Yahoo!ニュース

ドラフト候補カタログ【5】浜屋将太(三菱日立パワーシステムズ)

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 高校を卒業し、そのまま社会人でプレーする選手は、3年目でドラフト指名が解禁となる。たとえば、いまやオリックスでエース格の山岡泰輔は、瀬戸内高(広島)から東京ガスで3年プレーしてプロ入りした。社会人1年目から主戦として活躍した山岡のような投手は、プロでも即戦力として通用するケースが多いのだ。JR東日本からやはりオリックス入りした田嶋大樹も、故障がちながら、プロ1年目から実績を残している。

 今年の社会人球界は、その高卒3年目にあたるエースが豊作だ。JFE西日本の河野竜生、JR東日本の太田龍、東海理化の立野和明……。三菱日立パワーシステムズ(MHPS)の左腕・浜屋将太も、そこに名前を加えていいかもしれない。

 鹿児島・樟南高では、1年の夏からベンチ入り。2年秋からエースとなり、九州大会ではベスト8まで進んでいる。3年になった2016年夏には、鹿児島大会5試合に登板し、44回3分の2を64三振、5失点の好投で甲子園に導いた。初戦、京都翔英高に8回1失点で勝ち上がると、花咲徳栄高(埼玉)との2回戦で敗れたものの、途中までは高橋昂也(広島)と互角の投手戦だった。

 MHPSに入社すると、1年目から公式戦に登板し、2年目の昨年は奥村政稔(ソフトバンク)と並ぶチーム最多の10試合に先発した。最速148キロのまっすぐに、スライダー、カーブ、フォーク、チェンジアップといった「変化球の出し入れや、自分のリズムでタイミングを外すこと」が持ち味、と浜屋はいう。そして、続けた。

「1年目は、高校生と全然レベルが違うので驚きでした。高校なら決め球だったスライダーを簡単に見逃され、自信を持って投げた球も痛打される。ただ2年目には、トレーニングで体重が増え、球の勢いが増したと思います。なにしろ、高校時代は60キロ弱だった体重が78キロまで増えていますから。入社時には大きめだったユニフォームが、ぴちぴちになりました」

福留、榎田に続け!

 今年1月に、20歳になった。浜屋はいう。

「お酒も飲めるようになりました。お酒といえば幼稚園のころ、寝起きでのどが渇いていたので、テーブルにあったグラスをイッキに飲んだんですね。ところが中身が、水じゃなく焼酎だったんで、そのまま倒れたことがあります(笑)」

 来客があれば、昼間でも、お茶ではなく焼酎でもてなす……といわれる鹿児島らしい逸話だ。「奥村さんが抜けたこともありますし、勝負の年」と話した今年、西関東2次予選では投手陣で最長イニングを投げて都市対抗出場に貢献し、東京ドームでも2回戦で初登板を果たした。チームは敗れたが、準優勝するトヨタ自動車を相手に救援し、打者5人から4三振の猛アピールだ。

「立野、太田ら、同じ学年にドラフト候補がいる。とくに、同じ鹿児島出身の太田は意識しています」

 175センチの身長は、決して大きくはない。ただ、生まれ育った鹿児島県大崎町はソフトボールの盛んな土地で、自身もプレーした大崎ソフトボールスポーツ少年団のOBには、福留孝介(阪神)のほかにも、榎田大樹(西武)・宏樹(日本新薬)兄弟という好左腕がいるのだ。先輩に、続くか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

楊順行の最近の記事