亡き妻に見守られ、家族と新たなスタートを切る調教師の物語
亡き伯父に導かれて馬の世界へ
今日3月21日、新たなスタートを切る男がいる。
小野次郎が生まれたのは1970年8月だから現在52歳。その時、既に他界していた伯父が、彼を競馬の世界にいざなったという。
「伯父の小野定夫は騎手だったそうです。昔の話なので調教師兼任みたいにしていた時に、誰も乗りたがらない癖馬に乗って落馬をして、亡くなったそうです」
それが自分の生まれる一年ほど前だった事を知ると「生まれ変わり?」と考えるようになり、この世界を目指した。
89年、美浦・高松邦男厩舎から騎手デビュー。直後に知り合った女性に一目惚れをすると、入籍。22歳の93年1月に授かった長男を筆頭に、3人の子宝に恵まれた。
95年にはアイオーユーでカブトヤマ記念を制して重賞初制覇を飾ると、ユキノサンロイヤルでは日経賞(2005年、GⅡ)を勝利。公私共に順調かと思われたが、本人的には思うところがあった。
「癖馬を任される事が多くなり、会った事もない伯父の顔が頭に浮かびました」
同じ轍を踏む前に、伯父が正式にはなれなかった調教師になろうと決心し、猛勉強。10年の暮れ、難関を突破した。
「調教師となると、騎手以上に気疲れするのを危惧した嫁からは反対されたけど、いつまでも騎手を続けるわけにもいきませんからね……」
11年の3月に開業すると、夫人の心配していた事が現実になった。開業から僅か11日後に起こったのが東日本大震災。関東圏の競馬開催が中止となり、美浦で開業する小野はいきなり窮地に立たされた。
「馬もスタッフもいるので、出て行くお金はあるのに、レースがないから入ってくるお金はない。厩舎は余震続きで、家にも帰れない。最悪の船出でした」
また、長男が騎手を目指したのには嬉しい気持ちもあったが「中学生で身長が180センチになってしまった」(小野)ため、諦めさせると、話が思わぬ方向へ転がった。
「手に負えないくらいグレてしまい、自分も嫁も随分と悩まされました」
本格化したリュウノユキナ
15年にはコーリンベリーでJBCスプリント(JpnⅠ)を優勝したが、これについては次のように語った。
「転厩して1ヶ月後の勝利。前の厩舎の人達に対して役目を果たせたか、とは思ったけど、幸運なだけで、自分がやったという感触はありませんでした」
また、トーセンスーリヤでは20年新潟大賞典(GⅢ)、21年函館記念(GⅢ)を勝利。同馬については次のように言う。
「地方から来て、サマーチャンピオンになり、GⅠも経験させてくれたのだから立派な馬です。最後は地方の厩舎に戻ったのですが、僕が交流競走に使いに行ったらたまたま同じ日の他のレースに使っていました。でも、そこで競走を中止して予後不良になりました。まるで僕が見にくるのを待っていたようにも思える最期で、不思議な何かを感じ、尚更思い入れが深くなりました」
この時、交流競走に連れて行っていた馬が、リュウノユキナだった。こちらもマル地馬。転厩当初は苦戦を続けたが、20年の秋頃から成績が安定し、21年には東京スプリント(JpnⅢ)やクラスターC(JpnⅢ)を優勝。その後もカペラS(GⅢ)を21、22年と連続で2着、JBCスプリント(JpnⅠ)も21年5着、22年2着と好走した。
「凄く難しい馬だけど、ブリンカーとヨシトミさんのお陰で花が開きました」
“ヨシトミさん”と言われたのは当然、柴田善臣騎手の事。小野は続ける。
「リュウノユキナは内ラチに突っ込んだり、外へ飛んだりしていたけど、ヨシトミさんが乗ってからはそんな悪癖を出さなくなりました」
突然襲った悲劇
リュウノユキナが本格化したのは嬉しかったが、21年の春、私生活では真反対の淋しい出来事があった。
しょっちゅう『腰が痛い』と言っていた夫人が、病院で診てもらったところ、小野が医者に呼び出された。
「顔を合わせるなり、お医者さんが涙を流していました」
余命を告げられる程の大病を患っていた。三十年連れ添った夫人の、残された命は9ヶ月と言われた。そして、その9ヶ月目となったこの年の暮れ、宣告通り、五十代の若さで息を引き取った。
「自分はともかく、若い時分に親を亡くす事になった子供達が心配になりました。3人とも健気にしているけど本心は相当、淋しいと思います」
息子との新たな船出
この2月、小野はリュウノユキナと柴田善臣と一緒にサウジアラビアへ渡った。リヤドダートスプリント(GⅢ)に挑戦したのだ。
「初めてづくしのせいか、ピリピリしちゃいました。気持ちが入っているかと思ったけど、テンションが高過ぎたようで、した事のない出遅れをして、万事休すとなりました」
結果6着に敗れた。
「結果を残してあげる事が出来ず、申し訳なかったです。ただ、個人的には海外まで経験させていただき、関係者とリュウノユキナには感謝しかありません」
帰国して約3週間。今日、21日は“若い時にグレた”長男の扶(たすく)が、巡り巡って小野厩舎の一員として働く初日となる。空の上からお母様も見守っている事だろう。小野厩舎のこれからに、期待したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)