硫酸男・犯行の動機は「タメ口」だった?~大学生が直面する年齢ギャップ問題
◆被害者と加害者に面識があることが判明
8月28日、港区・白金高輪駅で硫酸を男性会社員に硫酸をかけた、とされる花森弘卓容疑者が沖縄県で逮捕されました。
当初、事件は無差別犯行と思われており、その少し前、8月6日に起きた小田急線殺傷事件と合わせて語られることもありました。
が、その後、加害者側とされる花森容疑者と、硫酸をかけられた被害者の男性会社員は琉球大学の映画サークルに所属していたことが判明しています。
硫酸男の身柄を沖縄で確保、傷害容疑で逮捕 警視庁(産経新聞 2021年8月28日11時配信)
◆年下の「タメ口」がきっかけ?
“硫酸”事件で逮捕の男「大学時代、男性とトラブルあった」と供述(TBSニュース 2021年8月30日12時配信)
そして、本日30日に、花森容疑者がサークル内にて被害男性に対して、タメ口を注意した、との供述が出てきています。
花森容疑者は以前、沖縄県の琉球大学で学年が1つ下の被害者の男性と同じ映画サークルに所属していましたが、花森容疑者が「大学時代、男性とトラブルがあった。自分は被害を受けていた」という趣旨の供述をしていることが新たにわかりました。
一方、被害者の男性は「大学時代にため口を使って花森容疑者に注意された」と話しているということです。(前記・TBSニュースより)
同庁捜査1課は花森容疑者が後輩に対等の話し方をされたことで恨みを募らせ、男性を狙った可能性があるとみて調べる。
捜査関係者によると、男性は「数人で一緒にいる時に(花森容疑者に)ため口を使ったところ、『年齢が上なのにため口はおかしい』と怒られた」と話しているという。
◆大学生が直面する「タメ口」問題、古くからあり
本稿執筆時点(2021年8月30日13時時点)で出た内容を考えると、後輩にタメ口を使われた、つまり対等の話し方をされたことで怒り、それが数年間(あるいはもっと?)、恨みを募らせたことになります。
さて、このタメ口問題、大学生が直面する、ささやかな(だけど、当人にとってはそれなりに深刻)問題として古くからあります。
大学生はそのほとんどが高校に所属しています。高校時代は「学年の差=年齢の差」という分かりやすい構図で生活します。
体育会系部活だと上下関係が厳しく、それ以外の部活・課外活動などでも先輩・後輩の別をしっかりと分ける高校生が大半でしょう。
ところが、大学に入ると、この「学年の差=年齢の差」が一気に崩れることになります。
主なパターンとしては、浪人、高卒・短大等卒出身者との混在、後輩側からのイジリ、3点が挙げられます。
まず1点目ですが、難関大学や国立大学を中心に浪人生が一定数います。同じ学年だけど年上、あるいは、サークルの先輩学生が実は年下、ということも起こり得ます。
2点目は、アルバイト先では指導する先輩アルバイト・社員が実は年下だった、ということは十分起こり得ます。アルバイト先で指導する先輩アルバイトや社員が高卒・短大卒などで職務経験が長いこともあるからです。
3点目は、後輩学生による先輩学生へのイジリです。これは後輩学生側からすれば先輩学生に親しみを感じるものと、先輩学生を小馬鹿にしているものと、それぞれがあります。まれに本人が普段から敬語を使わない、芸能人で言えば、フワちゃんや、一時期のローラ、りゅうちぇるなどにその言動が似ています。
花森容疑者の場合、現時点で出ている情報としては被害男性がサークルでの後輩とのことなので、3点目の「後輩側からのイジリ」になるでしょう。
いずれのパターンも、高校までの「学年の差=年齢の差」という価値観の社会では直面することがほぼありません。
◆大半は「タメ口」OKだが気にする学生も一定数
