TMOは「神」なのか? 日本ラグビー史上最高の決勝戦終盤に感じたモヤモヤ
「ラグビー初心者」とか「にわか」と謙遜しながらラグビーにハマっている比較的新しいファンも、昭和の時代からラグビーにハマり続けている「オールドファン」も、改めてラグビーの面白さ、奥深さ、魅力にどっぷり浸かったのではないか。
26日に東京・国立競技場に56,486人の大観衆を集めて行われたNTT ジャパンラグビー リーグワン 2023-24 プレーオフトーナメント決勝・埼玉パナソニックワイルドナイツ対東芝ブレイブルーパス東京戦は、前身のジャパンラグビートップリーグ時代も含めて史上最高と断言できるほどレベルが高かった。
両チームともに、スコアしても相手にスコアされても一喜一憂しない鋼(はがね)のメンタルを持ち、最後の最後まで死力を尽くして戦い抜いた。攻防の一つひとつが、コンタクトの強さ、ボディコントロールの巧みさ、パスやランのスキルなど、どれをとっても本当に極上だった。
だからこそ――ワイルドナイツが試合終了直前に途中出場の長田智希のトライで優勝を決めた――と、誰もが思った直後に始まったTMO(テレビジョン・マッチ・オフィシャル=ビデオ判定)がらみの一連にモヤモヤが残ったのである。
ミッションに忠実だったTMO
最初に断っておくが、TMOを務めた川原佑レフェリーが負っているミッション(責務)は、ゲームのなかでレフェリーから求められた確認事項を、映像を使って検証すること。そして、プレーの流れのなかで見落とされた重大な反則(特に頭部への打撃や危険なタックルなど)や、トライに至る過程に問題がなかったかどうかをチェックすることだ。だから、川原レフェリーは映像を確認して、ピッチ上の滑川剛人レフェリーに、ある「可能性」を伝達した。
「トライをする前にフォワードパス(前方へのパス=スローフォワード)の可能性があるのでチェックをしましょう」
滑川レフェリーは、こう返答した。
「オン・フィールド・デシジョン(レフェリー自身が下した判定)はトライです。TMOのプロトコル(手順)内のなかでフォワードパスの可能性があるので、ちょっとチェックしましょう」
そして、ワイルドナイツのゲームキャプテン堀江翔太にはこんな言葉をかけた。
「ちょっと僕らもわかっていない。ちょっと(映像を)見ます」
TMOのプロトコルに従えば、判定の対象となるのはトライからさかのぼった直前の「スリーフェイズ」。つまり、長田がインゴールに駆け込んだのが16個目の密集を経た後だったので、14個目の密集からボールが出た後の場面が対象となる。
問題になったのは、14フェイズを経てボールを持った堀江が、マリカ・コロインベテに放った長いパス。それがフォワードパスか否か――つまり、前方に放ったかどうかだった。
映像のチェックは時間をかけて行われた。
前方かどうかの基準となったのは、ゴールラインに平行に刈られた芝生の目。
パスを放った堀江の腕が芝目よりも前方に向いていたかどうか、パスが飛んだコースが前方かどうかがチェックされて、結局トライは取り消された。
つまり、場内が騒然となったTMOは、きちんとプロトコルに則って行われた正当な判定だったのである。
誰がゲームを裁くのか?
しかし――どこにも間違いのない判定だったとはいえ――この判定に至るプロセスが、本当にラグビーをより魅力的なものにするのか?
その点に大きな違和感が残った。
ワイルドナイツのトライ取り消しより5分ほど前、73分11秒には、ブレイブルーパスが13フェイズの長いアタックを仕掛け、途中出場の森勇登のトライに結びつけている。このとき、滑川レフェリーはすぐにはトライと判定せず、ゲームを止めて、TMOに「オン・フィールド・デシジョンはトライです。ただ、タッチとフォワードパスを確認してください」とチェックを求めている。
確かにトライの直前、タッチライン際を走った松永拓朗が、内側をサポートしたジョネ・ナイカブラにリターンパスを送った際にタッチラインを踏んだかどうかは非常に微妙だった。ナイカブラが森に送ったラストパスも、角度によっては前方にパスしたと判定されてもおかしくなかった。だから滑川レフェリーはトライを認める前に映像での確認を要請した。
そして、TMOでの検証を経てトライが認められ、スコアは22対20となった(その後リッチー・モウンガがコンバージョンを決めて24対20)。
一方、78分49秒のワイルドナイツのケースでは、滑川レフェリーは、直後に迷わずトライを認める笛を吹いている。つまり、2人のアシスタントレフェリーも含めて、ピッチ上の判定者が全員、トライに至る一連のプレーに問題がなかったと判断していたのである。
しかし、そこにTMOが介入してトライが取り消された。
ピッチ上では、トライを奪われたブレイブルーパスの選手たちが膝をつき、誰もがトライを奪われたことを疑っていなかったにもかかわらず――だ。
繰り返しになるが、滑川レフェリーは「ちょっと僕らもわかっていない」と、堀江に話している。つまり、ピッチ上にいる33人全員がトライを確信していたにもかかわらず、TMOが「天の声」のように介入して判定が覆ったのだ。
これでは、レフェリーは何のために存在するのか。
TMOは、人知を越えた「神」なのか?
それが、激闘のラストシーンに感じた違和感の正体だった。
TMOの存在意義
レフェリーはゲームの唯一の判定者である。
それを、2人のアシスタントレフェリーが補助してゲームを進める。
彼ら3人は、ピッチ上で選手と同じ目線でプレーを見極めて判定を下す。つまり、両チーム合わせて30名の選手たちと同じ地平でプレーを見ている。
もちろん、人間である以上、完全に無謬であり続けることは難しい。だから、レフェリーが自分の判断を確認するためにTMOを利用するのは間違いではない。特に、ラグビーがプロフェッショナルスポーツとして飛躍的な発展を遂げ、勝敗の重みが増すと同時に、競技自体も人間の能力に挑戦するかのように高速化し、ルール改正と相まって複雑化している現在は、正確な判定を担保するシステムとしてTMOには大きな存在意義がある。
具体的に言えば、たとえば森のトライの場面のように、全体の流れはトライで間違いないと判断しながら、レフェリーがいったん判断を保留してトライを否定する要因がなかったかどうかを確認する行為には違和感がない。
しかし、長田のトライが取り消された場面のように、選手たちと同じピッチに立つレフェリーが下したトライの判定に――もっと言えば、トライを奪われたチームも粛々と事態を受け止めているのに――TMOが介入するのでは、ピッチを高みから見下ろす絶対者が人間のささいな過ちを指摘するようで、人間が行うラグビーという競技の魅力を大きく削ぐように思える。
繰り返しになるが、私は決してTMOの役割を否定しているわけではない。
ただ、唯一の判定者であるレフェリーがトライと認めた場合は、TMOに介入の権限を与えない――そんな原則が貫かれてもいいのではないか。
そう考えているのだ。
そのために現行のTMOのプロトコルを大きく変える必要はまったくない。それこそ「レフェリーが確認を要求することなくトライと認めた場合はTMOは介入しない」という一文を、ローカル・ルールとして付け加えればいいだけの話だ。
ラグビーが、将来も末永く「人間が営むスポーツ」であり続けるために、そんなローカル・ルールを世界に発信することも、日本ラグビーの魅力をアピールする一助になるのではないか――と考えたのである。
人間が持てる能力のすべてをつぎ込んで戦う80分間のゲームに、天上からの「神の声」は必要ない。
それが、史上最高のファイナルを堪能した直後に浮かんだ感想だった。