「表現の不自由展」の扉を埋め尽くす1000人の「不自由の声」が訴えかけるもの
「あなたは自由を奪われたことはありますか?」
そんな質問を投げかけられたら、どう答えるだろうか。カードを渡されて、あなたが抑圧された体験を書いてくださいと言われたら、なんと書くだろうか。
ある人は、こう書いた。
「恋人から言葉の暴力を浴びたせいで、自分の気持ちをのびのび表現する自由を奪われました。私は暴力で殺されました」
別の人は、こう書いた。
「中学校のサッカー部の顧問から理不尽な言葉の暴力・体罰を受けた。退部する自由な選択をさせない圧力をかけられた。恐怖で心がボロボロになった」
また、ある人は、こう書いた。
「仕事、1日15時間、年365日働いたことがある(3年間)。自由もなかったが、死ななかったのが不思議」
こんな「自由を奪われた体験」について書かれたカードが1000枚以上、美術館の「閉じられた扉」にビッシリと貼られているのだ。
来場者が立ち止まって「不自由の声」を書いていく
ここは、愛知県で開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の会場の一角。カードの数は日に日に増え、白色の壁があたかも桃色のペンキで塗り替えられたようになっている。
壁の前に置かれたボードには、「表現の不自由展・その後」と「作品は展示中止となりました」の文字。その無機質な表示によって、訪れた人々は、多数の抗議や脅迫によって中止に追い込まれた「表現の不自由展・その後」の展示会場がこの場所なのだと、知ることになる。
その前に設置された机の上には、桃色や紫色のカードと黒色のペン。白いボードを見ると、「あなたは自由を奪われたと感じたことはありますか?」「体験を紙に書いて、壁に貼ってください」と記されている。
その案内に促されて、来場者が一人、また一人と立ち止まり、自分の言葉をカードに書いて壁に貼っていく。
「カードを書いているのは、女性が8割くらい。切実な声がこれだけ集まっているのを見ると、胸が痛くなってしまう」
こう語るのは、人々の不自由の声を集めるプロジェクト「#YOurFreedom」を担当しているアーティストユニット「キュンチョメ」のホンマエリさんだ。
「カードにはパーソナルなことが書かれている。その内容は、ジェンダーのことや職場のこと、学校のことと多岐に渡っています」(ホンマさん)
アーティストが「展示再開」を求めて始めたプロジェクト
あいちトリエンナーレでは、「表現の不自由展・その後」の中止に抗議する10組以上の作家が、展示室の閉鎖や展示内容の変更というボイコット行動を起こしている。その多くは海外から参加しているアーティストたちだ。
一方、国内の参加アーティストが中心となって連携し、現在閉鎖されている展示の再開を目指して、「ReFreedom_Aichi」というアクションを起こした。その中のプロジェクトの一つが、不自由の声を集めて可視化する「#YOurFreedom」である。
「すべての展示を再開させるためには、たくさんの人が関心を持ち、声を上げることが必要です。これはみんなが被っている抑圧や差別を、みんなが認識し、みんながノーというための行為です」
9月10日に東京で開かれた記者会見で、ホンマさんはこう訴えた。
「#YOurFreedom」プロジェクトは1週間ほどの試行期間を経て、9月21日に本格始動した。プロジェクトを担当するキュンチョメのナブチさんによると、28日までに「不自由展の扉」に貼られたカードの数は1300〜1400枚に達した。
「1日に100枚ぐらいずつ増えています。予想以上のハイペースですが、それだけ日本って不自由だったんだなと思います」(ナブチさん)
試行期間から本格始動へと移行した9月21日。そのとき、すでに「不自由展の扉」は桃色や赤色のカードで埋まっていたが、その後さらに、カードの領域は広がり、1週間で倍以上の面積に拡大した。
このプロジェクトの表現手法、すなわち、人々の胸の中にある「声なき声」をカードに書いてもらい、それを集めて掲示するというスタイルは、あいちトリエンナーレに出展しているメキシコの作家、モニカ・メイヤーさんの「The Clothesline」という作品のコンセプトを受け継いだものだ。
