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引退の発表されたパンサラッサについて、吉田豊がラストランまでの思い出を振り返る

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
サウジC(GⅠ)を勝った際のパンサラッサと吉田豊騎手。右端は矢作芳人調教師

初コンビで大逃げ

 「装鞍所で矢作先生から『ラストランになるかも』と聞いていたので『もう最後かなぁ……』と思いながら跨りました」

 そう口を開いたのは吉田豊(48歳)。

 11月26日、東京競馬場で行われたジャパンC(GⅠ)で、パンサラッサ(牡6歳、栗東・矢作芳人厩舎)に騎乗。パドックで乗った時の心境をそう語ると、更に続けた。

 「周回しているのを見ながら、オーナーや矢作先生と『今日は大人しい』という感じで話していました。でも、乗ってから1周したら、案の定、うるさくなってきて、パドックを出る頃には『やっぱりね』という感じでスタッフ皆と、笑い合いました」

ジャパンCのパドック。本馬場へ向かう直前、皆の笑顔が見られる
ジャパンCのパドック。本馬場へ向かう直前、皆の笑顔が見られる

 パンサラッサに、個性を発揮させる事になる彼との、最初の一歩は2021年の秋。東京競馬で行われたオクトーバーSだった。

 「矢作先生から『行ってください』と言われていたので、多少強引に押して逃げました」

 結果、3~4コーナーでは2番手に10馬身ほどの差をつける大逃げ。それでも新たなパートナーは手を緩めなかった。後続を待たずに4コーナーでは手を動かした。それまでも逃げた事のある馬ではあったが、後に代名詞となるこのような大逃げは初めて。結果、プレシャスブルーの追い上げをアタマ差しのぎ、先頭でゴールを駆け抜けた。

初タッグで大逃げをして、ギリギリ粘り込んだ21年のオクトーバーS。内の白帽がパンサラッサと吉田豊騎手
初タッグで大逃げをして、ギリギリ粘り込んだ21年のオクトーバーS。内の白帽がパンサラッサと吉田豊騎手

 覚醒への第一歩とも思える手綱捌きだったが、吉田はかぶりを振って言う。

 「次の福島記念では、菱田(裕二)君が乗って大逃げをしました。結果、初重賞制覇を飾った事で、パンサラッサの形が決定的になったと思います」

 ちなみにそのレースでパンサラッサから4馬身離されての2着が吉田豊だった。

 「先に騎乗依頼を受けていたので、そちらに乗りました」

 結果、重賞を勝利した事で続く有馬記念(GⅠ)も菱田が騎乗。しかし、ここで13着に敗れたため、年明け初戦となった中山記念(GⅡ)では再び吉田に声がかかった。このレースには福島記念で吉田が乗って2着だった馬も出ていたが、今度はパンサラッサの方が早く声をかけてもらった事で、コンビが復活。すると、ここも1000メートル通過57秒台と外連味のない逃げから独走。これにより、続くドバイへの遠征でも、吉田が継続して騎乗する事になったのだ。

 「中山記念が関西圏のレースだったら僕に声がかからなかったかもしれません。そう考えると、色々とラッキーが重なってドバイまで行ける事になりました」

ドバイでの吉田豊
ドバイでの吉田豊

JCでも貫いた自分の形

 良い感じで気合いが乗った状態になり、本馬場へ入場したパンサラッサ。返し馬に移ると、鞍上で好感触を得た。

 「返し馬で凄く硬い時もある馬なのですが、ジャパンCではそれが全くありませんでした。更にゲート裏でのテンションも良い具合に上がっていたので、これなら無理に追う事なくハナへ行けると感じました」

 その考察は的を射ていた。ゲートが開くと、吉田が追う事なく、パンサラッサはハナを奪った。

ジャパンC(GⅠ)1周目のスタンド前で逃げるパンサラッサ
ジャパンC(GⅠ)1周目のスタンド前で逃げるパンサラッサ

 「これなら良いかも」と思った。しかし、向こう正面で誤算が待っていた。

 「2400という距離を考えると、さすがに序盤はいつもよりゆっくり行って、3コーナーあたりから放して行ければ、とイメージしていました。でも、向こう正面に左手前で入ってしまったので、右手前に変えた途端にハミを取ってしまいました」

 距離を考え、抑えるべきか、とも考えた。しかし……。

 「アクセルとブレーキを両方同時に踏んでいるような形になってしまうと思ったので、抑えるのはやめました」

 鞍下の気持ちを重視した結果、1000メートル通過は57秒6。このラップが表示されると、残り1400メートルを憂う大観衆からどよめきが起きた。

 「速いのは分かっていました。でも、パンサと一緒に走れるのも最後になるかもしれないと思うと、悔いは残したくなかったので、彼のレースに徹しました」

 4コーナーをカーブして直線へ向いた際には、スタンドからの大声援が吉田の耳にも届いた。それを聞き、後続との差が離れていると推察すると、直線に向いてからはターフビジョンに目をやり、確認をした。

 「2番手が誰でイクイノックスがどことか、そういう細かい事は分かりませんでした。ただ、2番手以下を放しているのは分かりました」

後続を放したまま直線へ向いたパンサラッサ
後続を放したまま直線へ向いたパンサラッサ

「矢作先生が全て」

 話は22年3月に遡る。ドバイ遠征の詳しい経緯は当時も記したが、この時の一人の男の英断に吉田は今でも舌を巻く。

 「中山記念の前から、海外のGⅠであるドバイターフに登録していたわけですからね。そして、中山記念を勝ったといってもGⅠは未勝利。それを果敢にドバイへ遠征させた矢作先生の慧眼に驚かされました」

