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「どうする家康」茶屋四郎次郎とは、いかなる来歴の人物なのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
商人。(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「どうする家康」では、茶屋四郎次郎が徳川家康に金平糖を献上していた。茶屋四郎次郎とはいかなる来歴の人物なのか、詳しく考えることにしよう。

 ドラマでは、中村勘九郎さんが茶屋四郎次郎を演じていた。四郎次郎は徳川家康の求めに応じて、高価で入手困難な金平糖を探し出し献上した。四郎次郎は、どのような来歴の人物なのだろうか。

 茶屋家は、大永年間(1521~27)に信濃守護・小笠原長時の家臣だった中島明延が武士身分を捨て、京都で呉服屋を始めたのがはじまりだといわれている。なお、本姓は中島である。

 13代将軍の足利義輝は、明延の屋敷(新町通蛸薬師下る:京都市中京区)を訪ね、茶を振舞ってもらった。それが「茶屋」という屋号のはじまりになったという。

 明延の子・清延(茶屋四郎次郎)が実質的な茶屋家の初代である。清延は三河国に下ると、呉服を扱う御用商人として徳川家康に仕えた。清延は、三方ヶ原の戦いなどの合戦に53回も出陣したという。本能寺の変に際しては、神君伊賀越えで大活躍した。

 家康は清延の功を称え、橘の家紋を与えたという。天正18年(1590)に北条氏が滅亡すると、家康は江戸に入ることになった。家康は清延を近江守山(滋賀県守山市)の代官に起用しようとしたが、これは固辞されたと伝わる。

 そこで、家康は守山の馬飼料から200石の知行、そして京都小川通出水、江戸本町2丁目に屋敷を与えた。家康が上洛した際は、清延の屋敷が居宅として利用されたのである。

 清延は朱印船貿易、安南(ベトナム)との貿易、また糸割符制度に参画し、巨万の富を得た。角倉、後藤の両氏とともに、京都の三代長者として知られるようになったのである。

 こうして家康から全幅の信頼を寄せられた清延は、将軍家の呉服御用達商人として、呉服などの調度品を納入するようになった。その手数料は、莫大なものになったのである。つまり、清延は家康と出会うことによって、運が開けたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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