織田信長(の弟)や大谷吉継の子孫、愛知で今日も生きている
●今朝の100円ニュース:有楽流茶会 30日犬山で(中日新聞)
戦国時代の主要な舞台となった愛知県には、戦国武将の末裔たちが普通に住んでいる。友人の同級生である荒木くんは、石田三成の盟友だった大谷吉継の子孫だという。渥美半島まで会いに行ったら、理知的な雰囲気の菊農家だった。
関ヶ原で敗れた石田三成を最後まで見限らなかった大谷吉継。本人は自害したが、家族が渥美半島まで落ち延びて隠れ住んだという。荒木くんは最近になって自分のルーツを知り、各地の戦国関連イベントなどに自家製の菊を献花する活動をしている。友情に厚い信義の人を祖先に持つ荒木くん。静かな自信にみなぎっている印象を受けた。
今朝の中日新聞に、有楽流茶道の茶会が今月末に犬山市で催されるという記事があった。有楽流とは、織田信長の実弟である織田有楽斎が創始した茶道だ。十七代宗家の織田宗裕さん(本名・裕美子)が席主を務めるという。信長の血筋をひく宗裕さんによれば、有楽流の華道では、明智光秀の家紋であるキキョウは使わず、織田家の家紋である木瓜の図案となったキュウリを敬う言い伝えがある。
このような家業や伝統をわずらわしくて無意味だと思う人もいるだろう。血のつながりなど幻想だと言ってしまえばそれまでだ。実際、現実の日常に向き合うのは自分ひとりであり、祖先が守ってくれるわけではない。むしろ「〇〇の子孫だから」という意識が行動の柔軟さを奪ってしまう恐れもある。
一方で、偉大な先祖を身近なものと感じることは価値観の基盤になりうる。愛知県には創業家が経営に携わり続ける同族企業も多いが、堅実すぎるほど堅実な企業風土で知られている。「優しいおじいちゃんが真面目に働く姿を見ながら僕は育った。おじいちゃんは信義にもとるような意思決定はしていなかった」といった記憶や体験は、大小の決断を日々行う企業経営者にとって重要な判断基準になっているはずだ。
戦国武将や起業家の祖先がいない我々にも、一人ぐらいは尊敬できる先祖や親戚がいるものだ。うすーいつながりであってもかまわない。実はどこかで血が途絶えているかもしれない。それでも「僕はあの立派な人の子孫なのだ」と強く自覚することで、自分も立派な人を目指すことができる気がする。
関係性を全く感じない人には憧れを感じても目標にはしづらいものだ。祖先の効用とは、自分だけの親しいロールモデルを持てることにある。