1月14日に放送された『ボクらの時代』(フジテレビ)には、デーモン閣下、久米宏、市川紗椰が出演し鼎談を行っていた。
相撲好きという共通点がある3人だが、なにより久米と市川にはニュースキャスターを務めていたという共通点がある。
久米は市川がキャスターを務めていた『ユアタイム』(フジテレビ)が大好きだったという。
もちろん、久米一流の皮肉も含まれているのかもしれないが、彼の著書『久米宏です。ニュースステーションはベストテンだった』(世界文化社)を読むと、それが本音に近いことがよく分かる。
■『ニュースステーション』の作り方
本書はいかにして『ニュースステーション』(テレビ朝日)という革新的なニュース番組が生まれたか、が彼の経歴とともに克明に描かれている。
久米が番組を始めるにあたって、まず徹底的にこだわったのはスタジオのセットだったという。
従来のニュース番組では、キャスターたちはカメラに向かって横一列だった。だが、『ニュースステーション』では、都会的でオシャレなオフィス空間のようなセットにブーメラン型のテーブルを作り、「奥行き」を生み出した。こうしたスタジオの見栄えを意識したニュース番組はそれまでなかった。久米はテレビでは外観やイメージ、雰囲気が重要な要素になることを看破していたからだ。
そして、久米はニュース原稿も変えようと考えた。
報道記者が書くニュース原稿は「心が洗われるような白い雪」だとか「憎しみが憎しみを招く連鎖」など昔ながらの名文調、美文調ばかりだった。だから久米は記者たちに「普段話す言葉で書いて欲しい」と繰り返し要望したという。
また、ニュース原稿は、ワンセンテンスが長いのが常だった。それでは分かりにくい。
こうしたニュース原稿の修正は、本番の最中はもちろん、読み始めてアドリブで言葉を差し替えることさえあったという。
このことは以前、自身のラジオ番組『ラジオなんですけど』に池上彰がゲスト出演した際も話している。
■テレビの本質
『ボクらの時代』の中で市川は、『ユアタイム』を通して「単純化する怖さ」があったことを吐露している。ニュースをわかりやすく伝えようとすると、単純化せざるを得ない。しかし、ニュースは単純なものではない。いろいろな例外や経緯があって、それに至っているのに、それを無視して単純化していいのか、すべてを伝えられていないことを知りつつ、やっていることに対する“正解”が最後まで分からなかったと。
それに対し、久米は「テレビじゃ無理ですよ。新聞でも無理だし。全部伝えるのは不可能だから」とあっさりと答えた。
それはおそらく、同じ悩みを考え抜いたからこそ出た言葉だろう。
やはり池上彰との対話では次のように語っている。
ニュースにまつわるすべての事情をテレビでは伝えることはできない。だが、一方でテレビでは、如実に伝わるものがある。それは「生きている人間」の様だ。「テレビが面白いのは生きている人間がそのまま映っているからだ。出演者の髪型から服装、癖や表情、語り口。それらが見ている者の皮膚感覚に訴える。この皮膚感覚こそがテレビと他の媒体との決定的違い」(同書)だと。映っている人の人間性が露わになる。それがテレビの力のひとつだ。そして同時にそれはテレビの落とし穴でもあるという。
久米はこうした“テレビの本質”をあるひとつの事例を出し、的確に示している。それは、原発事故後に頻繁にテレビに出ていたあるひとりの専門家に対して、視聴者として感じたことを述べたときだ。