 結果は皆さんご存じの通り。海の向こうでもいつものスタイルで逃げると、世界のトップジョッキーであるF・デットーリ操るロードノースと馬体を並べてゴール。同着で1着となり、ユタカがタケだけではない事を、世界に知らしめた。

 「フランキーと同着というのが、出来過ぎでした。個人的にはレース前、正直、厳しいと思っていただけに、矢作先生が凄いと感服するばかりでした」

F・デットーリ騎手と同着で表彰された22年のドバイターフ(GⅠ)
F・デットーリ騎手と同着で表彰された22年のドバイターフ(GⅠ)

 その後、天皇賞・秋(GⅠ)ではイクイノックスにひと泡吹かすかという2着に逃げ粘った。“虎穴に入らずんば”の競馬をする馬の宿命で、惨敗する事も多々あった。しかし、今年の2月には世界最高賞金を誇るサウジC(GⅠ)に出走すると、なんとここでもマイスタイルを貫いての逃げ切り勝ち。中東の記者席から驚きのニュースが世界各国へ打電された。

 これに関しても、吉田は「矢作先生が全て」と語る。

 「ダートですからね。最初に聞いた時は『本当に?!』って思いましたよ。ダートだろうが、自分としてはこの馬の競馬に徹するだけなんですけど、スタートが今一つで道中、砂を浴びる形になっちゃったら、何も出来ずに終わっちゃう可能性もありました。それを考えると、プレッシャーは感じました」

サウジC(GⅠ)を逃げ切った際のパンサラッサ
サウジC(GⅠ)を逃げ切った際のパンサラッサ

奇跡を願ったラストラン

 中東で芝とダートのGⅠを射止めたパンサラッサは、イギリスのグロリアスグッドウッドに挑む予定でいたが、右前繋靭帯炎で回避。ジャパンCは休み明けでの出走となった。再び吉田が振り返る。

 「中間、跨る事はなかったけど、矢作先生とはウェルカムパーティーの席などで話し『状態は良い』と聞いていました」

 レースも終盤に差し掛かり、その言葉に間違いがなかった事を鞍上で感じていた。

 「速いペースで行っていたのは分かっていたけど、直線に向いて手前を変えたら、また行く気を見せてくれました」

 「凄いな」と思いながら追った。

 中間のラップを見た時のファンのどよめきはすなわち「このペースで逃げ切るのは無理」という心情が口から洩れたモノだっただろう。しかし、そんな皆も、この直線を向いた時のパンサラッサを見て「行け!!」と奇跡を願ったのではないだろうか。かく言う私もそんな1人。馬券は他の馬が本命だったが、それよりもパンサラッサと吉田豊が必死に逃げる姿勢に熱い視線を注ぎ、応援していた。

 しかし、そこまで、だった。

 奇跡を願った次の刹那、パンサラッサの脚が止まり、世界ナンバー1ホースが並ぶ間もなくあっさりとかわした。

 「止まったのが分かったので、最初にかわされるならタイトルホルダーかな、と思いました。ところがいきなりイクイノックスが来たので『あぁ~』という気持ちでした」

奇跡のラストランを演出しようとしたパンサラッサ(右から2頭目)を並ぶ間もなくあっさりとかわしたイクイノックス(右)
奇跡のラストランを演出しようとしたパンサラッサ(右から2頭目)を並ぶ間もなくあっさりとかわしたイクイノックス(右)

 それでもその後もまだ、夢を見させてもらったと続ける。

 「かわされたら後はズルズルと後退して抜かれて行くと思ったのですが、その後も一瞬、粘る素振りを見せてくれました。最後は12着まで沈んでしまったけど、イクイノックスにかわされた後も『掲示板はあるか?』『入着は?』と思えるシーンがありました」

 レースを終えて指揮官に頭を下げた。すると……。

 「矢作先生に『悔いの残らないレースをしてくれて、ありがとう』と言ってもらえました。実際、スローで逃げられたとしても、最後に瞬発力勝負になるだけです。そうなればパンサラッサには向いていないので、入着が精一杯だと思います。そういう形で入着するよりも、勝つか負けるか、自分の競馬に徹した事で、僕自身、悔いの残らない競馬が出来ました」

ラストランとなったジャパンCのパドック
ラストランとなったジャパンCのパドック

パンサラッサに贈る言葉

 ここで改めて吉田豊にとってパンサラッサがどんな存在だったかを伺った。

 「最初に乗ったのが21年の10月だから、僅か2年ほど前に過ぎません。でも、ドバイやサウジアラビアで勝たせていただき、天皇賞や香港、最後はジャパンCにも乗せてもらえました。濃密な時間だったせいか、2年よりももっと長く一緒に戦った感覚があります」

 ひと呼吸置いて、更に続ける。

 「大久保洋吉厩舎に所属していた頃ならワンチャンこういった馬に出合ってGⅠへ挑めた可能性もあったかもしれませんけど、フリーとなった現在、こんな素晴らしい馬と出合えて、沢山チャンスと思い出をいただけたのは奇跡に近いです。残りの騎手人生も限られてきた中で、漢にしてもらえました。オーナーと矢作先生、そして、パンサラッサには感謝しかありません」

 28日には正式にパンサラッサの引退が発表された。今はただ、メジロドーベル以来、自身2度目となる引退式に臨めるのかどうかだけを考えているそうだ。久しぶりに個性を撒き散らして走った馬がターフを去る事に、ファンの間からも淋しさを募る声が絶えないが、彼にその個性を発揮させた男は誰よりもそう感じているのだった。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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