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【札幌市中央区&北区】知らなかった!サツエキは中央区と北区にまたがっているなんて!

ゆべーる地域クリエイター(札幌市)

通称「コインロッカー通り」にて気づいたこと

余談ですが、700円ロッカーには私の小さなキャリーは問題なく入ります
余談ですが、700円ロッカーには私の小さなキャリーは問題なく入ります

ガイドや英語関係の仕事で、東京と札幌を往復している私。時にはサツエキのコインロッカー通りを利用します。

500円ロッカーでも大丈夫
500円ロッカーでも大丈夫

400円ロッカーには入らなかった!
400円ロッカーには入らなかった!

今回も一週間東京でMICEの仕事があり不在にしていて、このコーナーの記事が書けませんでした。。。

ご存知の通り、サツエキこと札幌駅エリアは便利なエリアなので、エアポートで戻ってくるとすぐにコインロッカーに荷物を入れて、用事や買い物、打ち合わせを済ませました。

その時、ちょっと時間があったので、前々からこのエリアを取材していて気になったことがあり、解決を試みました!

サツエキは「中央区」と「北区」にまたがっているらしい。

ということです。

このコインロッカー通りはどっちの区?

私は今、荷物を中央区に預けているのか?それとも北区か?

区の境界はどこだ。

以前取材した「トムズカフェ」さん、「生パスタと500bar」さんは北区。でも今度取材を予定している「Paul」さんは中央区。大丸も中央区。妙夢(一部でいう「白石」)も中央区。

札幌駅構内のどこに区の境界があるのだろう?

調べて見ると「札幌駅は北区、でも駅ビルは中央区」という記述がヒットしました。

駅構内の中の看板で確認。

確かに緑色で表示された札幌駅本体は北区である北6条、黄色で表記された大丸やステラプレイスなどの駅ビル側は中央区である北5条と判明しました。

そして、緑と黄色の中間にある隙間が「コインロッカー通り」。良く見ると、この通りは二つのテリトリーの中間にあるようにも見えますが、構内マップから、駅エリアの南端のスペースを利用しているとわかります。つまり北区側なのですね。

このタイルの切れ目、あるいはシャッターより左が北区、右が中央区。

実際は北区側にあるものの、ほぼ屋内の「北6条通り」に近い位置付けとも言える、コインロッカー通り。私は北区側に荷物を預けていたのですね。このエリアの背後にある壁面が、おそらく本当の区の境界なのではないでしょうか。

北区側から中央区のみなさんのお越しをお待ちしている、駅弁の赤い旗。

一方、中央区の端っこに立って、北区のみなさまの想いが投函されるのを待っているかわいいポスト。

歴史的な経緯

しかし、鉄路が区の境目であるということは日本のどこでも普通にあることでしょうが、なぜ、札幌駅では線路の南側の外に、その境目があるのでしょうか?

これには歴史的な経緯がありそうです。

1988年の札幌駅高架化の時、札幌駅はほぼ後ろに駅1つ分ずれて建設されました。高架後もしばらく残っていた旧札幌駅舎(1951ー1996 4代目、いわゆる民衆駅)の時代は、現在の大丸やステラプレイスがある所が札幌駅構内、そしてその南側にかなり窮屈に駅ビルが立っていました。旧札幌駅前バスターミナル跡地に建設されたエスタが、ダイレクトに札幌駅と結びついていました。駅前広場もタクシー寄せはかなり狭かった記憶があります。その頃は線路が区の境であり、札幌駅では半分以上が中央区側だったようです。

新しい駅ビルが完成し、札幌駅が今の形になったのは2003年です。つまり高架した後約8年はまだ利用していた4代目駅舎の後ろには線路まで空きがある状態で、その後約7年間はその駅舎が取り壊されて高架の「駅」はあるものの「駅ビル」がない状態でした。

では、どうしてかつての4代目駅舎時代の駅前広場が手狭だったかというと、それ以前の3代目駅舎(1908ー1951)の前のスペースに建設されたからです。3代目駅舎は4代目ができた後に取り除かれ、当時のホームの一部となりました。歴史はくりかえされているのでしょうか?

いっぽう、4代目駅舎の地上鉄路時代まで札幌駅の北側には、かなりの空き地や引き込み線スペースがありました。戦前にはここに貨物や鉄道の施設があったからです。そしてこのスペースがあったからこそ、高架への切り替え時に駅舎だけではなく線路を付け替えて後ろにずらすことが可能だったのです。

逆にいうと、現在の5代目駅の南側にはかつて線路が地上を走っていた時の隙間が結構あります。

北5条東3丁目付近、線路の南側
北5条東3丁目付近、線路の南側

この「隙間」があったからこそ、新幹線を在来線の南側に(一部のホームを移動した上)で受け入れることができたのかもしれませんね。

現在の札幌駅構内の線路ではないところに区の境目があるという面白い事実は、こうした歴史の置き土産かもしれません。

余談

ロンドンでもパリでも東京でも、鉄道開拓以前から街が形成されていた世界のほとんどの大都会では、莫大なスペースを取る鉄道建設は時には厄介者扱いをされた苦難の建設の歴史があります。

東武浅草駅や京成上野駅、なくなった万世橋や苦難の歴史だった両国駅から秋葉原駅の歴史を辿ると、本当に大変だったのだなあといつも思うのです。

でも北海道は、最初から鉄道を使って石炭や鉱物を運んだり、それを港から積み出すことで発達してきました。そのためヨーロッパの教会や本州のお城のように、鉄道駅がまさに街の真ん中であるというケースが多いと思うのです(すでに先に街があった小樽と函館はほんの少し違いますが)。

札幌駅はまさに札幌の真ん中にある存在であり、そのため他の日本のどのターミナル駅よりも立ち位置が重い場所だと思います。そんな札幌駅と北海道の鉄道を、これからもガイド&ライターとして、追いかけていきます!

■鉄道好き(日本遺産「炭鉄港」ガイド&ガイド講師)なゆべーるの記事■

★札幌駅の団体バスツアー集合場所についての記事は、こちら。 (Yahoo)

★苗穂駅の夕景については、こちら。 (Yahoo)

★主に東京の鉄道散歩記録は、こちら。 (Ameba Ownd)

★旧青函連絡船桟橋の跡は、こちら。 (Recotrip)

★歴史に埋もれた業平橋付近の散歩は、こちら。(Recotrip)

地域クリエイター(札幌市)

通訳案内士(全国&札幌)、そしてライターや町おこし組織の認定ガイドとして、いつも札幌市内の出来事やおすすめ情報を探しに歩いてます。コーヒーショップ、ワイン、レストランなどが大好き。またホルン奏者でもあります。

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