大学や大学生を19年間、取材してきた私からすれば、タメ口問題では3点目「後輩側からのイジリ」はそれほど目立ちませんでした。一番大きいのは1点目「浪人」パターンです。
この浪人パターン、結構古くからある問題で、私がこの仕事を始めた2003年当時からありました。もっと言えば、私が浪人・大学入学をした1990年代後半にもありましたし、その前にも間違いなくあったはずです。
東北大生の個人ブログ「東北大生のひとりごと」の「【敬語!?】現役大学生が感じた現役生と浪人生の違い」(2019年12月22日投稿)には、同級生の浪人出身者に対する敬語について、次のように書かれていました。
浪人生は大学入学して最初の頃は浪人が発覚すると「あっごめんなさい!タメで話してしまっていて!」
と申し訳なさそうに現役生に言われることが頻繁にあります。
しかし、敬語で話されると心理的距離が出来てしまうこと、自分が浪人生であることを常に認識させられるために敬語で話されることは普通にやめて欲しいです。
だから、浪人生が現役生に対して「タメでいいよ」
と返すのはもはやテンプレとなるのです。
最初のうちは敬語で話されることもありますが、しばらくすると敬語で話すことはなくなります。
※同ブログより該当部分を抜粋
このブログにあるように、年齢が上であることを理由に敬語を同級生に話されると心理的な距離ができてしまいます。それでお互いに気まずくなるよりは、タメ口の方がはるかにましでしょう。
もっとも、気にする学生は浪人出身者であれ、後輩側であれ、気にしてしまいます。
ちょっと古いデータですが、マイナビの大学生向けサイト「学生の窓口」でマイナビ調査が掲載されていました。
「『年上の後輩』が大学にいたら、敬語を使いますか? タメ語を使いますか?」との質問に対して、敬語55.36%・タメ語44.64%と分かれています。
浪人生や留年生……大学生に聞いた、「年上の後輩」には敬語かタメ語どちらを使う?(マイナビ「学生の窓口」2016年3月8日投稿記事)
◆筆者・石渡の場合「浪人経験と周囲は無関係」
タメ口問題については、実は本記事執筆者の私・石渡も直面したことがあります。私は大学受験で2浪・東洋大学に入学しました。
1990年代後半はまだ浪人が多い時代でしたが、入学した東洋大学は早慶・国立大などに比べれば浪人生はごく少数しかいませんでした。確か、私の入学先である社会学部社会学科で浪人出身者は私以外に数えるほどしかいなかった、と記憶しています。
ただ、私は入学時点で、このタメ口問題にあれこれ悩むことはありませんでした。前記の東北大生ブログにあるように、年齢差を気にして心理的な距離が生まれても意味がありません。何よりも、大学受験で浪人したのは私の責任です。他の学生は私が浪人したかどうか、など無関係です。それなら、同級生やサークル・ゼミの先輩学生(かつ年下)からタメ口だったとしても、あれこれ気にするより受け入れた方が話は早い、と考えた次第。
それと、ここまで割り切れたのは、浪人時代の経験も大きかったです。
当時、通っていた代々木ゼミナールで、少しばかり仲良くなった受講生がいました。それで、この受講生がノートだったか、テキスト・参考書のコピーが欲しい、とのことで、私はこれに応じたのです。その答え方がおそらくはタメ口だったのでしょう。そして、この受講生はイラっとしたのか、「年上に対して、そういう話し方は良くない。俺は体育会系だからそういうのはきちっとしていたし、その方が君のためにもなる」とお説教。付言すると、彼が年上であることはそのとき、はじめて知りました。その場では「それはどうもすみません」と流しましたが、帰宅すると、私の方がイラっとしました。
年上であることはそのとき初めて知りましたし、そもそも、同じ浪人という時点で立場は同じはず。年齢がちょっとばかり上だからと言って、物を借りようとする人間にお説教?
