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ダイヤモンド・プリンセス集団感染「日本を責めることはできない」クルーズ船検疫の第一人者語る

木村正人在英国際ジャーナリスト
横浜港で検疫を受ける「ダイヤモンド・プリンセス」(2月21日)(写真:Keizo Mori/アフロ)

入港拒否の英クルーズ船はキューバが受け入れ

[ロンドン発]乗員乗客5人の新型コロナウイルス感染が確認され、入港拒否に遭っていた西カリブ海・中米クルーズ船「ブレーマー」(乗客682人、乗員381人)はキューバで受け入れてもらえることになり、18日に民間機でイギリスに退避できる見通しになりました。

乗客の1人で、ロンドンを拠点に世界的に活躍するピアニスト、平井元喜(ひらい・もとき)さん(47)のフェイスブックを見ると、船内では大歓声と拍手が沸き起こったそうです。3月11日乗員乗客5人の陽性が確認された後、バルバドスと旗国バハマで入港を拒否されました。

イギリス人は667人。英メディアによると、乗員乗客43人がインフルエンザ様の症状を示し、隔離されているそうです。キューバが受け入れていなかったら最大10日もかけ大西洋を横断し英南部サウサンプトン港を目指さなければならなかったでしょう。

新型コロナウイルスによる肺炎が重症化する場合、発症から平均して11日間で酸素吸入が必要になるので、大西洋横断は高齢の乗客にとって非常に大きな危険を伴います。

キューバ経由で空路イギリスに帰国できることになり、船内放送は陽性者5人の容体は回復し、みな元気だと説明。船内ホールではダンスパーティーが開かれています。英クルーズ会社は乗客に不安を与えないことを最優先にしていることがうかがえます。

「ダイヤモンド・プリンセス」でクラスターは起きたのか

一方、集団感染したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」。60歳以上の乗客が2165人、また日本人が1341人も乗船していたことから横浜港への入港を認めざるを得ませんでした。もし英国船籍であることを理由に入港を拒否していたら人道上の問題に発展していたかもしれません。

香港で下船した男性の感染が判明したのは2月1日。「ダイヤモンド・プリンセス」が那覇に寄港し、上陸を許可する「仮検疫済証」を発行した後でした。米クルーズ会社の首席医務官に感染を知らせる緊急メールが届き、香港の学生もソーシャルメディアで話題にしています。

2月2日、香港政府の疫学者もクルーズ会社に「船の完全な浄化と消毒を助言する」と伝えましたが、船内ではさよならパーティーが開催されました。下は米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された写真です。

米紙ニューヨーク・タイムズのサイトより
米紙ニューヨーク・タイムズのサイトより

2月3日に横浜港で臨船検疫が開始。検査した乗員乗客31人中10人の感染が5日判明、14日間の検疫始まり、全乗客の客室待機など感染予防が徹底されます。米内科学会(ACP)の雑誌に掲載された論文によると、新型コロナウイルスの潜伏期間(中央値)は推定5.1日。

国立感染症研究所の概況報告。青色が乗客、オレンジ色が乗員
国立感染症研究所の概況報告。青色が乗客、オレンジ色が乗員

国立感染症研究所の報告では2月7日の発症者が最も多く、潜伏期間から逆算すると2月2日にクラスター(感染者の集団)が発生したと推測できます。さよならパーティーでクラスターが発生、事実上の検疫が始まった3日以降も船内でじわりじわりと感染が広がったとみるのが妥当でしょう。

「陽性者と濃厚接触者を下船させよ」

クルーズ船の検疫を20年にわたって研究するギリシャのテッサリア大学、クリストス・ハジクリストドゥルウ教授は3日にクルーズ船の新型コロナウイルス検疫ガイドラインを発表。PCR検査の陽性者と濃厚接触者は下船させ、陸上で検疫を行うよう勧告しています。

ハジクリストドゥルウ教授らが作った新型コロナ対策のガイドライン(筆者作成)
ハジクリストドゥルウ教授らが作った新型コロナ対策のガイドライン(筆者作成)

このガイドラインに基づくと陽性者と濃厚接触者計273人の検疫は陸上で行う必要がありました。同教授は仏リヨンの世界保健機関(WHO)事務所に連絡を取り、専門家グループをつくって助言のため乗船することを申し出ましたが、拒否されたそうです。詳しい経緯は分かりません。

ハジクリストドゥルウ教授に尋ねてみました。

――日本当局の検疫が始まった時、状況をコントロールしなければならないのは日本政府とクルーズ会社のどちらですか

「この種の状況では船全体の検疫が開始されると、検疫を命じた日本当局は船内の状況を管理するためクルーズ会社と協力する必要がある」

――新しいガイドラインのように、日本当局は陸上で検疫を行うため陽性者と濃厚接触者を下船させることはできたと思いますか

「はい。陸上施設で多数の乗客や旅行者を検疫する難しさは分かる。新ガイドラインは新型コロナウイルスの感染が疑われる症例の検査結果が陽性であった場合、陽性者と濃厚接触者を下船させて検疫することを勧めている」

「WHOも船上で新型コロナウイルス感染症が発生した場合、同じ方法をとるよう勧めている。クルーズ船の狭い空間の半密閉環境は適切な検疫施設にならない。『ダイヤモンド・プリンセス』でとられたアプローチは推奨できない」

