国と都に「要望書」を提出し続ける飲食事業者がつかんだ「うなぎ」のトレンド
際コーポレーションという企業がある。飲食業や宿泊業をはじめ、家具・衣料品・雑貨販売などの企画・運営・支援を行う株式会社だ。「ライフスタイル創造企業」を標榜し、グループの店舗数は400弱となっている。同社の代表は中島武氏。1948年1月生まれ、炭鉱の町、福岡市田川市出身。拓殖大学で応援団長を務め350人の団員を束ねた。社会人としては航空会社勤務から始まり、金融会社に転身するなど、会社経営のノウハウを積んで、1983年に独立。東京・福生から事業を開始して、1990年に現在の会社を設立した。
一致団結してコロナを封じ込めよう
中島氏は、この7月12日に内閣総理大臣の菅義偉氏と内閣府特命担当大臣(地方創生)の坂本哲志氏、東京都知事の小池百合子氏に「要望書」を提出した。
この日に発出された4回目の緊急事態宣言によって東京都の飲食店では酒類の提供が禁止となった。その要請に従う飲食店が存在する一方で、酒類を提供し午後8時を超えても営業する飲食店が存在するようになり、宣言の効果は薄れている。
酒類提供禁止に逆らう飲食店は経営を防衛するためである。国が飲食店に酒類提供禁止を要請するのであれば、より毅然とした形で要請し、補償するべきだと中島氏は訴えている。「コロナ収束に向かう動きが一つにならない」ことを大いに憂慮しているからだ。
そこでこの要望書は、飲食店の「営業収入の減少を現実的に補填することが出来得る水準の補償についての再検討をお願いいたします。」と結んでいる。
中島氏の要望書は今回で3回目となる。1回目は1月13日、東京都知事の小池百合子氏宛て。時短協力金を中小企業だけではなく、従業員50人以上の飲食業にも支給して欲しいという内容である。「大手飲食店は一つ一つの店の集約で成り立っており、これらを対象としないのでは感染防止対策になりません。そこには従業員がおります。家賃を大家さんに支払っております。米も野菜も、魚、肉もすべての生産者とつながっております。私たちは自分たちの生活を守るために懸命です。」と訴えかけた。
2回目の要望書は6月1日、東京都ほか大阪府、京都府、兵庫県に緊急事態宣言が発出され、酒類を提供する飲食店には休業、それ以外の飲食店には午後8時までの時短要請があった。これに対し、東京都の小池知事宛てに、「酒類提供禁止措置の緩和」を求めた。
この二つの要望書が求めたことは、果たしてかなえられることになった。飲食業者が自らの生活と従業員や関連業者を守るために、国や自治体に声を上げることの正義を確信している中島氏にとって、3回目の要望書は、その正義を貫き通すために絶対に必要なことであった。
「ルールを守る」ことでモノが言える
中島氏率いる際コーポレーションでは、コロナ禍における国や自治体からの要請である「午後8時までの時短営業、酒類提供の禁止」を受け入れ従っている。
中島氏のFacebookにはその信念がつづられている。
――恵比寿鶴亀(同社の中華料理店)の出来事。「この店酒飲める?」――40代男女4人が入ってきた。「すみません、アルコール提供はしていません」と言うと、「なーんだ根性ねえなぁ」と捨て台詞を残して出て行った。一瞬、かあっと頭にきた。それからとても嫌な気持ちになり、抑えきれない悔しさ、やるせなさ。ルールを守って馬鹿にされ、根性なし。
確かに周りに酒を出して遅くまで営業している店はある。どこも賑わっている。それをどうこう言う気はない。しかし、東京中の飲食店の全てが、国に都にけつまくり皆酒を出して夜遅くまで営業したらどうなる。無法地帯――コロナが蔓延したらどうする。(略)勝手なことをしていたら、この国は大変なことになる。私たちは根性なしと言われてもルールを守ります。そして晴れて堂々と祝杯をあげたいと思います。際コーポレーション、中島武――
現在は1日約30組の来店を酒類の提供が出来ないことで断る事態になっている。このようなコロナ禍の中で、国や自治体の要請に従う背景について、中島氏に尋ねた。
