ケネディ前米大使の母ジャクリーンさんと英国大使の「秘恋」発覚 英米「特別関係」の深層
離任前のクリスマスに「恋ダンス」を披露して日本を沸かせたキャロライン・ケネディ第29代駐日米国大使(59)の母、ジャクリーンさん(1929~94年)と駐米英国大使の隠された恋が英日曜紙サンデー・テレグラフの報道で明らかにされました。
ジョン・F・ケネディ氏(1917~63年)は61年1月、43歳で米大統領に就任、妻のジャクリーンさんも31歳でファーストレディーになります。しかし、2年10カ月後、ケネディ大統領はテキサス州ダラスをオープンカーでパレード中に暗殺されます。
隣に座っていたジャクリーンさんが吹き飛ばされたケネディ大統領の頭部を守ろうとする姿が生々しくテレビに映し出されました。ジャクリーンさんのピンクのシャネルスーツとピルボックス帽が残酷なまでに鮮やかなコントラストを描き出します。
このとき世界初の太平洋を越えたテレビの宇宙中継が行われ、米大統領暗殺の衝撃は瞬時に日本にも伝えられました。
大統領暗殺のトラウマに苦しめられたジャクリーンさんは68年10月、友人だったギリシャの大富豪アリストテレス・オナシス氏(1906~75年)と再婚して世界を驚かせます。オナシス氏の死後、ジャクリーンさんは米出版社のコンサルティング・エディターになります。
ケネディ大統領の友人だった第5代ハーレック男爵(1918~85年)の遺族が今回、オークションにかけた品々の中に、ケネディ大統領暗殺の2~3カ月後、ジャクリーンさんが、ハーレック男爵に宛てた手紙が含まれていました。
ケネディ大統領の父が駐英米国大使を務めた1938~40年、まだ若かったハーレック男爵とケネディ大統領は友達になります。当時は欧州でのナチスドイツと英国の戦争に米国が参戦するかどうかが大きな政治テーマになっていました。
今度はハーレック男爵が、ケネディ大統領の就任に合わせて61年、駐米英国大使として赴任します。外交特権を利用して当時、禁制品だったキューバ煙草を銀箱に入れて持ち込み、ケネディ大統領にプレゼントしていたそうです。
62年10月には、キューバでの核ミサイル基地の建設が明らかになったキューバ危機が起きます。キューバ煙草の銀箱は、ハーレック男爵や駐米英国大使館がキューバ情報を収集するため暗躍していたことをうかがわせます。ケネディ大統領とハーレック男爵は無二の親友だったそうです。
ケネディ大統領の死後、ハーレック男爵はジャクリーンさんに結婚を申し込んだとみられるそうです。1964年5月のハーレック男爵の誕生日にジャクリーンさんがプレゼントの本とともに送った手紙の中に2人の隠された恋が綴られていました。
「私は亡き夫(ケネディ大統領)に属していた最も大切なものをあなたに贈ることを望んでいます。あなたの夫に対する友情と同じほど大切なものを。しかし形では表すことは決してできないでしょう。私のすべての愛とともにこの本をどうか受け取ってください」
ハーレック男爵とジャクリーンさんの関係はこれまでにも噂になったことがありましたが、2人の関係をうかがわせる手紙が出てきたのは初めてです。
ケネディ大統領は大統領就任後も、複数の女性と関係を持っており、大統領ともジャクリーンさんとも親しかったハーレック男爵はジャクリーンさんの相談に乗っていたのかもしれません。
ジャクリーンさんは結局、大富豪のオナシス氏との結婚を選びます。1985年、ハーレック男爵の葬式にジャクリーンさんはケネディ大統領の弟とともに出席しています。
トランプ大統領が最初の首脳会談の相手に英国のメイ首相を選んだことから、第二次大戦下のルーズベルト大統領、チャーチル首相以来続く英米「特別関係」に再びスポットライトが当たりました。大統領執務室から記者会見場に向かう途中、トランプ、メイ両氏が手をつないで登場し、レーガン、サッチャーの蜜月時代の再来を演出してみせました。
今回明らかになったジャクリーンさんの手紙は図らずも英国がいかに米国の中枢に食い込んでいたかをうかがわせます。ジャクリーンさんがオナシス氏の富を選んだのか、それともジャクリーンさんとハーレック男爵の2人が秘恋(ひめごい)のまま気持ちを残して別れたのかは分かりません。
ただ、英国と米国の「特別関係」と2人の秘恋が複雑に絡み合っていたのは間違いないでしょう。
(おわり)