派遣法改正案で進む、“会社の自殺”と計り知れない損失の大きさ
企業が派遣社員を受け入れる期間の上限を事実上なくす、労働者派遣法改正案が19日午前、衆院厚生労働委員会で与党の賛成多数で可決された。
この先、企業は派遣社員をとっかえひっかえ使い続けることになり、生涯派遣という生き方を余儀なくされる人々が、量産されることになる(もっとも政府はそれを否定してはいるが)。
「社員さん」――。
派遣社員も含めた非正規社員の方たちにインタビューをすると、彼らは、決まって正社員の人たちのことをこう呼ぶ。
「残業はあるんですか?」
「いえ、私は派遣なのでありません。でも、社員さんたちは月末になると結構、やらされていますね」
「正社員はどれくらいの割合なんですか?」
「以前は半々くらいだったんですけど、今はヒラは全員契約で、社員さんは管理職だけです」
「社食とか、非正規の方たちも正社員と同じように使えるんですか?」
「はい、使えます。でも、社員さんの方が安い値段で食べられますね」
といった具合だ。
正社員は、「社員さん」。ならば、非正規社員は、「社員」ではないということになる。
なぜ、彼らは「社員さん」と無意識に呼んでしまうのか?
その謎を解こうと、以前、私が行った取材と体験について、今回は報告する。
これを読むと、いかに今回の法案改正が、愚策なのかがお分かりいただける思う。
一言でいえば、個人だけじゃなく、会社にもたらす損失の大きさである。
では、少々長くなるがお読みいただき、一緒にかんがえていただきたい。
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2013年8月。全日本空輸(ANA)は、客室乗務員(CA)の約4分の1を占める契約社員の採用制度を廃止し、約20年ぶりにすべて正社員雇用に切り替えると発表した。
当時、その記者会見の席についた、ANAの取締役執行役員で客室センター長の河本宏子さんは、私がANAのスッチーで、下っ端でいたときの大先輩だ。正社員が当たり前だった時代のCAの1人でもある。
そこで「とにかく会って、直接、お話を聞きたい」とお願いしたところ、お忙しい中、快くお時間をいただくことができた。
正社員のことを、“社員さん”と当たり前のように呼ぶ契約社員の心に存在する“壁”の正体が、正社員化に踏み切った事情を聞けば、見えてくるのではないか──。こう思ったのである。
(尚、インタビューの全文はこちらにありますので、お読みください)
「一言で言うと、今後の事業見通しや経営環境の変化、また様々なコスト削減を進めてきた結果、契約社員制度を見直していいタイミングにきたということなんです」。河本さんはこう切り出した。
「確かに正社員化すると年金や、退職金は増える。でも、そこを何とかしようって、客室センターや人事部の方たちが必死に知恵を絞ってくれました。『正社員化しよう!』という方針を打ち出したことがマイナスにならないように、一生懸命頑張ってくれているんです」
1990年代初めに700万円程度だったCAの平均年間給与は、2013年3月末時点で約449万円。バブル崩壊後、会社の存続に当たって人件費の削減が避けられない中でスタートした契約社員採用だが、それに伴って正社員の賃金体系も大幅に変更された。
賃金以外にも、90年代まであった様々な手当や特典も廃止され、かつては国際線しか飛ばなかったCAが国内線も飛んだり、搭乗する乗客の人数によって乗務するCAを減らしたりすることで、コストを大幅に削減した(乗務人数には機材の大きさによって決められている保安要員のほかに、サービスする人数・内容によるサービス要員が加えられている)。
つまり、契約社員制度導入をきっかけに、CAの賃金と待遇の適正化が行われたのである。
「契約社員制度ができた当初から20年近く経ち、時代もCAの意識もずいぶん変わってきました。その流れの延長線上に今回の契約制度の廃止があります。厳しい時代に生き残るには、社員1人ひとりの能力を最大限に引き出し、一丸となる必要があります。現在の制度では契約社員は、パーサー(クラスの責任者)にはなれません。これまでも、“いつでもパーサーになれる準備はしておきなさい”と伝えてきましたし、現場ではそういう教育もしてきました。でも、契約社員という枠組みがなくなれば、準備ができ次第、パーサーで活躍してもらうこともできる。チャンスは皆平等にしたいという思いは、強くありました」
「会社を取り巻く環境は、極めて厳しい。正社員になったからと安心するのではなく、自分の力をさらに発揮できるように頑張ってもらう必要がある。航空業界の競争環境は激化していて、会社として今後厳しい決断を下すこともあるかもしれません。そのことは、社員にちゃんと伝えていくつもりです。でも、厳しくても冷たい会社にはなりたくない。『厳しいけど、みんなで頑張ろう!』と一丸になれる組織作りが、求められているんです」
以上が、河本さんが話してくださった内容である。
