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「“分かった気にさせる”だけ」久米宏が語るテレビの現実と本質

てれびのスキマライター。テレビっ子
久米宏:著『久米宏です。ニュースステーションはベストテンだった』(世界文化社)

1月14日に放送された『ボクらの時代』(フジテレビ)には、デーモン閣下、久米宏、市川紗椰が出演し鼎談を行っていた。

相撲好きという共通点がある3人だが、なにより久米と市川にはニュースキャスターを務めていたという共通点がある。

久米は市川がキャスターを務めていた『ユアタイム』(フジテレビ)が大好きだったという。

久米「あんなふうなしゃべりかたでニュースを伝える人、いませんよ。いまだかつて。だってあんな口調で、あんなトーンでニュースを伝えてる人って、日本のテレビ界には、ラジオも含めていません。あれだけファッションに気をつかって、ちょっとダラんとした感じでね。力抜けてふにゃぁと柔らかく。僕はああいうふうにしてニュースを伝えたかったんです。ホントに。あなたの『ユアタイム』をみて、僕はこうなりたかったんだって思ったんですよ。シャレや冗談を悪魔の前では話せませんから。普通の言葉、何気なく隣の人に話すようにニュースを伝えるってことを、彼女はやってたの

出典:フジテレビ『ボクらの時代』18年1月14日

もちろん、久米一流の皮肉も含まれているのかもしれないが、彼の著書『久米宏です。ニュースステーションはベストテンだった』(世界文化社)を読むと、それが本音に近いことがよく分かる。

■『ニュースステーション』の作り方

本書はいかにして『ニュースステーション』(テレビ朝日)という革新的なニュース番組が生まれたか、が彼の経歴とともに克明に描かれている。

久米が番組を始めるにあたって、まず徹底的にこだわったのはスタジオのセットだったという。

「ニュースを番組にする」ということは、原稿の内容に加えてキャスターの表情や話し方、出演者の服装、セット、小道具などをすべてつくりあげていくということだ。そして、テレビではこの外観のイメージ、雰囲気が決定的に重要な要素となる。

出典:久米宏:著『久米宏です。ニュースステーションはベストテンだった』(世界文化社)

従来のニュース番組では、キャスターたちはカメラに向かって横一列だった。だが、『ニュースステーション』では、都会的でオシャレなオフィス空間のようなセットにブーメラン型のテーブルを作り、「奥行き」を生み出した。こうしたスタジオの見栄えを意識したニュース番組はそれまでなかった。久米はテレビでは外観やイメージ、雰囲気が重要な要素になることを看破していたからだ。

そして、久米はニュース原稿も変えようと考えた。

報道記者が書くニュース原稿は「心が洗われるような白い雪」だとか「憎しみが憎しみを招く連鎖」など昔ながらの名文調、美文調ばかりだった。だから久米は記者たちに「普段話す言葉で書いて欲しい」と繰り返し要望したという。

また、ニュース原稿は、ワンセンテンスが長いのが常だった。それでは分かりにくい。

1回息を吸って吐いたらワンセンテンスが終わるくらいでなければ、原稿を読む側はもちろん、聞いているほうも苦しくなる。文章はどんどん短く切った。1ページ分を削除したこともあった。

出典:久米宏:著『久米宏です。ニュースステーションはベストテンだった』(世界文化社)

こうしたニュース原稿の修正は、本番の最中はもちろん、読み始めてアドリブで言葉を差し替えることさえあったという。

このことは以前、自身のラジオ番組『ラジオなんですけど』に池上彰がゲスト出演した際も話している。

久米:長いんですよ、ワンセンテンスが! 原稿用紙一枚でセンテンスが終わらないケースさえあるくらいで、お前これ異常だろう!って。で、文章は短くしたほうが伝わるんですけど、今度は短くすると、全体の総量が増えちゃうんです。どういうわけか、日本語って。

池上:はい。そうですね。

久米:2行くらいの積み重ねにすると、紙が倍くらいになっちゃうんですよ。だけど、そうなった場合にはいらないところを削って、文章は短くしようという運動をやるためには、5年くらいかかりましたからね。文章を短くする、それだけでも変わらないですからね、記者の方たちって。