――それは、みな一致団結してコロナを封じ込めることが重要だと思っているから。これは日本人としてやるべきことです。みなさんには不満があるかと思うが、みな協力してやらなければなりません。
外食産業のお偉いさんが集まって酒を飲んでいるのを週刊誌に撮られている。こんなことでは飲食業の全体が低く見られる。襟をただして、主張をしなければならない。
飲食業は自治体から協力金をもらっているわけですから、守ってもらわないといけません。そして、政府は国民にメッセージをきちんと投げかけないといけません。
オリンピックの選手村なら酒を飲んでよくて、その他は飲んではいけないと。そんなことじゃなくて、日本ではお酒を禁止していますからキチンと守ってもらいますと、ぴしっと言わないと。日本の国民も守っていますから、日本にきたら日本のルールを守ってください、と言えばいい。
当社の「お酒を出さない」という姿勢は、会社として筋を通すということです。国や都が決めたことを守らないのであれば協力金をもらわなければいいと。しかし、協力金をいただいております。いただいていながらルールを守らないのは卑怯(ひきょう)者だと思います。
当社は「ルールを守る」ということを終始一貫して決めています。これがなければ私たちはモノを申せません。――
「うなぎ専門店」の大衆化で大ヒット
このような中島氏と際コーポレーションの一貫した姿勢は経営面にも表れている。それは同社がコロナ禍の中で生み出したうなぎ専門店「にょろ助」が大ヒットを飛ばし、飲食業界に「うなぎトレンド」をもたらしている。
「飲食店は売れない」と嘆く市中に対して、中島氏は「コロナ禍でも売れる飲食店は売れている」「午後8時までの時短でも、間に合うようにお客様がやってくる店がある」という信念を掲げた。それを貫いたことの成果と言っていい。
「にょろ助」が誕生するきっかけはこういうことだった。
同社では東京・赤坂でうなぎ専門店「瓢六亭」を営んでいた。しかしながら、コロナ禍で赤坂から人がいなくなり、鳴かず飛ばずとなってしまった。
そこで同社の役員稟議があった。ここでは「撤退」という文言が連なるようになり、最終判断を下す中島氏は「1カ月間時間くれ」「売れるようにするから」と答えた。
中島氏は一日考えて「潰れるなら、もっと原価をかけてやってみよう」と判断し、新しい売り方に向けての準備に7日間で取り組んだ。
赤坂店の新しい価格は「鰻重」が「蒲焼一尾」3080円(税込、以下同)、「蒲焼一・五尾」4180円、「蒲焼二尾」5280円である。二尾の場合は、蒲焼と白焼の食べ比べもできる。ざっくりと一般的なうなぎ専門店の価格の7掛けといった設定である。これらで原価率は40%強となっている(価格とメニュー構成は店によって若干異なる)。
「瓢六亭」から「にょろ助」となった最初の営業日は1月23日土曜日。その前の晩に、中島氏はFacebookでこんなことを投稿した。「うなぎ屋を閉めるなら、破れかぶれでやってみますよ」。するとその日の売上は70万円、翌日曜日は90万円を超えた。それ以降は、平日50万円、土日は100万円が続いた。
その後、コロナ禍で不振となっていた都心の和食店を「にょろ助」にリニューアルしていった。京都の先斗町にも出店したが、周りが閑散としている中で同店だけが人だかりとなった。現在は、赤坂、銀座、西麻布、浅草、渋谷東、渋谷道玄坂、南平台、新宿納戸町、六本木、池尻(以上、東京)、京都先斗町、金沢片町、仙台国分町と13店舗となっている。すべて既存店のリニューアルであるが、この際の追加投資が100万~200万円と低く抑えられることが大きなメリットである。
同社としては、今後うなぎ職人を養成する「鰻道場」のような組織をつくり「にょろ助」のFC展開も想定している。
中島氏は「コロナ禍でもやるべきことはある」と一貫して語るが、それがコロナ禍でも新しいトレンドを生み出していることから実に力強い説得力がある。