メイヤーさんは「表現の不自由展」の中止に抗議して、展示内容を大きく変更した。そのため、現在は本来の作品を見ることができない。代わりに、別の場所でそのスタイルを継承したプロジェクトが展開されている。
「私と同じようなことで、みんな苦しんでいる」
壁に貼られたカードには、どんなことが書かれているのか。冒頭に紹介した言葉のほかにも、切々と記された言葉がある。いくつかをピックアップしてみよう。
「私はお母さんのモノじゃない!」
「女だから服に気をつかえと言われた。前までは自由でいいと言っていたのに。女だからとは」
「この仕事は男性の仕事、あの仕事は女性の仕事と、決めつけてものを話す人が多く感じる。性に関係なく、仕事が出来る人がやればいいと思う」
なかには、子供や外国人と思われるカードもあった。
「すきなことをしたいのに、友だちに『こっちやろう』といわれてしかたなくそうした。『でもえをかきた買ったのに・・・』と思った」
「I didn’t want to change my family name when I got married(私は結婚したとき、姓を変えたくなかった)」
トリエンナーレの作品がいくつか展示中止となっていることが「不自由」だと記している人もいた。
「作品が中止されたことで、作品を鑑賞する自由が奪われたように今日感じました」
「表現の不自由展の閉鎖、ボイコットしているアーティストの作品を含め、展示の再開を希望します」
一方で、中止に賛成という声もある。
「私は表現の不自由展の中止に賛成です。あんな人々を傷つけること・・・」
さまざまな声がある中で、目についたのは「家族」をめぐる言葉の多さだ。
「父が精神障碍者です。状態が悪くなるたび、周りの人から迷惑がられ、入院をすすめられます。もうすこし、寛容な社会になれば良い、と思っています。その辺に変な人がうろうろして、何か悪いですか?」
こんな言葉をカードに記したのは、30代の女性だ。どんな思いでカードを書いたのだろうか。たずねてみると、「娘なので、父のことを迷惑と思うこともあるけれど、そんなに迷惑なことかと思うんです」という嘆きの言葉が返ってきた。
また、「父親に抑圧されてきた人生」について書いたという50代の女性もいた。質問してみると、「(壁に貼られたカードを見て)私と同じようなことで、みんな苦しんでいるんだな思った。モヤモヤしていることを書いてみたら、少し救われた」と語っていた。
現代アートの役割は「考えるための場所」を与えること
この「#YOurFreedomプロジェクト」の反響について、キュンチョメのホンマさんはこう話す。
「これだけたくさんの個々の不自由が見えるようになると、もうそれは『表現の不自由』ではない。自分の身に起こる、すごく身近な抑圧された不自由や差別と、この閉じられてしまった扉の中の展示がリンクする場所になっている」
彼女の話を聞いている間も、不自由の扉の前には何人もの人が立ち、壁に貼られたカードの言葉をじっと読んでいた。
キュンチョメのナブチさんは、その近くで次のような言葉を口にした。
「美術館って、実は作品を見る場所ではなくて、考えるための時間をとる場所ではないかと思うんです。(現代アートは時として)抽象的で、すぐには意味がわからない映像がたくさんある」
すぐには意味がわからない作品を見るーーその体験のもつ「意味」とは、なんだろう?
「いまは、何もせずに、ただ座っている時間が奪われている。現代アートの役割は、考える時間を与えること。そして、この場所はそういう役割を与えられているのではないかと思います」
もしかしたら、不自由な壁も現代アートの一つの形なのかもしれない。中止された「表現の不自由展」の壁の外側に、私たちがそれぞれ内側に抱える「不自由」と、静かに向き合える場所ができていた。
(追記)
「不自由の声」のカードで埋め尽くされた扉は9月29日、開かれた。カードの数が増えて、左右の壁に貼りきれない勢いのため、扉の内側の壁にも貼れるようにしたのだ。ただ、その部屋(CIR「調査報道センター」)やその奥にある「表現の不自由展・その後」の展示は、まだ再開されていない。