コピーを渡す際に、「年齢がどうこう、マナーがどうこうというが同じ浪人生のはず。『君のため』とのことでしたが余計なお世話ですし、今後は話しかけないでください」と伝えて、それっきりとなりました。
この年上の受講生は背後でゴニョゴニョ言っていましたが、無視したのは覚えています。その後、教室などで見かけたかどうかは20年以上も前の話なので覚えてはいません。
ただ、この経験から、大学入学時点で「あの浪人生のようにはなるまい」と考えていたのは今でも覚えています。
◆「君のため」は実は価値観の押し付け
この浪人生が私にお説教した際の「君のためにならない」は、花森容疑者が被害男性に伝えた「『年齢が上なのにため口はおかしい』と怒られた」(前記・毎日記事より)と構造は同じです。
浪人パターンと後輩パターンの違いはあるにせよ、根底には「学年の差=年齢の差」という高校以前の構造を引きずっています。
社会に出ると、この構造が全て当てはまることはなくなりますし、後述しますが、年上の部下・年下の上司、というパターンも出てくるわけです。
もちろん、私は年齢差を全て気にせずタメ口で、とまでは言いません。しかし、「学年の差=年齢の差」であり、それが敬語・タメ口の差に全てつながる、というのはあまりにも狭い価値観です。
こうした狭い価値観から早いうちに脱却できたのは、私にとっては小さいながらもその後につながる幸運の一つだった、と今では考えています。
◆同じ多浪生でも明暗分かれる
私が幸運だったのは、大学入学以降も、3人の知人の行動から「学年の差=年齢の差」という価値観がいかに狭いか、学習する機会に恵まれたことです。
2人は年齢ギャップを克服し、1人は克服できないままに終わり、明暗が分かれました。
まず、うまく行ったパターンから。
1人目は、私の高校同期・A君で、彼は旧帝大クラスの国立大学文系学部に現役で入学します。それだけで相当、頭が良かったのですが、就活に失敗。ここで、彼は一気に方向を転換。大学を卒業し、1年間は浪人。そして、同じ旧帝大クラスの国立大学医学部に入学します。ウソみたいな話ですが、本当にあった話です。私の母校の卒業実績で、旧帝大合格者のカウントを1人で2回、積み上げたのは後にも先にも彼くらいなものでしょう。全くなんだ、その頭の良さは、その頭脳、少しは俺に分けろ、という愚痴はさておき。
いくら難関国立大学医学部とは言え、A君は実質的には5浪であり、現役合格の同級生とは5歳も差があります。
しかし、A君は学生生活も周囲の学生とは問題なく過ごしました。彼が医学部4年生か5年生のときには大学祭実行委員会の責任者を大過なく勤めていたほどです。
当時、A君の同級生に話を聞くと、こう話してくれました。
「5歳も上だから、こちらもどう接していいか、分からないですよね。そしたら、『いや、同級生だし、タメ口でいいから』と話してくれました。年齢が上だからと言って偉ぶることはないし、『年上としてのアドバイスを聞きたい』と言ったときだけ、年上として話してくれます」
A君と同様、うまく行ったのがBさん、というか、ハチローさんです。
このハチローさん、実は面識がなく、1990年代~2000年代に何かの受験関連記事(または書籍)で読んだエピソードです。
大筋では次のように書かれていました。
大学に入ると、ハチローさんと呼ばれる先輩がいた。そこで自分もこの学生をハチローさんと呼ぶようにしたが、特に問題はない。それで友達付き合いをしてしばらくしてから驚いた。
このハチローさん、「八郎」が本名ではなく、受験浪人で8年間浪人した、それで最初から「8年間浪人したからハチローと呼んで」と話し、それが定着したとのこと。
ディテールは違う気もしますが(何しろ文献が不明なので)、大筋ではこういう話でした。
A君もハチローさんも年齢ギャップを克服できた好例、と言えるでしょう。
なお、今の高校生・大学生からすれば信じられないでしょうけど、1980年代~1990年代には難関大学への入学は熾烈で浪人もある程度は仕方ない、との風潮がありました。
当時、ある予備校の机に書かれた落書きは、この風潮を示すものとして今でも残っています。
現役偶然、1浪当然、2浪平然、3浪憮然、4浪唖然、5浪愕然、6浪慄然、7浪呆然、8浪超然、9浪天然、10浪無為自然
A君やハチローさんと異なり、年齢ギャップを克服できなかったのが、私の知人、B君です。彼は現役生時代では私立・難関大学に狙える成績でした。が、不合格し浪人。
