好手で詰み筋に入ります。(注1)
以下、△同玉は▲5三銀から容易な詰みです。
よって△3三玉と逃げることになりますが、▲5五馬と王手で銀を補充できます。そして、△5五同角成としたときに飛車が5二にいると、手数はかかりますが後手の玉に詰みが生じます。(注2)
▲5二飛に代えて▲6二飛として、△3三玉▲4三馬△同玉と進んだ時に▲4四金を防いだのが△5五銀の意味だったと思われます。
つまり、藤井八冠の△5五銀は相手玉の詰みを見ながら、自玉の詰み筋を一つ消したものだったわけです。
しかし、皮肉なことに▲5五馬とその銀を王手で取られることで、詰まされてしまうのです。
このように書くと藤井八冠の△5五銀が悪手だったかのように思えるかもしれませんが、実際にはその局面で△5五銀に代わる有効な選択肢はありませんでした。
むしろ、△5五銀が逆転の伏線となったのです。
対局後のインタビューで永瀬九段は「▲6二飛で詰まないと思った」と語っていますが、これは▲6二飛△3三玉▲4三馬、という変化について触れたのだと思います。
おそらく、永瀬九段は▲4二金~▲6二飛~▲4四金の筋を考えていたところ、△5五銀という手が現れたことで計算が狂い、▲4二金では詰まないとみて▲5三馬と指したのでしょう。
しかし、この手が歴史的な逆転劇につながってしまったのです。
(注1:▲4二金に△2二玉なら詰みはないが、▲3二金△1三玉▲2二銀△2四玉に▲2七飛と王手角取りをかけて先手勝勢となります)
(注2:△5五同角成以下、▲2二銀△2四玉▲2五歩△同玉▲2六歩△同玉に▲1七銀と打って上部脱出を防ぎ、後は追いかけていけば詰みとなります)
幻の詰み筋
今度は永瀬九段が▲5三馬を選択した理由を検証していきます。実は、この手も相当に有力な手です。
実戦は▲5三馬△2二玉と進展しました。
この局面で▲3一銀という手があります。対して△同金には▲同馬△同玉▲4二金以下、後手玉に詰みがあります。(注3)
△1三玉には▲2五桂△2四玉に▲3五金△同歩▲同馬と馬を活用して詰みとなります。
しかし、▲3一銀に△1二玉が唯一詰みを逃れる手で、飛金桂桂、という先手の持ち駒ではギリギリ詰みません。もし桂の代わりに銀や香があれば詰むのですが。
▲5三馬は時間ギリギリでの着手でした。ここからは推察ですが、永瀬九段は▲4二金からの詰みを検討したものの読み切れず、残り数秒で▲5三馬~▲3一銀の筋に賭けたのではないでしょうか。
確信があって▲5三馬と指したようには見えませんでした。そして、▲5三馬と指した後に▲3一銀△1二玉の局面に詰みがないこと。そして▲4二金と指せば勝ちがあることに気がついたように見えました。
観戦者は、将棋AIの候補手を見ているため、なぜ▲4二金を指さなかったのか、疑問に思うことでしょう。私も観戦中は同様でした。解説者も▲4二金と指せば先手の勝ちと解説していました。
しかし、対局者は自身の直感と読みだけを頼りに闇夜を歩いています。
▲4二金からの詰み筋は相手玉を上部に追うため、心理的な抵抗があります。多くの駒を相手に渡すため、詰まさないと負けるというプレッシャーもあります。
一方、▲5三馬からの詰み筋は狭い範囲で相手玉に王手をかけていくため、読みやすさという点で優れています。
将棋AIの評価や候補手を見ていると、信じられないミスのように感じられるかもしれませんが、対局者の心理状態や思考プロセスを考慮すると、ミスをおかしやすいシチュエーションだったと言えるでしょう。
もちろん、真実は対局者自身にしか分からず、これは私の見解にすぎません。永瀬九段が▲4二金を指さなかったのは別の理由がある可能性も念頭に置いていただければ幸いです。
(注3:▲4二金に△2二玉▲3二飛△1三玉▲2五桂△2四玉▲3五金△同歩▲同飛成までの詰みとなります)
紙一重の勝負
最初の局面から▲4二金△同金▲同成銀△同玉に▲6二飛と進むと後手の玉に詰みはありません。しかし、△3三玉に対して▲5五馬△同角成▲2二銀から王手をかけていくと、後手の急所の攻め駒である5五馬を除去できるため先手の勝勢となります。
言い換えれば、△5五銀に▲4二金と指せば、▲5二飛に気づかず▲6二飛と指しても先手勝勢なので、どう転んでも永瀬九段の勝利に終わった可能性が高いでしょう。
さらに、▲4二金と指せば飛車の打ち場所の選択まで時間の猶予があります(互いに1分弱ずつ使ってその局面まで指し進めるため)。
その間に▲5二飛からの詰み筋に気付けそうです。なぜなら、▲5二飛からの詰み筋は、手数は長いものの一本道なのでプロが逃さない手順だからです。
▲5三馬のような有力手が他になければ、読み切れずともエイッと▲4二金と指すしかなく、その後の展開は勝利につながるものでした。
▲4二金以外にも有力な手があったことが藤井八冠にとっては幸運であり、永瀬九段にとっては不運であったと言えます。
将棋AIの勝率が98%だったとしても、実際は極めて接戦で紙一重の勝負でした。
素晴らしいシリーズと藤井八冠の未来
第3局の結果を受けて、下記の記事を書きました。
藤井聡太七冠の衝撃的な逆転劇。永瀬拓矢王座が「△3一歩」を選ばなかった理由とは?
「衝撃的な逆転劇」というタイトルを付けましたが、それを上回るような逆転が本局で起きました。
対局が終わった直後にX(旧Twitter)にポストしたものです。
その思いは今も変わっていません。
第3局、第4局に限らず、今期の王座戦で藤井八冠は数々の逆転劇を演じました。もちろん、逆転させたのも藤井八冠の実力ではありますが、何か見えない力が働いたかのような逆転もありました。
今期の王座戦での藤井八冠の戦いぶりについて、以下で詳しくまとめていますので、ぜひご覧ください。
運命の王座戦第4局は11日に。藤井聡太七冠の王座戦での戦いをプレイバック
上記のポストでも触れたように、今期の王座戦五番勝負は本当に素晴らしいシリーズで、筆者が見てきたタイトル戦の中でもトップに挙げられるほどのものでした。
対局内容から言えば、永瀬九段が押している将棋が多かったです。このシリーズに全てをかけると話していた通り、周到な準備がうかがえました。
永瀬九段は、無敵に思える藤井八冠を相手にしても勝つチャンスがあることを示しました。
藤井八冠が負ける日は永遠に来ないと思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、藤井八冠がタイトルを失う日はいつか来ます。今回のシリーズを見て、その思いを新たにしました。
過去に羽生善治九段が七冠を達成した時、その一角を崩したのはプロ入りから4年も経っていない三浦弘行五段(現九段。当時22歳、現在49歳)でした。
当時ライバルと目されていた、谷川浩司九段でも、森内俊之九段でも、佐藤康光九段でもなかったのです。
八冠を達成しても、物語は終わりではありません。藤井八冠はまだ21歳です。
藤井八冠からタイトルを奪うのは誰か。次の焦点はそちらに移ります。ライバルと目されているトップ棋士か。それとも意外な人か。現時点ではプロになっていない人かもしれません。
物語はこれからも続いていきます。藤井八冠の未来や、将棋界の今後にもご注目ください。