Yahoo!ニュース

続:ウクライナの危機は中東の食糧危機

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
小麦畑。本稿で挙げた諸国とは無関係です。(写真:ロイター/アフロ)

 ロシア軍がウクライナに侵攻し、ウクライナの広範囲が戦禍にさらされた。こうなった以上、過日紹介した通りウクライナから穀物を輸入する国が多い中東諸国とそこに住む人民にとっては、小麦をはじめとする食糧の安定供給が極めて重要な問題となった

 中東諸国は、おしなべて食糧自給率が低い。その理由は、各国の多くが乾燥地帯に位置して農耕に適した土地やそのための水資源が不足がちだということだ。それに加えて、多くの国が人口爆発状態にあり、単独の国毎に開発を進めていてはとても賄いきれない状態にあること、多くの国で基礎的なパンや食用油のような基礎的食品に配給制・補助金制がとられ、安価な供給の下で「食べ物を大切にする」という意識や習慣が浸透していないことも考慮すべき要因である。また、紛争勃発前は小麦の一種については輸出国だったシリアも、紛争の被害によって今や燃料や食糧の調達にも事欠くありさまだ。

 ロシアとウクライナ(そしてその背後のNATO諸国)との緊張が高まる中、中東の諸国も事態の悪化に向けて備えていたようだ。例えば、シリア政府は侵攻による悪影響を予想し、自国通貨の下落とそれに伴う燃料や食糧の価格高騰に備えて対処計画を策定した旨を発表した。シリアについては、穀倉地帯であるユーフラテス川東岸の地域がアメリカ軍とその配下のクルド民族主義勢力に占拠され、その地域で産出される食糧が国内で供給される見込みが薄いこと、シリア全体が過去2年にわたって深刻な干ばつに見舞われているため今期も農業不振が確実であることなど、不安材料に事欠かない。当然のことながら、チグリス川、ユーフラテス川でシリアの下流にあたるイラクではもっとひどいことになる可能性も見込まれる。アラブ諸国の中でも人口大国であるエジプトも、食糧備蓄と国内に貯蔵してある小麦の総量は9カ月分であると発表した上で、ウクライナに代わる調達先として複数の国と交渉中であると表明し、供給不安を打ち消そうとしている。世界最大規模の小麦輸入国であるアルジェリアは、今般の戦争によって自国の小麦輸入に支障は生じないと発表した。アルジェリアについては、輸出量のほぼすべてが石油・天然ガスなので、戦争に伴う燃料価格の上昇によって食糧輸入の経費が増加するのを帳消しにする以上の影響があることも考えておきたい。

 厳しい状況にあるのは、年来の政治・経済・社会危機にさらされているレバノンと、長期化する紛争で「最大の人道危機」との枕詞を付されるようになって久しいイエメンであろう。レバノンでは、2020年のベイルート港での爆発事件によりベイルート港の穀物サイロが吹っ飛んでしまい食糧備蓄は極めて悲観的な状態にあるが、今般の危機に際しレバノン政府が発表したところによると、小麦の備蓄は「多くても」1カ月分に過ぎない。レバノン政府もアメリカ、インド、カナダなどからの調達を交渉中との由だが、戦争によってレバノンを支援する国として期待されるフランスやペルシャ湾岸の産油国の余力も殺がれる可能性もあることから、レバノンの国家や社会に食糧を調達する余力がどの程度あるのかも考えなくてはならない。イエメンの状況は一層深刻で、WFPによるとイエメン支援のための拠出が十分集まっていないため、今後1300万人が飢餓に瀕すると見込まれている

 本稿で紹介した各国を含む中東諸国は、これまで食糧自給や人口問題に各国なりに真剣に取り組んできた。それでも、地域・国際的紛争や経済状況の変動により食糧や燃料の供給=人民の生活水準に悪影響が出ることは避けられない。また、そうした人民の生活水準の低下こそが個々の国における政変や政情不安に直結するため、ロシアのウクライナ侵攻が中東のいくつかの国で新たな政変・紛争を引き起こすことも考慮した上で分析や対応策の策定に努めるべき局面である。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

髙岡豊の最近の記事