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リオデジャネイロの奇跡!? 7人制ラグビーで日本が4強進出!

永田洋光スポーツライター
準々決勝フランス戦残り22秒で後藤輝也が劇的逆転トライ! 4強を決めた(写真:ロイター/アフロ)

日本ラグビーがまた新たな歴史を作った!

リオデジャネイロで行なわれているオリンピックの新設種目、7人制ラグビー(セブンズ)準々決勝でフランスに12―7と劇的な逆転勝ちを収めてベスト4に勝ち残ったのだ。

開幕戦でニュージーランドを相手に大金星をあげてから約30時間。

歴史には、次々と華々しい戦果が書き込まれた。昨年のラグビーW杯開幕戦で南アフリカ代表を34―32と破る大金星をあげて以来、日本ラグビーの“上げ潮”は今もまだ続いている――そんな事実を実感させてくれる勝利だった。

予想を上回る活躍はどこから生まれたのか?

個人的なことを記せば、以前この欄に書いたように、私は男子7人制日本代表がここまで勝ち進むとは考えていなかった。

世間に蔓延する「五輪出場=メダル獲得=目指せ金メダル」的な短絡ムードが開幕に近づくにつれて色濃くなり、選手自ら「目標は金メダルです」と言わされるような風潮に首をかしげていたからだ。

それに、これまで日本のセブンズが、15人制ラグビーの影でずっと軽視されたことを知るが故に、いくら充実した合宿の日々を過ごし、強化の手応えが日増しに大きくなっていると報じられても、それがいきなりの大戦果に結びつくとは考えられなかった。

昨年で終了した東京セブンズに象徴されるように、日本に一発勝負をものにする力があることは十分に認識していたが、それが長丁場のトーナメントで強豪国との連戦を勝ち抜く力にまで高まっているとは、どうしても思えなかったのである。

今は自らの不明を恥じるしかない。

セブンズ代表はそうした懸念をプレーで打ち消し、ニュージーランド、ケニア、フランスという難敵を破り、イギリス(GBR)には敗れたものの19―21という僅差だった。故・宿澤広朗氏が1991年のW杯に臨む際に目標に掲げた言葉を借りれば、「強豪国を相手に、最後にゴールキックが入るかどうかで勝負が決まるような試合」が、これまで唯一の黒星なのである。

本当にこのチームは一貫性を持った強いチームに成長したのだ。

15人制のテイストが漂う日本のセブンズ

かつてセブンズ強化の統括責任者、本城和彦ディレクターは、「日本は確かに国内でセブンズの大会が少なく、選手がこの競技に親しむ環境は整っていないが、逆に15人制が盛んであることで、ラグビーの地力そのものを上げられる。それが日本のアドバンテージになると思う」と話していた。

まだアジア予選を勝ち抜く前の話だから、前提として「アジア諸国に比べれば」という話だ。

しかし、今、リオで行なわれている試合では、このチームに15人制で培った最良のエッセンスが色濃く凝縮されていることが見て取れる。

たとえば、準々決勝のフランス戦で、日本は後半開始30秒でロテ・トゥキリがトライを奪い5―7と追撃の狼煙を上げたが、起点は日本が蹴り込んだキックオフを受けてアタックを始めたフランスバックスへの、思い切った“詰めのディフェンス”だった。

急激に相手との間合いを詰めたところでタックルを外されれば、そのままトライまで持って行かれるリスクを背負うプレー。しかし、キックオフを深く蹴り込み、攻撃が開始される地域をゴール前に限定して、リスク覚悟で前に飛び出したことでフランスは混乱し、オブストラクションの反則を犯した。

トゥキリのトライは、そこで得たPKを、自分で仕掛けた奪ったものだった。

あるいは、グループリーグ最終戦となったケニア戦では、相手ゴール前のラインアウトから「東芝」というコールでモールを組み、一気に押し込んでペナルティトライをもぎ取っている。

これも、セブンズでまさかモールはないだろう――という相手の虚を突いた頭脳的なトライだった(私自身、01年のセブンズW杯でロシアがやったのを見た記憶があるぐらいだ)。