――船内での乗員の生活環境と労働条件はそれほど良くありませんでした

「『ダイヤモンド・プリンセス』での検疫後、乗客と乗員は陸上でさらに14日間の検疫を継続するべきだった。というのも船上での検疫期間中に新型コロナウイルスの感染が乗客と乗員の間で進行していたためだ」

――誰が非難に値しますか

「『ダイヤモンド・プリンセス』の状況は圧力の中で下された決定で非難することはできない。決定はその場で行われ、当局が参考にする過去の経験、例、教訓もなかった」

「クルーズ船では多くの人が同じ食料源を共有し、同じ給水から飲み、同じ空気を吸う。2人以上が客室や居住空間を共有し、誰かが濃厚接触者であれば、同室者にウイルスを感染させる恐れがある。さらに乗員は同じ場所に住んでいる」

「船に乗る旅行者を保護するため、他の健康対策(感染者や濃厚接触者を検出する乗員の意識向上、手洗いや咳エチケットなど個人衛生対策のガイダンス、適切な洗浄および消毒対策など)を実施できる。と同時に乗員を守り、航海の継続を可能にし国際交通への不要な干渉を避ける」

イタリアの病院では十分な防護をしているはずの医療従事者が感染するケースが相次いでいます。新型コロナウイルスの感染経路にはまだまだ分からないところが残されています。

筆者は結局、ハジクリストドゥルウ教授の新ガイドラインでも十分ではなく、米カリフォルニア州オークランド港に入港した「グランド・プリンセス」のようにまず乗客全員を即座に下船させ、それぞれの国で14日間の検疫をしてもらうしかなかったのではと考えます。

PCR検査で陽性者激増

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「ダイヤモンド・プリンセス」の場合、半分近い感染者は無症状病原体保有者。これをあぶり出すためにはPCR検査を何度か実施しなければなりません。本当は陽性者であっても偽陰性が出ることがあり、漏れが出てしまうからです。

感染者が激増したように見えたのは全員のPCR検査を実施したからです。それで検疫の失敗で感染者が膨れ上がったように見え、感染症のプロである岩田健太郎神戸大学教授が18日船内に入り、ユーチューブで「悲惨な状態で心の底から恐いと思った」と告発したことが決定打になりました。

米疾病予防管理センター(CDC)の調査では感染が確認された乗客は1月22、23日に症状がみられ、乗員に感染。2月2日に給食係の乗員が発熱。配膳室や乗員室を通じて接触感染や飛沫(ひまつ)感染によるクラスターが起きたとみられています。

感染者20人(2月9日までに判明分)のうち15~16人が同じ配膳室で働き、彼らの乗員室は同じ階にありました。乗員7人は検疫開始後わずか3日後には発症しているため、感染はその前から始まっていたとみられます。

CDCは最初の感染者が見つかったら即座に疫学調査を実施することと勧告しています。乗員から乗客への感染が検疫開始後に配膳などを通じてどれだけ広がっていたかは今後の調査を待たなければ分かりません。

確かに戦艦大和より巨大な「ダイヤモンド・プリンセス」の検疫は厚生労働省の役人の手に負えませんでした。しかし「ブレーマー」でも感染確認後も船内でダンスパーティーが行われたのは新型コロナウイルスの怖さが十分にクルーズ会社や乗員に浸透していないからでしょう。

外国人乗客の入院費は日本政府持ち

日本の対応は人道的ではなかったのでしょうか。陽性者は直ちに下船させ、入院させています。英インペリアル・カレッジ・ロンドンMRCセンターの報告書では発症から平均5.41日で呼吸器症状、5.76日で入院、5.88日で肺炎の症状が現れます。

「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客に届かなかった崎陽軒シウマイ弁当の差し入れ4000食の写真を撮影してSNSにアップし日本でも有名になったイギリス人乗客デービッド・アベルさん夫妻は2月18日に陽性反応が出たため下船してホステルに移動、20日に入院しました。

最初は英語が通じず陽性か陰性か混乱しましたが、3月7日に妻が回復。3月14日に2人そろって退院し、イギリスに帰国しました。回復までの医療費は日本政府が全額負担。アベルさんはユーチューブで経過を報告。肺炎と診断された2人の症状はほとんど見られませんでした。

筆者の妻はスイスでスキーをしていて転倒、骨盤3カ所にヒビが入り、CTスキャンを撮影して3日間入院しただけで、お代は何と150万円でした。それが世界の医療の現実です。死者を8人も出してしまいましたが、日本政府は最後まで乗員乗客をケアしています。

新型コロナウイルス感染症の致死率が1%弱と低かったことが不幸中の幸いでした。もっと致死率の高い新興感染症が現れた時に備えて検疫ガイドラインを迅速に更新しなければならないのは言うまでもありません。

前例のない巨大クルーズ船での検疫に不備があったと日本だけを責めるのは少し酷ではないでしょうか。

「ダイヤモンド・プリンセス」集団感染が浮き彫りになった後、厚労省は2月25日、北海道大の西浦博教授や東北大の押谷仁教授らを巻き込んで新型コロナウイルスクラスター対策班を設置しました。日本の新型コロナウイルス感染症対策はクラスターが鍵です。

クラスターの発生を抑え込めば基本再生産数を1より小さくして、新型コロナウイルスの流行を制御できるかもしれません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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