「機会がある」ことは、個人のモチベーション向上につながり、「機会がない」ことは、個人のモチベーションを低下させる。
「いつでもなれる準備をしておく」ことと、実際になれる機会があることは、全く違う。
スポーツに例えれば、前者は補欠を宣告されることで、後者はレギュラー争いに参戦すること。 いったいどこの誰が補欠を目指して、努力をするだろうか。誰もが、レギュラーになりたい。自分の力を存分に発揮できる場を目指して頑張るものだ。
つまり、今回のANAのCAの例で言うと、正社員化によって、すべてのCAにパーサーになる「機会」ができた。
さらには、「管理職や総合職、地方に赴任して地域振興や観光誘致などに関わる」機会も与えられ、将来の景色も広がってくる。
つまり、ついつい「正社員化」のことばかりに目が行ってしまいがちだが、「正社員化は、社員1人ひとりの力を引き出す取り組みの中の1つ」と河本さんがおっしゃった通り、ANAが20年かけて作り続けてきた、様々な「機会」のある環境作りのプロセスの流れの“1つ”に過ぎなかったのである。
でも、実は、河本さんの話には出てこなかった、正社員化で手に入る大切な“モノ”の存在を、私は東京・汐留にあるANA本社に向かう“電車の中”で、感じていた。
電車に乗っているときの、フワフワとした感覚。河本さんの話を聞きながら、「これか! これこそが、“社員さん”と呼んでしまう理由だ」という確信に変わったのだ。
私は多くの人たちの通勤時間とも重なる時間帯に大江戸線に乗っていたのだが、汐留が近づくにつれ、なぜか、「ああ、あのままANAの社員でいたら……」なんてことを妄想した。
なぜ、そんなことを考えたのかは分からない。妄想は意図せずして始まるものだ。理由などない。ホントにどういうわけか分からないが、汐留が近づくにつれ、「今、ANAの社員だったら」という妄想劇場が、脳内で開演したのである。
妄想劇場での私は……、現実世界では、決して抱いたことのない感覚を感じていた。
うまく文章で表現できないのがどうにもはがゆいのだけれど、それはとてつもなく心地良く、心地良さの真ん中には、 “誇り”にも似た、胸を張りたくなるモノを感じたのだ。
妄想世界にあって現実世界にないもの。
それは「所属する集団(=ANA)」と、「私は集団の一員である(=ANAの社員)」という認識、すなわち帰属意識だ。そして、私がかつて社員だったときにも、その帰属意識に本当は守られていたのだと思う。
にもかかわらず、当時の私はその安心感がイヤになって辞めた。私は「スッチーじゃない、河合薫で勝負したい!」などと大きな勘違いしてCAを辞めたのだ。
もし、あの時、総合職などCA以外の道に進める制度があったら、私はその「安心感」の中で、CAとしてではなく、一社員として、自分の能力を発揮できる場所を探したのだろうか? その答えは正直、今となってはわからない。
ただ確かなのは、所属する集団のない丸裸の現実世界にいる“今”の私にとっては、ANAに居続けるという妄想劇場での私の姿がとても心地良く感じられたということ。そして、多分、これが「会社員になる」って、ことなんじゃないかと、感じたのである。
つまり、非正規雇用とは「アナタは、私たちの集団に入れてあげない!」と言われているようなもの。
だから、彼らは、正社員のことを“社員さん”と呼ぶのである。
競争社会で生き残るには、「協働」が必要であることを否定するトップはいないはずだ。個人の力を最大限に発揮して、チームで戦うのだと。それは組織にいる人々がつながりを強め、ソーシャル・キャピタルを豊かにする作業でもある。
ソーシャル・キャピタルは、企業に内在する“目に見えない力”。この概念は、人と人のつながりに対する投資がリターンを生み出すことを強調するために、「キャピタル=資本」という言葉を用いている。
リターンは、「1つの集団に属している」と個人が認知しない限り、生み出されない。帰属意識は、ソーシャル・キャピタルを豊かにするための前提であり、“社員さん”と無意識に呼ばせてしまう“壁”がある限り、ソーシャルキャピタルが育まれることはない。
いいサービス、いい商品は、会社にいる1人ひとりが、集団の一員として、誇りをもって初めて可能になる。内部が一丸となって初めて、競合する企業や製品との違いをブランディング化できる。「集団の一員である」という認識をすべての社員が持てることこそが、企業価値を高めるのである。
正社員化というと、安心、安定などの、雇用者側のプラス要素ばかりが強調されるが、一番のプラス要素は、個人にではなく、企業にもたらせるモノ。大切なものは目に見えない。空気、希望、愛……。すべて目で確かめることができないものばかりだ。
一方、非正規雇用を加速させ、固定化させる可能性の高い今回の法案改正は、企業自身が、 “目に見えない力”を育む土壌を自らの手で壊しているようなものだ。
いわば、会社の自殺。いや、日本の自殺と解釈してもいいかもしれない。
もし、もし、仮に生き残る企業があるとすれば、……、改めてここで書く必要もありませんね。そうです。アナタが今考えたとおりの答えです。