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2018 高校野球10大ニュース その10  春夏通算最多勝の高嶋仁監督、勇退

楊順行スポーツライター
2018年センバツ。高嶋仁監督の、ベンチ前での仁王立ち(写真:岡沢克郎/アフロ)

 12月にあたり、今年の高校野球10大ニュースをまとめてきた。ここまでは、

1 大阪桐蔭春夏連覇 春編

2 大阪桐蔭春夏連覇 夏編

3 金足農旋風

4 夏の甲子園100回

5 タイブレーク導入

6 まさかの引き分け再試合

7 選手権個人最高打率更新

8 札幌大谷の神宮大会V

9 熱中症対策進む

 が、私的に選んだランキング。そして10位は、智弁学園(奈良)・智弁和歌山を率い、春夏の甲子園で歴代最多の68勝を記録した高嶋仁監督の勇退である。夏の甲子園で智弁和歌山が1回戦で敗退すると、8月25日に高嶋監督は「まだまだ情熱はあるが、体力的に厳しくなってきた」と引退を表明。後任の監督には、教え子の同校OBで、プロ野球の阪神などでプレーした中谷仁コーチが就任した。高嶋監督は今後、名誉監督として同校や智弁学園の練習にかかわるという。

和歌山では初戦から5連敗

 いまでこそ通算68勝(35敗)は歴代トップの高嶋氏だが、智弁学園(奈良)から1980年に智弁和歌山に移って以降、甲子園ではなかなか勝てなかった。1985年春の初出場から、甲子園初戦ではなんと5連敗である。

 46年5月30日に長崎県で生まれ、進学した海星(長崎)では2年夏、3年夏と外野手で甲子園に出場。指導者として甲子園に立つため、1浪して日体大に進んだ。卒業後は、大学の先輩・赤松健守監督から智弁学園にコーチとして招かれ、監督に就任したのは72年4月。当時25歳の青年監督だった。すると76年春の初出場を皮切りに、3回の甲子園で7勝。77年春は、山口哲治(元南海など)をエースにベスト4まで進出している。

 80年には開校3年目、創部2年目の智弁和歌山に移る。当時野球部員はわずか9人、未経験者も多く一からのスタートで、前出のようになかなか勝てない時期を経て、現在のような1学年10名程度の少数での運営にシフトしていく。和歌山での初勝利は、異動から14年目の93年夏のことだ。

「それまではベンチで座っとったけど、立ったら勝ったので、それからは座れんようになった(笑)」

 というのが、やがてこの人のトレードマークになる試合中の仁王立ちの理由らしい。

10年間で決勝進出6回の黄金期

 和歌山での初勝利の翌年、94年のセンバツで優勝すると、そこからの10年間は黄金期だ。センバツは96、2000年と準優勝、夏は97、00年と優勝し、02年が準優勝だから、センバツ優勝の94年から10年で6回の決勝進出、そして3回の優勝を果たしたことになる。10年のセンバツ初戦で高岡商(富山)に勝つと、中村順司氏(元PL学園監督)の58勝を抜き、通算勝利数でトップに立った。

 その間、そしてその後も05〜12年の夏の8年連続出場などコンスタントに甲子園に。監督としてこれも歴代最多、通算37度目の出場を果たした18年のセンバツでは、02年夏以来の決勝に進出している。大阪桐蔭に敗れはしたが、準々決勝の創成館(長崎)戦では、史上初めて監督通算100試合目の指揮を執った。

 夏に勝つための調整方法が独特で、5月中旬から1カ月かけ、ハードな練習でチームの状態をどん底まで落とす。相手グラウンドでの練習試合なら3時間以上前に着き、100メートルダッシュを100本、さらに腹筋、背筋……くたくたになって試合をし、負けるにしても競った内容なら、「まともな状態やったら勝てるに決まっとるやろ」。そこから、夏本番までに調子を上げていく。もし疲労を引きずり、和歌山県大会で負けるようなら、もともと甲子園では通じないと割り切っているのだ。

 少数精鋭のチームのため、複数のポジションを守れる選手が多く、1年生から抜擢した選手が、経験を財産として新チームに継承していくパターンも目立った。08年には暴力事件によって3カ月の謹慎処分を受けて一時退任。謹慎期間中には、四国八十八カ所を巡拝していたとスポーツ新聞に報じられている。

 強力な打線で一時代を築いた智弁和歌山。優勝した00年夏のチーム通算11本塁打、通算100安打はいまでも大会記録だし、06年夏、帝京(東東京)戦での奇跡的大逆転サヨナラ劇も印象的だ。来春のセンバツではNHKの中継で解説を務めるそうで、「ランナーを置いて逆方向へ進塁打? そんなややこしいことするより、野手の頭を越せぇ!」などという、独特の高嶋節が楽しみだ。

センバツでは高松商が3年号制覇に挑戦

 そうそう、最後におまけを。その来春センバツは、平成最後の甲子園となる。1915(大正4)年、全国中等学校優勝野球大会が始まって以降、昭和・平成と3年号にまたがった春夏の甲子園は、来年夏に新しい時代を迎えるわけだ。そして大正・昭和・平成と、いずれの時代にも春夏どちらかに優勝しているのは、松山商(愛媛)のみ。関西学院(兵庫)、高松商(香川)、広島商の3校には大正・昭和に優勝があり、そのうち高松商は来春センバツ出場が確実だ。松山商に続く、3年号制覇の偉業はなるか?

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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