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【深読み「鎌倉殿の13人」】北条時政の顔にナスを擦りつけた堤信遠とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
北条時政は、堤信遠からナスを顔に擦りつけられた。(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、堤信遠が北条時政の顔にナスを擦りつけるシーンがあった。ところで、この堤信遠なる人物は、いったい何者なのだろうか。

■堤信遠とは

 堤信遠は、生年不詳。その生涯や一族・父母についても詳しくわかっていない。北条時政と同じく、現在の伊豆の国市に本拠を構える豪族だったのだろう。

 治承3年(1179)に平兼隆が伊豆に流されたが、のちに伊豆国の目代になった(知行国主は平時忠)。信遠は、兼隆の後見として支えたという。その屋敷は、山木館の近くにあった。

 治承4年(1180)、以仁王と源頼政の挙兵が失敗した。頼政は伊豆国の知行国主だったので、その地位は平時忠に与えられ、目代には兼隆が就任した。

 改めて大河ドラマの場面を振り返ってみると、時政は子の義時とともに目代の兼隆のもとを訪れた。新任の兼隆に挨拶をするためである。兼隆の代わりに対応したのが信遠である。

 ちょうど飢饉のときだったので、時政は手土産として野菜を持参した。しかし、信遠は野菜を足で踏みつけ、ナスを時政の顔に擦りつけたのだ。

 信遠が怒ったのは、時政が以仁王と源頼政の挙兵に関与したのではないかと疑ったからだ。時政は野菜をかき集め、無念にも退去せざるを得なかったのだ。

 ナスの一件は別として、兼隆・信遠と時政の対立が直後の山木館襲撃の伏線になったのは事実だ。時政は娘の政子の夫・源頼朝を守っていたがゆえ、平氏に与する兼隆や信遠と対立したのである。

 伊豆国は時忠と同じ平氏の兼隆の支配下にあった。それゆえ、時政や頼朝の行動に最大限に注意を払うのは当然だったに違いない。以仁王と頼政の挙兵には、大きなインパクトがあったのだ。

■むすび

 とはいえ、堤信遠については知るところが少ない。今後、このような東国武士が登場する可能性は大いにあるので、注目したいところである。なお、信遠が時政の顔にナスを擦りつけたのは、単なる演出だろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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