中国の若者たちが魅了される羽生結弦選手の「儀式感」とは何か?
北京冬季五輪の最終日、フィギュアスケートのエキシビションが行われ、男子シングル4位だった羽生結弦選手も登場。名曲『春よ、来い』に合わせてしっとりとした演技を披露し、観衆を魅了した。
中国のSNS、微博(ウェイボー)では、早速「羽生結弦の『春天来了(春よ、来い)』はとても美しい」などのワードがトレンド入りした。
検索サイトでも「羽生結弦が氷上にキスをした」などのワードが上位となり、相変わらず、自国選手を上回るほどの大フィーバーぶりで、有終の美を飾った。
SNSのフォロワー数は急上昇
中国での羽生選手の人気は冬季五輪の開催前からあったが、開催後は新たなファンが増えて微博のフォロワー数はうなぎ上り。開催前、フォロワー数は200万人以下だったが、現在は270万人近くに膨れ上がり、中国のSNSで羽生選手の名前を見かけない日はないというほどだった。
男子シングルで4位となったときだけでなく、その後の記者会見や、練習風景なども、一つひとつがトレンド入りする過熱ぶりだった。
人気の理由はその高い演技力や美しい容姿だけでなく、四回転半に挑戦する姿勢や礼儀正しさ、彼の生き方などにある、といわれてきたが、中国のSNSを見ていると、羽生選手の名前とともにしばしば登場するのが「儀式感」という、日本では見慣れない言葉だ。
「羽生選手の儀式感」として語っているものも多い。それは一体何なのか。
羽生選手のルーティンやこだわり
「儀式感」とはここ数年、中国のSNSなどでしばしば目にするようになった、まだ新しい単語だ。
意味は日本語で見ても何となくわかるように、「セレモニー感」「儀式的な」「こだわりがある」「きちんと感」「節目を大切にする」というようなニュアンスだ。
羽生選手の儀式感とは、リンクに入る前に氷を触ったり、競技の前に身体の軸をチェックするしぐさをしたりする一連の所作、ルーティンのこと。また、競技後に「ありがとうございました」と言ったり、リンクを去るときに深々と一礼したりすることも、羽生選手ならではの「儀式感」だ。
日本人が見ても、もちろん「美しい」と感じるものだが、中国人も同じように感じ、「清々しい」「羽生選手の儀式感は格別だ」「神々しい儀式感」などと表現されている。
とくに、試合後の記者会見場で、記者や国旗に向かって深々と5回もお辞儀した際などに「日本人は儀式感をとても大切にする」と書かれていた。
また、そうした挨拶だけでなく、彼の人間性も加えて評判になった。
直近では、エキシビション前の公式練習後にボランティアが製氷作業を行っていた際、ボランティアスタッフと一緒に氷を修復する作業を行ったことや、エキシビション後のフィナーレに公式マスコット「ビンドゥンドゥン」が現れて転んだとき、真っ先に駆け寄って助け起こしたときのことなどだ。
中国のメディアでは「やはり、日本人の素質(民度、マナーなどの意味)はすばらしい」とも取り上げられた。
日々の暮らしの中の儀式感
中国のサイトで「儀式感」という言葉の由来について調べてみると、日本が深く関係していることがわかる。
あるサイトの説明には「日本人の生活の中にある儀式めいた部分。こだわり。日本人は春のお花見や秋の紅葉狩りなど、日々の暮らしの中での儀式感を大切にしている」とある。
公的な行事や記念日という意味合いの儀式だけでなく、日常生活の中でささいなことでも忘れずに、それをきちんと行い「丁寧に暮らす」こと。それが中国の、とくにZ世代を中心とした若者の間から「そんなふうに暮らしたい」と憧れられている。
今大会の開会式のテーマでもあった「二十四節気」は中国でも大評判だったが、ここ数年、二十四節気(冬至、立春、清明など)になると、SNSにその日のいわれを書いたり、その日にふさわしい伝統的な食べ物を食べたりする人が増えた。
もちろん、以前からそうしたことを忘れずに、きちんとやっている人はいたが、若者の間では、節目の日に何か小さなことでも実践することで、生活の質を上げることにささやかな喜びや充足感を覚えているようだ。
そのような意識を持つようになった今どきの中国の若者たちにとって、羽生選手のこだわりや意識の高さは、特別「すてきなもの」に映った。
そういえば、五輪の閉会式では中国語の「折柳送別」(旅立つ人を見送ること)をイメージして、柳のモチーフの演出があった。羽生選手の「春よ、来い」も、これから季節が春になるという節目をイメージする「儀式感のある」選曲だ。
だからこそ、羽生選手の存在は、彼らの胸にここまで強く響いたのではないかと思う。