ここで「浪人した以上は東大合格を狙いたい」と言い出してしまいます。B君の数学の成績はあまり芳しいものではありませんでした。周囲が止めるのを聞かず、東大を狙うも不合格。それが重なり、結果、彼は7浪します。その後、早稲田大学の文系学部に合格し入学。大学では、ある文化系サークルに入ります。
しかし、このサークルでB君はうまく立ち回ることができませんでした。現役入学の学生とは7年も差があり、年齢差は隠しようがありません。
ここでA君やハチローさんのように、最初から全部伝えればまだ良かったのですが、B君は「まあ、年齢はいいじゃない」とごまかしてしまいます。
そう言われると、周囲は何も言えず、と言って、大きく年齢が離れていることは外見などからも明らか。結果、心理的な距離が出てしまいます。
B君が入学してから1年目の秋に大学祭に行ったとき、このサークルの展示も見学。B君の姿を探すとサークルの学生は「いや、B君はちょっと…」と口ごもってしまいます。翌年には「彼はやめました」とのことで、その後、音信不通となってしまいました。
◆社会人になると「年上の部下」問題も
ここまで大学生の事例をご紹介してきました。
大学を卒業し社会人になると、この年齢ギャップはさらに複雑になります。
入社同期の年齢は大差なかったとしても、環境や能力など様々な要素が複雑に絡みます。その結果、年上の部下を指揮する、あるいは年下の上司に指揮されることが珍しくなくなっていきます。
もちろん、この年齢差を気にして、上司・部下の関係がうまく行かない、という事例は多くあります。
が、一方でそう難しい話ではない、とする人もいます。
「年齢が上だからと言って、上司や先輩社員として必要な指揮を遠慮してしまうと、結果として双方が損をする。仕事のミスを指摘するときは他の部下がいないところで話すとか、相手のプライドを考えれば、そう大きな問題ではない」
あるメーカーで年上の部下を多数抱える管理職に取材したところ、こう答えてくれました。
時代小説の大家である山本周五郎の名作『さぶ』では、主人公の栄二を年下なのに「あにい」と尊敬する万吉が登場します。
万吉は「あにいだけはやめてくれ」と話す栄二にこう反論します。
「あにいと舎弟はとしじゃあねえや。に組の纏持ちで大さんてえあにいがいたが、としはおれより三つも下だった。それがおめえたいした人間でよ、火事のときに纏を持って消し口に走る恰好なんぞ、掛値なしに千両ってとこだったぜ」
『さぶ』は江戸時代が舞台ですが、200年以上たっても「あにいと舎弟はとしじゃあねえや」は現代でも通用する話ではないでしょうか。
◆容疑者は優秀だったのに
花森容疑者は、琉球大学農学部から昨年、2020年に静岡大学農学部に編入した、と報道で出ています。
国立大学の編入枠はそれほど多くなく、特に農学部を含む理工系はごくわずかしかありません。高等専門学校からの編入枠は一定数あるのですが、他大学から編入する場合は、どのような研究をしたいのか、などが厳しく問われます。
この編入枠を突破して静岡大学に入学した花森容疑者は学力や研究などの点では優秀と言っていいでしょう。
しかし、花森容疑者は琉球大学のサークルでのタメ口騒動を長く引っ張り続けてしまいました。
その騒動がいつ頃起きたかは、本稿執筆時点では不明ですが、被害男性が会社員になっていることを考えると、数年以上という長い期間であることは容易に想像できます。
被害男性が花森容疑者にどのような話をしたのか、あるいは、どのようなトラブルがあったかは不明です。
仮に、被害男性が花森容疑者を小馬鹿にする目的でタメ口だったとしましょう。しかし、その後、被害男性は東京で就職し、花森容疑者は静岡大学に編入学をしました。
もし、花森容疑者が違う環境での研究や生活に注力していれば、そして、被害男性のタメ口をスルーしていれば、どうだったでしょうか。おそらくは、その優秀さが社会から評価されていたに違いありません。
しかし、結果としては、このタメ口騒動も含めて恨みを募らせ、硫酸をかけ重傷を負わせる、という傷害事件にまでなってしまいました。
花森容疑者はその優秀さを社会で発揮することなく、傷害事件の容疑者として逮捕されています。
今回の事件は年齢ギャップが根底にあり、負に作用してしまいました。今後、事件の解明とともに、年齢ギャップとその狭い価値観からどう切り替えるか、社会全体で考察が深まることを期待します。