チームがいかに見事にオーガナイズされたかを物語るトライだった。

チームの背骨を支える勤勉なヘッドコーチ

セブンズにはワールドシリーズがあり、日本は14―15年度は決定戦を勝ち上がって参戦したが、ベスト8に入ったのは東京大会の一度だけ。結局のところ、15のコア・チーム中最下位に終わり、1シーズンで降格の憂き目に遭った。

ワールドシリーズで高いレベルのセブンズを経験できないこと自体が大きなハンディとなることは明白で、どれだけ強化を積み上げてもセブンズにおける経験の差をキャッチアップすることは難しい。それが私の“不明”の大きな根拠となったが、瀬川智広ヘッドコーチは、そこを逆手にとった。

前述したディフェンスもそうだし、リオでの試合に共通するセブンズにしては異様に多いブレイクダウン(タックル後のボール争奪戦)の数も、アタックであらかじめ想定されたムーブを仕掛ける点も、すべてどこかに15人制の匂いを上手く残している。

瀬川ヘッドコーチは、現役時代は、日本代表SHだった村田亙(セブンズ代表でも前任ヘッドコーチ)とポジションを争い、なかなか活躍の場を与えられなかった。

しかし、腐ることなくコツコツと練習を積み、東芝(当時は東芝府中)のチームメイトから大きな信頼を勝ち取った。

現役引退後にはチームに残り、監督として日本選手権を勝ち取って、実績を上げた。

そんな勤勉さときまじめさが、今のチームの背骨となっているのだ。

今回も、誰をバックアップメンバーに残すかで物議を醸したが、自らが目指すラグビーを念頭に置いて、頑固に我が道を貫いた。最終的に選ばれたメンバーが、実に考え抜かれていたことは試合のディーテイルが物語る。

ニュージーランド戦で、終盤に相手の独走を追いついてタックルしたのは、俊足だが不器用で、セブンズではあまり要求されないブレイクダウンへの突っ込みもいとわない、泥臭い走り屋・福岡堅樹だった。

キャプテンに任命した桑水流裕策は、ひたすらブレイクダウンに頭をねじ込み、しばしば相手ボールを狩って反則を誘い、あるいはボールをもぎ取った。

前キャプテンの坂井克行は、GBR戦のハーフタイムに短く的確な指示を飛ばしている。

「走ってくるのは(俊足の)ノートンだけだ。それ以外は当たってくるからしっかりタックルしよう!」

テレビカメラが、指示に従うメンバーの真剣な表情を映し出す。

そこには一点の緩みもない、集中力が凝縮されていた。

ファミリーと称されるぐらい強い絆に結ばれたチームは、地味なメンバーの集まりにもかかわらず、さまざまなハンディキャップと期待値の低さを逆手にとって4強に進出した。

次の対戦相手は、セブンズ王国のフィジー。

日本とはまったく対照的に、どちらにボールが転ぶかわからないような、アンストラクチャーな状況からのアタックを得意とするチームだ。

いわば、セブンズにおいて両極端あるチーム同士が、それぞれの流儀でメダルを目指すことになる。

フィジーを破ってメダルが確定すれば、それは「奇跡」などという言葉では表現できない大事件である。

しかし、そんな色気を持たずに虚心坦懐に試合の流れを見つめよう。

セブンズを愛することでは世界一の民と、15人制に源を発する“日本的セブンズ”に取り組む勤勉な集団の対決は、個VS組織、才能VS努力といった図式を反映し、きっとこれまでのラグビー観を覆すような試合になるだろう。

あとは、テレビがライブで放送してくれることを祈るだけだ。

スポーツライター

1957年生まれ。出版社勤務を経てフリーランスとなった88年度に神戸製鋼が初優勝し、そのまま現在までラグビーについて書き続けている。93年から恩師に頼まれて江戸川大学ラグビー部コーチを引き受け、廃部となるまで指導した。最新刊は『明治大学ラグビー部 勇者の百年 紫紺の誇りを胸に再び「前へ」』(二見書房)。他に『宿澤広朗 勝つことのみが善である』(文春文庫)、『スタンドオフ黄金伝説』(双葉社)、『新・ラグビーの逆襲 日本ラグビーが「世界」をとる日』(言視舎)などがある。

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