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いまさらながら……2017年夏の甲子園、名采配をプレーバック。(その1)

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

▼第1日第1試合

波佐見 011 001 200=5

彦根東 013 000 002=6

 彦根東、チャンスだ。

 公立校の出場が8と史上最少の大会で、なんの因果か開幕試合が公立同士の対戦となった。滋賀県立彦根東と、長崎県立波佐見。学校創立1876年の彦根東は、藩校の流れを汲む伝統校で、校舎は国宝・彦根城のお堀の内側にある。

 試合は波佐見が1点リードして9回裏。彦根東は、「相手が先行逃げ切りなら、僕たちは終盤勝負」という主将の松井拓真が代打で登場し、ヒットで出ると、バント、ヒットで1死一、三塁。このチャンスに、左打席には二番の2年生・朝日晴人が入った。

 彦根の城主は、赤い武具で「井伊の赤備え」とおそれられた井伊家である。もともとは赤備え、徳川家が滅ぼした武田家の伝統だった……と話すと、さすがはきっての進学校、高村真湖人左翼手などは「はい、知っています」とうなずいたものだ。彦根東の校風は、それにちなんだ「赤鬼魂」で、土壇場のチャンスに、真っ赤に染まった一塁側アルプススタンドが大歓声に包まれる。

 朝日の3球目、彦根東は動いた。一塁走者の原晟也がスタートを切る。単独盗塁か、あるいは相手守備を混乱させて三走・松井が本塁を狙うのか。いや、ヒッティング。朝日がたたきつけた打球は三塁前に転がり、松井はその間に易々とホームを陥れた。同点……。

 はてさて、一走限定のヒットエンドランなのか? そして三走は、ゴロゴー? 試合後にそうたずねると、朝日はいう。

「盗塁のサインで、ストライクなら打つ戦法です。一走が走れば併殺はありませんし、転がせば確実に1点は入る。もちろんスクイズのサインも、外してきたら重盗もあり得ますし、ふだんから一、三塁を想定してみっちり練習しているパターンです」

 実はその前、原晟の中前打で二走の松井は本塁を狙おうとしたものの、三塁ベースコーチの中井和稀がこれを止めている。リスクを冒して同点を狙うより、一、三塁からの得点力にチームとして自信を持つからで、村中隆之監督も、

「あそこで冷静に走者を止めたからこそ、同点になった」

 と評価する。県立の進学校で、さらに国宝の敷地内に校舎があるから、練習環境には決して恵まれていない。打撃練習は週に2、3回、近隣の室内練習場を借りて行うが、それ以外は狭いグラウンドでスモール・ベースボールを磨く。週末ごとの練習試合が年間約130と、高い野球IQを豊富な試合経験で裏打ちしてきた。一、三塁での引き出しの多さは、その成果というわけだ。

最大のブレークスルーは……

 チームのテーマは、「ブレイクスルー(突破、打開、前進)です」と村中監督。

「旧チームのメンバーも多く残り、もともと力はありました。ですが昨秋は、八幡商に初戦負け。なにか、突破すべきことがある」

 結果は、徐々についてきた。今春は滋賀県大会を制し、さらに近畿大会では伝統校の龍谷大平安(京都)を破り、センバツ優勝の大阪桐蔭には惜敗も、8回終了までは3対2とリードする健闘だ。

 そして夏、センバツ出場の滋賀学園戦を2年生左腕・増居翔太が2失点で完投すると、準々決勝では昨秋敗れた八幡商にコールドで雪辱。そして準決勝は水口、決勝はまたも増居の完投で近江に快勝だ。現3年生は、13年夏の初出場にあこがれて入部したメンバーが多い。もっともその13年夏以降の公式戦では、水口には1勝2敗、近江に3戦全敗となかなか勝てない。それが「近畿大会で、力が上の相手との戦い方がわかった」(高村)と、分の悪い相手に「ブレイクスルー」を果たしての2度目の夏だった。

 同点とした9回裏は、高村が代わった村川竜也から四球を選んでなおも2死一、二塁。四番・岩本道徳が「フォアボールのあとだったので、初球に甘くくると思っていました」と初球真っ直ぐをたたくと、打球はライト前へ。二塁走者の原晟が、タッチをかいくぐり、間一髪ホームイン……彦根東は、逆転サヨナラで開幕試合を制することになる。

 過去春3回、夏1回の甲子園でいまだ白星のなかった彦根東。なにがブレイクスルーかって、もちろんこの1勝が最大のブレイクスルーとなった。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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