池上:そうですね。『こどもニュース』をやる前に、首都圏のニュースのキャスターをやってですね、その時に初めて、他の記者が書いた原稿を読む立場になったわけですね。そこで初めて、久米さんが感じられたことと同じ事を考えたんですね。なんで一つの文章が長いんだろう、と。アナウンサーは偉大だって思いましたね。『アナウンサーは、これ、読んじゃうんだ』。で、NHKのニュース原稿の、一番いけないところは、アナウンサーの読みが上手すぎることなんですよ。アナウンサーが見事に読んでみせちゃうもんですから、記者の下手くそな原稿が上手に聞こえるんですね。だから、自分は上手な原稿を書いているんだって誤解するんですよ。

久米:また、NHKのアナウンサーたちは上手いから、きれいに立て板に水で文章を読むから、ますます聞いてるとわからないです、なに言ってるか(笑)。

出典:TBSラジオ『久米宏のラジオなんですけど』2011年3月19日放送

■テレビの本質

『ボクらの時代』の中で市川は、『ユアタイム』を通して「単純化する怖さ」があったことを吐露している。ニュースをわかりやすく伝えようとすると、単純化せざるを得ない。しかし、ニュースは単純なものではない。いろいろな例外や経緯があって、それに至っているのに、それを無視して単純化していいのか、すべてを伝えられていないことを知りつつ、やっていることに対する“正解”が最後まで分からなかったと。

それに対し、久米は「テレビじゃ無理ですよ。新聞でも無理だし。全部伝えるのは不可能だから」とあっさりと答えた。

それはおそらく、同じ悩みを考え抜いたからこそ出た言葉だろう。

やはり池上彰との対話では次のように語っている。

久米:『ニュースステーション』はね、今だからこそ言うんですけど、「分かった気にさせる」だけなんです。テレビ見てた人が「あ、わかった!」という風に、錯覚してくれれば十分だったんです。それ以上、本当にわからせるのは不可能だって、僕は思ってましたから。すべてのニュースはあまりにも深い。だから根本まで説明しない。1日かかっちゃうから、不可能だから! そういう場合はテレビ見てる人に、「分かった!」って一種のカタルシスをね、伝えられれば十分だと思ってたんです。

出典:TBSラジオ『久米宏のラジオなんですけど』2011年3月19日放送

ニュースにまつわるすべての事情をテレビでは伝えることはできない。だが、一方でテレビでは、如実に伝わるものがある。それは「生きている人間」の様だ。「テレビが面白いのは生きている人間がそのまま映っているからだ。出演者の髪型から服装、癖や表情、語り口。それらが見ている者の皮膚感覚に訴える。この皮膚感覚こそがテレビと他の媒体との決定的違い」(同書)だと。映っている人の人間性が露わになる。それがテレビの力のひとつだ。そして同時にそれはテレビの落とし穴でもあるという。

テレビには政治家の言葉、声、話しぶり、立ち居振る舞いのすべてが映る。そこで自分が目にしたものは、とりあえず本当のことだと受け止める。本当のことをすべて見た自分は、映されたものを理解したと思い込む

しかし、それは錯覚なのだ。確かに映っているものは、この世に存在する。しかし、存在するものを見たということは、それを理解したということにはならない

それがテレビの最も危険な側面だ。テレビ映像は足し以下に見ている者の生理や潜在意識にまで訴える強い力を持つ。しかし、映ったものを見て「わかった」と思わせるところはテレビの落とし穴でもある。

出典:久米宏:著『久米宏です。ニュースステーションはベストテンだった』(世界文化社)

久米はこうした“テレビの本質”をあるひとつの事例を出し、的確に示している。それは、原発事故後に頻繁にテレビに出ていたあるひとりの専門家に対して、視聴者として感じたことを述べたときだ。

久米:テレビって不思議なもんで、本質じゃないところが気になっちゃったりして。原子力保安院の人のね、あのカツラだけはやめて欲しい。

アシスタント:や、ちょっと!そんなことないですよ!

久米:いや!  これが気になるのがテレビの本質なんですよ! なにが残酷かって、これがテレビの現実なんです。テレビの嫌なとこってそういうことなんですよね。保安院の人が一生懸命説明してくれて、深刻な事態なんだけど、「あのカツラやめた方がいいんじゃないかなー」って思っちゃうのが、テレビの本質なんです。

出典:TBSラジオ『久米宏のラジオなんですけど』2011年3月19日放送

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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